健全な幸福
更新が遅れました。申し訳ありません。生活が安定しましたので、更新頻度は上がると思います。
できる限りクロアを傷つけないように、彼女を制する。その方法は簡単だ。近づいて、触る。できれば彼女の頭に、撫でるように。僕の不幸を与える技は、その不幸の大きさに射程距離が反比例する。アネクの、『心理的距離は物理的距離』という言葉通りなのだろう。 ということで僕の最大の不幸で、クロアを制するためには、彼女に密着……つまり距離を積める必要があるのだ。
「さ……かかってきなよ」
くいくいと手でわざとらしく挑発する。クロアはあらゆる心理を究めているが、戦闘においてあまり深読みはしない。それは『彼女達』に共通する性質だ。
「かかってくわよぉぉおおお!」
それにしてももう少し疑ってくれても良いような気もする。阿吽じゃないか……。けど、好機だ。
彼女は両の腕に黒いスライムを刃状にまとわせ、切りかかってくる。僕はそれに対し、赤黒い泥のようなものをまとわせた手を、一直線に伸ばす。
「──『80000《アンタッチャブル・アレゴリー》』」
これに触れるものは全て等しく不幸になる。クロアのその剣が生物なら、問題はない。だがクロアに触るのは一瞬だ……長く触れば彼女が危ない。気を失わせるぐらいで触ろう。
しかし、手が彼女の刃に触れる寸前の所で、僕の手首の側面を何かが掠めた。上から来た……と一瞬の最中理解していた。それは非常に熱く、僕の手は反射的に横に逸れてしまう。
「アハ、ただの素直な女の子じゃ、無いわよ♪」
ずく、と僕の肩口に、刃が食い込んだ。僕は急いで、もう片方の手でその刃に触れ、瓦解させた。クロアは、さっと後退し、にこりと笑った。
「う、う……」
どろり、と血が垂れる感覚がして、服に染み着いて肌に張り付いた。じんじんと激しい熱さが肩にある……鎖骨は、無事のようだ。というか、わざと骨は避けたな……?
けど、まだ痛みが来ないだけ、幸運だ。頑張れアドレナリン。
「……れろぉ」
クロアは刃の先端に付いた僕の血を舐めとって、再び笑った。怖い! 助けてマイさん、アネク……と泣き言を言ってしまいそうだ。言わないけど。
上のあの太陽。あれから放射された光線が、僕の手首を掠めたのだろう。今ちらっと見たら、火傷している。うわー……後で痛いやつだ。
「あなたが動けなくなったら、そこからどうしようかしら……いろんな顔のあなたが見たいわ。ふふ、レイプしようかしら?」
「いやいや、勘弁、してよ……」
よく、僕に当てることができたな、光線を。いや、むしろあそこで当たらなければクロアが危なかったわけだし……上手く自分を追い詰めて幸運を発揮したということか。
ならばどうしよう。このまま身体中をちょっとずつ削られていくのも嫌だ。
「んー……」
よし、これでいこう。
「『1000《ハードラックパラブル》』」
なるべく速い動作で赤黒い槍を放つ。天まで撃ち上がったそれは、紫色に輝く太陽に迫る。
「あら」
クロアが視線を向けると、太陽はひょいっと槍を避けた。ここまでは予想通り。僕の槍は誘導付きだ。君は常に太陽に意識を向け続けなければならない。
「それ……っ!」
その隙に、僕は左手でクロアを触りにいく。クロアに近づいたところで、もう一発右手で上に槍を撃つ。さて、どっちにも意識を向けなくてはならないだろう。どうするクロア。
「アハ」
彼女は笑った。どうんどうんっと上で槍が命中する音がする。えっ、どうするつもり……
「ちょ……っ」
容赦なく、滑らかな動作で僕を斬りつけてきた。とっさに左手をそれに触れさせようとする。しかし、触れた感触はない。空ぶった……!
