寓話(フェイブル)
大変なことになった。
「つ、つまりマイさん」
「はい。今から数分後に、大変なことになるということです」
僕とマイさんは店の料金をテーブルに置いてすぐさま外に出る。すると、人々がざわざわしながら空を見上げていた。先ほどまで快晴だった空は、赤黒い雲に覆われている。まずい、もう始まったのか。
「マイさん、これって…」
普通なら、いつもの僕ならば、そんなことをするはずがない。うっかり、なんて許されることじゃないんだがら。しかし、うっかりした。これは、あの2人のどちらか、または両方からの…攻撃だ。
「状況証拠から判断すると、私が一人になることに疑問を抱かなかった、という現象ですから…」
「まさか…クロア!?」
「いえ、まだ分かりません。とにかく今は、降りかかる『不幸』を防がなくては」
「…そうだね」
順を追って、説明しなければいけないだろう。
僕について。幸運と不幸について。
僕は、マイさんやフォークロア、アネクドートとは違うところがある。三人と同じく、僕も尋常ではない強運を持って生まれた。しかし、そのことが分かったのは、つい最近のことだった。というのも、僕は、強運でありながら、それ以上に運が悪いのだ。
強運の度合いを数値で表すのは、よくアネクドートにナンセンスだと言われるが、ここは便宜的に数値で僕の運を表現してみよう。常人を1とするならば、大体60000ぐらいが僕の幸運だ。他の三人も同様。しかし、僕が抱える不幸は、恐らく80000ほど。普通なら、不幸に押し潰されて死んでいる。
しかし不幸は幸運を打ち消さない。だから、僕が差し引き20000ぶん不幸になるというわけではない。僕は、幸運故に、他人に不幸を押し付けることができるのだ。
だから普段は、僕に30000、他3人に10000ずつ、不幸を割り振っている。あのゴブリンには、10だけ分けた。それだけで死んだ。多分急性心臓麻痺のようなものを起こしたのだろう。
だが、僕の不幸を狙って押し付けられる範囲は、大体200メートルくらいで、それ以上離れられると僕の幸運では対処しきれない20000ぶんの不幸が周りに降り注ぐのだ。 この範囲は広く、流行病のように不幸を与え続けていく。
実際、あの軟禁生活は神運の四人への対策というよりも、僕を封殺するという目的が多分に含まれているだろう。それぐらい、危険なのだ。
だから、3人に会うまで、僕は周りを不幸にし続けてきた。
沢山の人を、押し潰してきた。友人も、家族も、知り合いも赤の他人も──
「女装でシリアスな顔しても雰囲気出ませんよ」
「えー重要な回想に入るとこだったんだけど…」
というかマイさんが女装させたんじゃん…。
「それより、ほら、来ました」
ぴっとマイさんが指差した先を見ると、鳥のようなものがこちらに近付いてきている。いや、遠いからそう見えるだけであって、実際はもっと大きい。この展開は、前に旅客機が街に墜落したのを彷彿とさせるが、ここは異世界、もっと直接的な不幸だろう、アレは。
空から飛来したそれは、徐々に街に近づいてくる。近づいてくるにつれて、どれだけそれが馬鹿げた大きさなのかということが分かる。
「おいおい…ドラゴンじゃねえか!」
先ほどの冒険者達も異変を察知して店から出てきたようだ。なるほど、ドラゴンか。モンスターのメジャーどころだ。黒曜石のような黒い鱗、爛々と光る紅の瞳、大きさは恐らくマンション一つぶん程もある。
そのドラゴンは、街の外側に着地したようで、凄まじい地響きが鳴る。僕達もそれを追って街の外へ出る。
「フェイ君、私がやりましょうか?」
走りながらマイさんが聞いてきた。
「いや…ここは僕がやろう」
僕が呼んだ不幸なのだから、僕が片を付ける必要がある。
ドラゴンは、首をもたげ、こちらを見据えている。
既に街の外には数十人の兵士のような人や冒険者風の人達が武器を構えている。僕一人で突っ込もうかと思ってたけど、何だか行きづらい雰囲気だ。
「とりあえず、ここにいる全員に聞いておきたい」
