魔神 ①
白い手は前にせり出してくる。続いて、白い足が出てくる。その足や手には、様々な色の生物が、巻き付き、蠢いている。
さらに胴体が出てくる。胸の膨らみや筋肉の質から見て、人間の女性の胴体に見える。左脇腹あたりに、沢山の眼球が埋め込まれてある。右胸は複乳になっており、脇から股にかけて三つほどある。
そしてついに、顔が出た。その顔は…………そう、驚くほどに美しい、何の装飾も余計な器官もない、少女の顔だった。ただ、白い。髪も、目も、虹彩も、全てが白い。だが、その口の中だけは、恐ろしいほど黒い。
「……」
口角が上がっている。笑っているのかもしれない。
全身か出たところで、背中から、翼が生えているのが分かった。左右二対で計四本、骨組みは竜のようだが、翼膜はハエのように透明で、筋がある。
「……」
現れた異形の存在に、周囲の全てが凍りついている。勇者も、魔王も、フェイブルも、ミソロジーも、フォークロアも、アネクドートもである。それどころか、先程までがなり立て、騒ぎ立てていた魔物達すらも沈黙していた。
「ハロー、諸君」
その沈黙に、声が投げ込まれる。少女の声にしては、恐ろしく深く、重厚である。
「余は生物の祖神、ドロソフィア」
ドロソフィアの両目は、別々に目の前にいる人々を見つめる。そしてまた、にたりと微笑んだ。ぎちん、ぎちっ、と軋む音がして、翼の関節が動く。
「君達に逢いたかった。嬉しい限りだ。だが。だが……」
そのまま、ひた、ひたとドロソフィアが近づいてくる。それにつれて、ずず、ずず、とドロソフィアの背後の生物群体がせり出してくる。
「まずは勝者に、祝福を与えなければならないな」
と、ドロソフィアが倒れている勇者に手を伸ばす。勇者は混乱しているのか、その手から逃れることができない。勇者の視界を、白い笑顔がゆっくりと、占めていく。
「……久しぶりだな、ドロソフィア」
しかし、その背後に魔王が現れる。
持っていた短剣を、ドロソフィアの脳天へと突き刺した。あたりに人知を超えた緊張感が走る。
「んォ」
そのまま、魔王はぐりっと短剣を捻り、ドロソフィアの頭をこじ開ける。すると、黒い液体がどろりと溢れ出す。魔王の顔は、決意と憎悪で歪んでいた。
「去ね、享楽の神。箱庭の餓鬼、去ね!」
ドロソフィアの中からとめどなく黒い液体が漏れ、ついにはドロソフィアの体もグズグズと溶けていく。周囲の魔物達もざわめき出し、じわじわと海へと戻っていく。
そうしてドロソフィアの体が完全に黒い液体と混じり、カランと短刀が落ちた。
「……はぁ、はぁ……」
「ベルッ!」
魔王、ベールゼヴヴはその場にへたりこんだ。バシャッと液体が跳ね、倒れていた勇者の顔にかかる。ベールゼヴヴの配下達が、彼に駆け寄る。
「はぁ、はぁ」
ベールゼヴヴは、ドロソフィアの残した液体を見る。そして、息を切らしながら、呟いた。
「サーターン……」
目に、涙を浮かべる。
「お前の、望み、叶った、ぞ……」
そして、ベールゼヴヴはフォークロアを見た。やり遂げたことを、示すためである。精一杯のカッコつけた笑顔で、精一杯の余裕の演出で、彼女を見る。
しかしフォークロアの視線は、彼女の唖然とした表情は、魔王の隣に向けられていた。
「な……ぁ……!」
「うぐぁああああ、ぁぁああああ」
そこは、ヤイハ・ヤーヌスが立っていた位置だった。しかし、彼の顔の半分は、体の半分は、既に真っ白く染まっていた。彼は残った顔で、苦悶の表情を浮かべる。
「な、バカな、お前は……!」
そしてその真っ白が、徐々にはっきりと形になり始めていた。それは、ドロソフィアの顔だった。
どんどん、ヤイハ・ヤーヌスの占める部位が少なくなっていく。全員が凍りつく中、ミソロジーが、それを切り離そうとする。
しかし、分子が動かない。
(これは……!)