「ぐっ!」
深くはないが、すぱっと振り下ろした。胸元から腰辺りまでに刃が入る感覚がする。血がある程度吹き出て、彼女の美しい白いドレスに返り血がかかった。
「うひっ」
後退しようにも、そんな隙はない。あれ、よく考えたら……僕クロアに喧嘩で勝てないんじゃ……。彼女は圧倒的な動体視力で、僕の手を全てかわしつつ、浅いながらも的確な斬撃で、僕の血をどんどん体から抜いていく。
一つ段階が進んだ感じがしていたが、これはマズい展開ではないか。どうにかしなければ、僕の全身がストライプ模様になってしまう。
「分かる? あと、一分ぐらいよ」
分かるよ……どうしたものかな。どうにかしようとしていて、気づいた。何故、僕は頑なに勝とうとしてるんだろう。僕の負けでもさっさと終わればいいじゃないか。いや、だめだ、このままいったら殺されかねない。何か、利用できる状況があれば利用したい。
「好きよ、フェイ、あなたが」
「ん」
うーん……やはり、これかなぁ。僕の主義に反するけど、クロアを動揺させる程のやつは、これしかない。これしかないかなぁ、これしかないか。
「く、クロア」
「嫌よ、止めないわ」
「ちっ、違うんだ、いてっ、その……」
僕は腕をだらんと下げて、彼女の剣を浴びる。しかしそのまま、ずかずかと進んでいく。彼女の目を見るんだ、後退させないように。
「え?」
「キス、しよう」
「……エ?」
彼女の顔が真っ赤に染まる。うん、やっぱこの子、まだ僕からの愛に慣れてない。愛するのにしか、慣れてない。彼女の目を見て、僕は顔を近づけていく。恐らく、稼げて一秒だ。急げ!
「ア、や、イェ……」
そして、唇が触れるすんでのところで、彼女の後頭部にすっ、と手を伸ばし、触れた。僕の目の前で、彼女は頭の中で何かしらが起こり、きゅうっと倒れる。
「……ふぅ」
何とか、すんてのところで、終わった……。
はぁ……と僕が安心したところで、途端に、何かが込み上げてきた。何だろう、この感覚。クロアに色目を使ったからだろうか。恥ずかしい? 確かに体のそこら中が熱い。火照ってるのかな。
あ、違う。痛いんだ。アドレナリン、切れたんだ。
「づぅぅうう…!」
思わずその場にうずくまる。
傷口を確かめようとして、切られたはずの衣服が繋がっていることに気が付いた。そんな機能あるんだ……。しかし、やばいぞ。このまま失血し続ければ、危険だ。何か、来てくれ幸運。
「ん」
そう願った瞬間、耳元で声がした。
「わっ!?」
そこに立っていたのは、クロアが刃にしたりしていた、スライムの女性、クリスさんだった。恐ろしく無機質な顔で、僕を覗いている。
「体、治す」
「あ、どうも」
僕の首の後ろから液体が入り込んできて、傷口に満たされていく。そしてそれが引いた頃には、痛みは消えていた。
「クロア。終わったらあなた治す頼んだ」
「え」
「あなた苦しめたい。あなた苦しんでほしくない。同じこと」
まるで、クロアのセリフのようだった。ま、そうだよね。さて、彼女らのところに戻らなくてはいけない。
「君、クロア運んでくれるかい?」
「あなた運ぶ。クロア喜ぶ」
「は、はい」
僕がクロアをおぶると、にゅるんっとクリスさんが体を変化させた。それは、湖の上にかかる橋となり、対岸へ続いている。
僕は彼女を背負って、その橋を渡っていく。ゴムみたいな感触で、歩きやすい。僕が足を踏み入れた途端に、ぼっぼっと明かりが灯り、足元を照らした。
「クロア、起きてる?」
しばらく歩いたところで、彼女に話しかけた。
「むにゃむにゃ」
「起きてるね」
「アハ」
しかし、こうしておんぶしていると、本当に小さいなこの子は。
「ね、楽しかったでしょ?」
「ん……うん、スリル、満点だったよ」
「またやりましょうね。今度はアネクとマイも一緒に!」
「いや、あの二人には僕はマジでかなわないから勘弁して……」
ひとまず、満足してくれたようで何よりだ。彼女が落ち着いてくれなきゃ、エン=ティクイティと話せない。