先ほどの三人組の男がまず口を開いた。
「俺は上位冒険者のラザナック・クルーだ。まだ上位には成りたてだが、それなりに魔物は見てきた。だが、あんなドラゴン見たことねぇ。誰か知ってるか?」
しばらくの沈黙の後、一番年齢が高いであろう男が口を開いた。
「私の見立てが正しければ…あれは『死竜』だ」
「ちょ、ちょっと待て!」
また別の男が顔いっぱいに恐怖を浮かべ話を遮る。
「死竜は六百年前勇者と魔王の戦いの後封印された筈だ! もしアレが死竜なら…」
「そうだ。魔王、そして魔王軍が復活したということになる」
ざわっと全員からどよめきが湧く。ふむ、僕はひょっとしてとんでもない不幸をこの世界にもたらしてしまったのだろうか。
「その真偽は後で確かめましょう。今は、あの死竜を退けなければなりません」
ミラさんの言葉でざわついた人達は静まった。そして兵士らしき男が前に立ち、全員に呼びかける。
「よし、では各員、持ちうる全ての力を以てあの死竜を退けよう。失敗すれば恐らくバイソラ全住民が死ぬ。しかし、成功すれば君達には多くの褒賞が与えられるだろう!」
「オォ!!」
雄叫びを上げ、冒険者達は死竜に向かって走っていった。ガチャガチャと鎧の音が遠ざかっていく中、僕とマイさんはその様子を眺めている。
「死にますね、あれ」
「うん…マイさん。あの人達が死なないようにしてくれないかな。あの竜は僕が潰すから」
「分かりました」
僕は少し遅れて、死竜へと歩を進める。死竜は丁度、向かってくる冒険者達に、何かを呼びかけようと口を開いたところだ。
「人間ハ、相変ワラズ、愚カダナ」
地鳴りのような声を響かせ、死竜は上体を起こした。そして、左手を杯でも持つかのように構える。
「実力モ弁エズ、ソノ場ノ勢イデ何トカシヨウトスル。知性ガ感ジラレン」
すると、何やら赤と青と黒の液体のようなものが死竜の掌に渦巻き始めた。絵の具をかき混ぜたように、三色の液体はグロテスクでおぞましい塊へと変貌していく。
「 混成魔法 『仄暗い業火』」
その塊が地面に落ちると、ガソリンに引火したかのようにぼうっと青黒い炎が地面を覆う。冒険者達は短い悲鳴を上げ、それに呑まれていった。
「我ハ魔王軍直属親衛隊『四死竜』ガ一人、怪死竜カオティコル。貴様ラ人間ニ混沌ヲ齎ス者ダ」
青黒い地面を見て、カオティコルは満足げに口角をつり上げる。しかし、僅かな気配を察して、僕の方に目を向けた。青黒い炎が海が裂けるように避けていき、その中をゴスロリが悠然と歩いてくる…非常に奇妙な光景だろう。
「随分分かりやすく、幸運が発揮されているね」
今はマイさんに不幸を30000ほど持って貰っているので大体10000の幸運がある。炎が当たるとは思っていなかったが、まさかこんなにはっきりと避けてくれるとは。にしても、この炎、熱気は伝わってこないけど肌にピリピリと嫌な感じがする。有毒なガスでも出ているんだろうか。
「何ダ貴様ハ」
「見れば解るでしょ。ゴスロリだよ」
「フン、ソノ装備ヲ見ルニ、魔術師カ。我ニ魔術デ挑ムトハ哀レナ」
このゴスロリは魔術師の服なのか。ならばそれほど恥ずかしい格好では無いようだ。
「…まぁいいけど、君がさっき殺したと思ってる人達は、皆生きてるよ」
「…ナニ?」
炎に呑まれたはずの冒険者達はマイさんの側で呆然としている。どうやらマイさんの『あれ』もこの世界でしっかり使えるようだ。安心。
カオティコルは信じられなさそうな顔をしている。この異世界においてもそんなに不思議なことなのだろうか。
「馬鹿ナ。空間転移魔法ノ魔力ノ流レナド感ジナカッタゾ」
「…魔法じゃないしね。さぁ、無駄話するつもりはないし…って」
言い終わる前に、ガガガガガガガガという音とともに、目の前を何かが通過していった。土煙と強風が巻き起こる。そして、2メートル程前の地面がスプーンで抉られたようになっている。どうやらカオティコルが僕を狙って爪で攻撃してきたようだ。僕の背後の地面も削れているところをみると、指と指の間に運良くいたようだ。