「あ"ぅ……ぐあ、ああ、まお……あ……ばあ……る……ごめ、ん……」
ヤイハ・ヤーヌスの占める部位が、完全に消えた。後には、先程と何も変わらない状態のドロソフィアが立っている。
ぐにい、と口角が持ち上がった。そして、まったく口を動かさないまま、笑い出した。
「へへ。へへへ。hehehe。hehehehehehehehehe!」
順番に、ベールゼヴヴに、アナトに、アスタルトに、指を指して笑う。ミャージッカはその笑い声に、聞き覚えがあった。
ドロソフィアはひとしきり笑った後に、またにやりと口角を上げた。
「……我はね、変化が好きだ。差異が好きだ」
ドロソフィアの顔半分が、再びぐにゃりと歪んでいく。
「変化と差異があらゆる価値を決めていると言っても、過言ではないと思っている。変化してこそ、変化してこそ、変異してこその生命だ。停滞は罪だ。不変こそ大罪だ。変わったモノこそ、変わっているモノこそ、変わったヤツこそ、ボクの恩恵に値する存在だ」
その歪みは、徐々に男性の顔に変わっていく。青い髪の、目鼻立ちの整った精悍な顔だ。
「今回の魔王と勇者の戦いは、まあいつも通りだった。ボクはいい加減うんざりしてきていた。そろそろこのシステムも変えようかと思っていたところだ。だが、だが! だが!」
ドロソフィアはベールゼヴヴを指さす。
「素晴らしい! 君はなんて変わったヤツなんだ、勇者バアル!」
全員の視線が、ベールゼヴヴに向いた。いや、その中で、魔王の軍勢だけは、ドロソフィアを睨んでいる。
「そして、ああ、君は勇者のパーティーの、魔法使い!」
アスタルトを指さし、ドロソフィアは微笑む。
「君は、勇者のパーティーの武闘家!」
アナトを指さし、ドロソフィアは微笑む。
最後に、ドロソフィアは自分を指さした。
「なるほど、体は前魔王サーターンの執事。パフの配下になった時は何事かと思っていたが、そうか……短刀を手に入れるためにね。なるほど、前回の勇者と魔王の戦いは、相討ちではなかったのか。じゃあ、まさか、本当に封印されていたというのか。君たちは人間を敵に回してまで、私を殺そうとしていたのか。アハハハ」
フェイブルやフォークロアは、これまでのベールゼヴヴの、魔王らしからぬ振る舞いを思い出していた。今ドロソフィアが言っていたことが事実なら、あらゆることに合点がいく。
ベールゼヴヴは憤怒の形相で、ドロソフィアを睨む。そして、激昴する。
「お前が、そいつの顔をするんじゃねえ!! クソがァ!」
ドロソフィアは、男の顔でにやりと微笑む。
「そうか、顔魔物と人間の戦いを、終わらせようとしてたね。なるほど、魔王君に感化された勇者君が、それを実現するために、俺の殺人計画を立てていたのか。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ許されるわけがないだろう」
いつの間にかドロソフィアはベールゼヴヴの目の前に立ち、その腹に腕を突き刺していた。ベールゼヴヴは赤い血を吹き出す。
「バアルッ! かは……っ」
「バアルっ……!」
助けようとしたアナトとアスタルトも、ドロソフィアの脇腹から生えた触手に貫かれる。
「勇者、様ッ!」
次々と飛びかかるベールゼヴヴの配下達も、ドロソフィアの身体中から飛び出る液体状のものに、捕えられる。あのドラウニコルも、カリロエもである。
「許されるわけがないだろう。ええ? そんなことをしたら、なあ、平和になっちゃうだろうが、ええ?」
ずぶ、ずぶっと、深く抉っていく。魔王は、憎悪と憤怒の表情を浮かべながらも、なす術がない。
魔王の目から、血涙が流れた。
ドロソフィアは、にやりと微笑む。
だが、そのドロソフィアの頭に、げんこつが直撃する。
「いて」
ドロソフィアの背後に立っていたのは、極彩色の髪の少女だった。
怒った、フォークロアである。
「私の友達に、何してんのよ!」
『人形劇作家』を発動する。
「『止めろ』」
無論、フェイブルも補助をしていた。おそらく自分達神運の四人と同等の存在であると想定したうえで、フォークロアの補助となるよう、ドロソフィアに不幸をぶち込んでいる。
たとえ自分達と同じぐらいの運の良さでも、これは防ぎようがない、はずであった。
しかし、ドロソフィアは笑う。
「丁重にお断りさせていただくよ、ガール」
そして、フォークロアに言う。
「君こそ、君たちこそ、そこで静かに見ていてくれ」
フォークロアは、フェイブルは、自分達の体が動かないことに気がついた。それはアネクドートやミソロジーも同様である。
魔神の言葉に、逆らうことが出来ない。
「アハハハ。グロリアちゃん、ブリテンは健在か?」
「!?」
驚くべきことを言った後、ドロソフィアはベールゼヴヴへと手を伸ばす。すると、ドロソフィアの手が近づくにつれて、徐々にベールゼヴヴの体に変化が起き始めた。足や手が、人間ではない怪奇な形へと変わっていくのだ。
「ぐ……ァアアっ!」
魔王が苦悶の表情で叫び声をあげる。
「君に恩恵を授けよう。素晴らしい変化を与えるぞ。喜びたまえ、君の夢も、希望も、したいことも、記憶も、生き方も、変えてやろう」
ドロソフィアの凶行を、横暴を、誰も止めることができない。フォークロアは、アナトとアスタルトを見る。絶望の表情だ。
恐怖の、悲しみの表情だ。
「う、う………!」
許せない。
許せない。
こんなにも思い通りにならないなんて、許せない!
「う"ぅ……う……!」
アネクドートは気づく。フォークロアが、『暴走』寸前であることを。
(まずい、ここで暴走したら……!)
しかし、フォークロア以上に決意に燃える者がいた。
ごオッ、と青白い何かが、アネクドートの横を掠める。
「!?」
アネクドートは振り向く。
そこには、赤黒い何かではない、青白い何かを発しているフェイブルがいた。フェイブルの表情は、暴走の時ではなく、しかしいつもとは全く異なっていた。
アネクドートは、ミソロジーは、その顔に見とれる。
「大丈夫」
フェイブルは自分の奥から何かが湧き上がってくるのを感じる。しかしそれは、少し前に暴走した時のように、幼い自分ではない。しかし、今までの自分でもない、何かだった。
「僕が、救けるよ」