「アハ、まあまたやる機会があるわ。私の考えが正しければね」
「えー……」
ちょっと勘弁してほしいなぁ。
「ね、まだ百メートルくらいあるでしょ。何か歌ってよ、あなたのカワイイ声で!」
「歌?」
カワイイ声のクロアに言われてしまっては恐縮だが、歌か……。そうだなぁ……。
「……ハーバーナギラ、ハーバーナギラ、ハーバーナギラ、ヴェニスメハ♪ ハーバーナギラ、ハーバーナギラ、ハーバーナギラ、ヴェニスメハ♪」
昔から知っている、どこで覚えたか分からない、しかも何語かも知らない歌だ。でも、昔から口ずさんでいる。まるで、生まれた頃から知っているみたいだ。
「ん……それ知ってる」
「えっ、本当?」
「歌お、一緒に」
「あ、うん」
すう、と息を吸って僕たちは歌い出す。
「「ハバーネラネナ、ハバーネラネナ、ハーバーネラネナーヴェーニスメハ♪ ハバーネラネナ、ハバーネラネナ、ハーバーネラネナーヴェーニスメハ♪」」
後から知ったことだが、この歌はイスラエル民謡で、『共に幸せになろう』といった意味が込められている歌であった。何故僕達は、この歌を知っているのだろう。何故僕達は、この異世界の地で、楽しくこの歌を歌っているのだろう。
「「ウールー、ウルアイーム、ウルアイームベレサメァ♪ ウルアイームベレサメァ♪ ウルアイームベレサメァ、ウルアイィーム♪」」
そういうことを、あまり考えないで僕達はただ、ちょっと不思議な雰囲気を謳歌していた。うん、こういうのは、悪くない。健全な疲労の後の、健全な幸福だ。
そしてエン=ティクイティのところに帰還すると、メアニーとティカが、明かり片手に僕を見て安堵の表情をした。たたっと僕の方へ、駆け寄ってくる。
「フェイッ!」
「無事だったんだな」
「うん、ありがとう」
メアニーが僕の背中のクロアをちらっと見て、驚いた。恐らく気絶していると思っていたのであろう。
「この子は……」
「クロアっていうんだ。僕の……妹みたいな子かな」
「お嫁さんよ。よろしくメアニー」
「お嫁、さん? う、うん、よろしくね」
僕のことを女の子だと思っているメアニーには、お嫁さんという表現はぴんとこなかったらしい。僕も訂正しようかとも思ったが、なんだかそんな気分でもないので特に言わなかった。
「アハ。そんな顔しないでよ、ティカ」
「えっ?」
「なっ!」
唐突なクロアのティカへの話しかけに、僕達はびっくりした。やはり、この二人どこかで知り合ったのだろうか……?
「な、何のことだ」
「嫉妬を感じたわぁ。ま、あなたも虜になったのよね。だから今、こんな暴挙に出てるんでしょ?」
「だ、だから何のことだ!」
どうどうと背中のクロアをぽんぽんして、僕は心配なのでティカを見る。何か、大変なことを抱えているのだろうか、彼女は。その僕の視線に、ティカは恥ずかしそうに視線を逸らすだけだ。
「ふむ、終わったようだね」
「あっ」
暗くて気づかなかったが、エン=ティクイティが僕達の近くまで歩いてきていた。その姿は、エンジに近いのだが、腕が四本になっており、それぞれの手にアーティファクトを持っている。
「私の見立てでは森が全壊すると思っていたのだが、ふむ、半壊で済んだようだ」
え、そんな甚大な被害出てたのか。暗くてよく分からないけど……クロアの紫色の太陽の被害だろうか。
「色々聞けたよ。君が戦っている間」
メアニーが僕の耳元で囁く。
「あ、良かったね!」
「うん!」
では、僕の番だ。彼女はどこまで知っているのか分からないが、どうやら僕のことも知っているようだし、クロアがここに来ることも知っていた。ならば色々と、聞いてみよう。
「あの、エン=ティクイティさん」
「なにかな」
「あなたは、ずっと生きているんですよね」
「そうだ。まぁ何せ、最初に作られた魔物だからな。私は」
「魔物は、作られたんですか」
「うむ、ドロソフィアによって」
ドロソフィア、確か、神様だっけか。