「ナニ…避ケタノカ。思ッタヨリ素早イナ」
「いや、避けてないけど…吃驚したよ。不意打ちなんて人間らしいことをするんだね…」
魔術で挑むとは…みたいに言って魔法に意識を向けさせておいて話の途中で爪で攻撃って、けっこうやり手だな、こいつ。まぁ、いくら強かろうと関係はないが。
「じゃあ、僕の番だ」
手の先に意識を集中させる。ゴブリンは10で即死だったけど、この竜はどのくらいで死ぬのかな。とりあえず───1000ぐらいにしておこう。
ざわっと、心の底から嫌な物が湧いてくる。
「何、ダ、ソレハ」
「え? うわっ」
思わず声を上げてしまった。
見ると、いつの間にか僕の手には赤黒い槍のような物が握られている。どろどろと表面が波打ち、液体のような固体のような謎の感触だ。こんな物は、僕の世界では現れなかったのだが…やはり異世界では色々と事情が違うのだろうか。不幸が可視化している、のか? 何にせよ、何だと聞かれたからには…何か答えないと。
「『1000』。君への贈り物だ」
こんな事もあろうかと長い軟禁生活の中で色々と考えておいてよかった。
「フ、フザケルナ! ソンナ、ソンナ魔法ガアルワケガナイ! 魔力ヲ使ワナイ魔法ナド…!」
「だから、僕のも魔法じゃないんだって。じゃ、死んでくれ」
槍なんて投げたことはないから、テレビで見た槍投げを見よう見まねで思いっ切り放り投げる。赤黒い槍は尾を引きながら真っ直ぐカオティコルへと向かっていく。
「クッ!」
カオティコルは咄嗟に身を翻し躱そうとする。しかし
、槍は無慈悲に、対象を貫く。槍が引いた線が、次第に薄くなり、消えていった。
だが、カオティコルに何かが起きた様子はない。
「?……フ、ハハ、ハハハ! 何ダ、虚仮威シカ! 道理デ魔力ヲ感ジナイハズダ、生意気ナ人間メ! 捻リ潰ス!」
ぐわっとその大きな手を伸ばして、僕に向かって振り下ろす。巨大な黒い塊が迫ってくる。
「…ア?」
しかしそれを、別の大きな腕が阻止した。鱗に覆われた黒い腕が、ツルツルした表面の白い腕に掴まれている。その腕は、地面から生えているようだ。
「ナ…!?」
途端に、カオティコルの足元に黒い渦が発生し、そこから無数の白い腕が伸び、がしがしがしとカオティコルに絡まっていく。そして、ズブズブと、その渦へと引きずり込んでいく。まるで、B級ゾンビ映画でゾンビの海に人が呑まれていくかのように。
「コ、コレハ! コイツハ! 『冥府への招待』! 馬鹿ナ! 馬鹿ナ馬鹿ナ馬鹿ナ馬鹿ナ!」
もちろん、バイトインヘルだかなんだか聞こえたが、僕はこの白い腕については一切知らない。ただ、僕の世界で偶然隕石が落ちてくるように、運悪く地面が崩落するように、これがこの世界の不幸なのだろう。
もう、カオティコルの下半身は渦に飲まれている。
「貴様ッ、貴様ノコトハ忘レンゾッ! 絶対ニ殺シテヤル! 覚エテイロォオオゴスロリィィィイイイイ……」
「さようなら」
後には、地面のみが残っていた。まるで最初から、何もなかったかのように。凄いな、この世界の不幸は。
というかあいつ、僕の名前ゴスロリだと思ってたな。言い方が悪かったか…まぁいいや。どうせ死んだし。
霧が晴れるように、僕の周りの炎が消えていく。そして空も、雲が引いていき、夕焼けの空が見えた。
少し離れた所から、歓声が聞こえた。見ると、冒険者達だけでなく、街の人達までもが喜んでいる。良かった。とりあえずはこの街に降りかかる不幸は、退けられたようだ。
「お疲れ様です。フェイ君」
「うわっ、マイさんいつの間に」
「よく見えませんでしたが、フェイ君何か出してませんでした?」
「あぁ…うん。それは…後で。とりあえずは、ちょっと休みたいかな」
「了解です」
「了解? わっ」
グッと足と肩を持たれ、お姫様抱っこされてしまった。何やら非常に情けない姿になってしまったが、まぁ色々柔らかいし、いいだろう。ということで僕は、まるで竜から奪還されたお姫様みたいな状態で街に凱旋するのであった。