過去 ①
バアルはただの村人だった。
人一倍強く、人一倍賢く、人一倍正義感のある、ただの村人だった。
村の人々を愛し、彼らの生活を愛していた。
村人の中には冒険者となり華々しい生活をしたいと言って大都市へ行く者もいたが、バアルはそれには興味を示さず、ただ農具を振るい、汗を流した。
そしてある日、村の名産である糖の原料である作物を大都市に売りに来た際に、それを目にした。
廃人と化した者達、みすぼらしい暮らしをする者達、彼らは皆全て、魔王によって蹂躙された村落の、生き残りだという。
衝撃だった。
世界の人々の暮らしは、辺境で暮らす自分達が底辺だと思っていた。しかし、もっと地獄のようなことが、起きていたのだ。
底辺の自分がそれなりに幸せなのだからこの世界は安泰だ、そう考えていた。甘かったのだ。
バアルはその晩、夢を見た。美しい女性が、バアルに、魔王の討伐を訴える夢だった。
バアルは勇者に選ばれた。そしてそれを、良しとした。彼は、人々の生活を取り戻すために立ち上がった。
仲間ができた。
まず、一番最初に冒険者ギルドで出会った少女がいた。彼女は、規格外の魔法使いだった。あまりに天才で、誰も彼女に魔法を教えられなかった。
ゆえに冒険者として、古代の魔法書を探そうとしていたところだった。
彼女がバアルに対していだいた印象は、世間知らずの馬鹿だったが、しかし不思議と、彼女は惹かれていた。
彼女の名前は、タルトという。
二人目は、バアルとタルトが魔王の討伐に向けて冒険をしている時に立ち寄った、ある小国の姫だった。
天性の才能か、その姫は若くして国の誰よりも腕っぷしが強く、またワガママで知られていた。
その姫に、バアルは惚れられてしまったのだ。しかも、激烈に、惚れられてしまった。
おかげで国一つが、バアルを支援した。そして肉弾戦において相当な戦力を手に入れた。
姫の名前は、アナという。
魔王の城へと向けた旅が終盤にさしかかるにつれて、バアルの心には、悩みがあった。
旅は順調だった。自分の成長は順調だった。それはもう、出来すぎているぐらいに。
魔王を倒そうと志す者は多くいた。しかし彼らが夢半ばで挫折するのは、ひとえにこの世界の過酷さだった。
しかし自分は、苦労はあれど挫折はなく、漫然と成功の潮流の中にいた。
勇者だからと言えばそれで終わりなのだが、納得はできない。
そしてもう一つ、悩みがあった。
これまでバアルは、様々な国で、様々な人々を見てきた。奸計、謀略、そういったことも見てきた。
目の前にある情報は、誰かが誰かのために撒いた偽りの何かであることの方が多かった。
そんな中で、誰もがまことしやかに恐れる、魔王がどこそこの街を襲っただとか、村を焼いただとか、そういったことをなぜ自分は信じていたのだろうか。
これもまた、企みなのではないか、と。
ちょうどそんなことを考え始めたのは、少し前から魔王のパーティに加わった、一人の男を見ていたからだった。
タルトとアナのバアルへの好意はいよいよかなりのものであり、誰も入る隙などなかったところにスルッと入ってきた男である。
名前をルシファという。
調子者で、よくタルトやアナに折檻されていたが、しかし賢く、バアルが気付かないような、人の汚いところや、世間の暗い側面を、よく見ていた。
また、殺生を好まない男だった。彼は、魔物にも人同様に、生活があること、文化があることをバアルに教えてくれた。
そしてルシファは、魔王との決戦の前の晩に、自分が魔王であることをバアルに打ち明けた。
彼は語る。
数百年に一度、魔神と善神は、魔物と人の中から、優れた者を一人ずつ選び、それぞれ勇者、魔王として戦わせるのだということを。
それにどんな意味があるのか、全てはわからない。魔物と人を衝突させる、戦いを見て楽しむ……様々な狙いが考えられる。
今までの魔王も勇者も、選ばれた自分に酔い、迷うことなく戦った。しかしルシファは魔物の生活を愛していた。
それは、バアルと同じだった。
しかし魔神の配下達によって、望まずとも人間の街が魔物に襲われる。
魔神は無理にでも、勇者を魔王へと向かわせようとしていたのだった。
バアルはやはり、と思い、そして喜んだ。魔神と善神を無視し、ルシファと協力すれば、魔物と人が分かり合い、生活できる幸福で平和な世界が実現できるではないかと。
しかし、ルシファは知っていた。魔神はそれを許さない。魔王と勇者は戦わなくてはならない。
自分達の力では、魔神はどうすることもできないのだと。
戦うしかなかったが、しかし、諦めてもいなかった。ルシファはバアルに計画の全てを伝えた。
それは、バアルが次の魔王に成り代わり、魔神を暗殺するという企みだった。
バアルは、もちろんその計画に賛成した。だが、ルシファを倒さなくてはならないことだけは、納得しなかった。