「ええと、それで、なぜ僕とクロアのことを、知っているんでしょうか」
「知っている?」
「あの、ほら、僕が運が良いこととか、クロアがここに来ることとか、知っていたじゃないですか」
「ああ……」
エン=ティクイティが天を見上げる。
「神に、聞いたよ。君たちのことをね」
やはり、あの『神の配下』とかいう四人組が僕達のことを知っている風だったように、どうやらある程度神に近い者達は、僕達のことを知っている。
「僕達の世界は、知っているんですか?」
「実際に行ったことはないがね。君たちの世界の情報はよくこちらに流れてくる」
「え……」
それは、少し恐ろしいことだ。僕達の世界はこの世界のことを何も知らないのに、この世界は僕達のことを知っている。
「えっと……」
「この世界は何故作られたの?」
僕が次の質問をする前に、クロアがひょっこりと僕の背中からエン=ティクイティに尋ねた。その質問は、僕も意外というか、思いつかないものだった。
「ふむ、何故、か……」
「だって、神が作ったんでしょ? この世界。私達のやつと違ってさ。ならそこに、目的か、理由があるでしょ」
言われてみれば、その通りである。
「知らなくは、ないな」
「あら、じゃあ教えてくれる?」
「いや、私が教えなくとも、君たちはもっと分かりやすい形で分かることになるだろう」
「ふぅん……」
「そしてそれは、君の先程の質問への答えにもなるだろう。メアニー」
「えっ」
メアニーの顔を見た。彼女は、大きな目を見開いて驚いている。
「先程の、とは、『何故私が王族の子を残さなきゃならないのか』という問いですか?」
「うむ、フェイについて行きなさい。そうすれば、分かるだろう。君の、望む自由がそこにある」
「え、そんな……」
「本当だ。そして」
さらにエン=ティクイティはティカの方を見た。彼女も何かを聞いていたのだろうか。
「君の予想通り、願う通り、このフェイが不条理を砕く糸口になる。君も、この子についていきなさい。カオティコル」
え?
「え?」
「え?」
「な"!?」
「あら、言っちゃうのね」
言い間違いだろうか、言い間違いにしてはどんぴしゃ過ぎはしないだろうか。しかし、このティカの反応、愕然とした表情を見る限り……そして、魔王の陣営にいたクロアと知り合いであるところから考える限り……。
「え、ティ、ティカ……君……」
「お、お前は、気づいてただろう……」
それは、多分僕(幼)だと思うんだけど、そうか、あいつは気付いていたんだな……。
「何の話だい? ティカは本当の名前はカオティコルって言うの?」
あ、この子は知らなかったのか。それはありがたい。もし、ティカが本当に怪死竜カオティコルだというのなら、僕が葬ったはずのカオティコルだというのなら、ありがたい。
「そ、その話は、そうだね……後でしようか」
「あ、そ、その、フェイ」
「大丈夫、聞くよ。大丈夫」
彼女の表情から、何か企んでいるようには感じない。というよりは、何かに焦っており、何かを求めているように感じる。あの巨大で凶悪な街を襲った竜が、僕に何を求めているのか、それは気になるところだ。
「君たちは、大きな流れの上にいる。全ては誂えたように進んでいく。それでいい。フェイ、クロア、君たちは運命を持たない。君たちが運命だ。運命は君たちの足下にある。そのまま、進みたまえ」
エン=ティクイティはそう言った。僕は、その言葉を反芻する。
「あなたは……」
「さて、また大きく動くぞ。君の街が危うい」
「僕の、街?」
「いや、メアニー、君だ」
「え!?」
メアニーの街。それは、僕がついこの前までいた、アイレス王国の首都テリジオンのことだろう。それが、危ういだって!?
「さぁ、急ぎたまえ。テリジオンがもう襲撃されるぞ」
エン=ティクイティは、無機質な表情で、僕達を見た。先程までの健全な幸福が、崩れたような気がした。そういえば、僕はあの街で指輪を外していた……。