他に方法があるはずだ、と考えた。だが、しかし、それしかなかった。
涙を流しながらも、悲しみに震えながらも、結局は、魔王の心臓に刃を突き立てていた。
彼の、ルシファの本当の名前は、サーターンという。
そしてバアルは、名をベールゼヴヴとし、ここに至った。
「今俺の隣には、アナト、アスタルトがいる。そして、配下がいる。大切な者達がいる。だが、サーターンはいない。そういうことだ。これが、俺の全てだ」
ベールゼヴヴが語り終えた。皆、神妙にしてそれを聞いていた。
続いて、ザイネロさんが意を決して語り始める。
ザイネロ・ペグーは剣士だった。優秀であった。将来は殊位冒険者だな、と周囲にも褒められていた。
ザイネロ本人は、正直、自分が強いことには、あまり興味はなかった。
だが強ければ、仲間が集まってくる。そして強ければ、その仲間を守ることが出来る。
そのことだけは、世界の正しさだとザイネロは理解していた。
そして、実際に、ザイネロは沢山の仲間を手に入れた。冒険者ギルドでも名のあるパーティで、ザイネロはそこの期待の星だった。
同じぐらいの時期に入ってきたエイドールという男も、よくザイネロと共に冒険してくれる、良き仲間であった。
ザイネロはある日、大規模な魔物の討伐戦に参加することになった。怪我をしたエイドールを除き、仲間全員でそこに参加した。
正直、少し参加をためらうほどの大規模戦闘だった。何故ここまで多くの冒険者がいるのか、何故ここまで多くの魔物がいるのか、ザイネロは警戒していた。
そして戦いが始まった。
その瞬間、空から何かが降り注いだ。石? 木? 材質はよく分からない。
しかし太く、大きい。そして多い。
柱同士がオレンジ色の壁で接続され、戦場が分断された。
初めは、目的がよく分からなかった。とりあえず、その場にいる魔物をザイネロは全員殺した。
しかし壁は消えない。
ザイネロは壁に文字が浮かび上がっていることに気がついた。
『勝て。倒せ。殺せ。最後の一人になるまで』
ザイネロは賢かった。倒すべきはこれを仕組んだ敵だと判断し、抵抗しようとした。
しかし誰かが呟いた。
戦神ショウジョウと。
戦場にえげつない声が響き渡る。
『hrrフェヒト!!!!!!!』
人間には発音できないような音で、誰かが叫んでいる。すると周囲の冒険者達は、武器を持ち、血相を変え、戦い始めた。
ザイネロはその場にいた全員を気絶させた。しかし、いつまで経ってもオレンジ色の壁は消えない。
私は殺さないぞ、とザイネロは天を睨んだ。
すると空から小さな柱が降り注ぎ、まだ生きていた冒険者や魔物の脳天に直撃した。
オレンジ色の壁は一部消えた。
また、狂ったように冒険者と魔物が襲いかかる。
気づけばザイネロは、最後の一人と対峙していた。彼は自分の所属する冒険者集団の長であり、ザイネロを引き入れてくれた男だった。
ザイネロは彼に妻子がいることを知っていた。そして自分が、彼より強いことを知っていた。
初めて、ザイネロは自分の命より他人の命が重いのではないか、と思い至った。
殺されよう、と思った。
心では思ったのに、身体が動いた。
当時は知らなかったが、戦神ショウジョウは、争いを起こす神だった。
望むとも望まずとも、ショウジョウの支配領域であれば誰でも争う。
目の前の、ザイネロが倒した男は、最後に、妻子と自らの故郷を、ザイネロに頼んだ。
ザイネロは、深い悲しみと絶望とやり場のない怒りの最中にいた。
強ければ、仲間ができ、仲間を守れると思っていた。それが、全く逆の結果を招いたのだ。
そしてザイネロの前に、おぞましい何かが降り立った。
それは赤ん坊の顔を持ち、様々な大きさや形の手足が生えた大男だった。
ショウジョウの配下、欠損卿と名乗るその男は、ザイネロに強大な力を与えると言った。それでショウジョウを倒せと。
意味が分からなかった。
だが、そう、この怒りと悲しみを消すには、強くなればいいのは分かった。
今回は、神に負けた。神より弱かったから。
次は神より強くなる。
そうザイネロは誓った。
「……以上だ」
ザイネロさんも語り終えた。ようやく、もやもやとしていたことが分かってきた気がする。
この世界のことが、少し。
そして最後は、アネクが語る番だ。彼女が理解している、この世界のことを。
しかし、最後に彼女は、僕を見た。
「おし。じゃあ、最後にもう一人、過去を語ってもらおうか。そいつの過去が、我の話に最も必要だ。フェイ」
「え」
「悪いが、話してくれるか。お前の過去を」
皆の視線が、僕へ向く。
……今話してくれた二人の過去ほど、僕の過去は大した意味を持たないと思うんだけど……でも、アネクが言うなら。
風が少し、冷たくなった気がした。
思い出そう。僕の過去を
そして話そう。僕の、半生を。




