寓話と民話
「……」
夕日が輝き始めた。湖は黄金色の光を反射し、僕たちを照らしている。穏やかな就寝準備が、一瞬で緊張感を増した。ティカとメアニーは全く理解できていないようで、僕とエンジ?を交互に見ている。
僕も、正直思いつきで、直感で発言してしまったのだが……しかしアネクは言っていた、僕たちの直感は、当たっている。
「……君は運が良いからね」
そう言った。『運が良いんだね』ではない。『運が良いからね』と言った。つまり、この目の前の者は、僕を、フェイブルとして知っている。
「初めから見つかってしまえば大丈夫かと思っていたが、弥速、運というのは恐ろしい」
僕の、予想通りだった。というか、そうか、そうなんだ。この目の前の人が……エン=ティクイティ。4000年以上生きた、生物。
「え、え……え? どういう、ことだい……?」
メアニーが、わなわな震えながらエン=ティクイティを指さす。困惑ここに極まれりといった表情だ。
「……どうもこうもない。この私が、エン=ティクイティだよ、諸君。お初にお目にかかるね」
そして、僕たちが何かを言おうとした時、エン=ティクイティはその褐色の指をすうっと夕日へ翳した。彼女の立ち位置ゆえ、その姿は夕日を背負い、神々しく見える。
「所詮どちらかなのだ。単なる荷物運びの娘として見守るか、長らえた者として見守るかのどちらか。それが、すんでのところで覆されただけなのだ」
そう言って、彼女は、翻って夕陽を睨んだ。ように見えた。
僕は尋ねる。
「何を、見守るんですか」
エン=ティクイティは答える。
「喧嘩を。備えたまえ、来るよ」
そして、夕日が消えた。代わりに、黒いカーテンが空の端から迫ってくる。
「な、何だ!?」
メアニーは声を上げる。僕もそれに目を凝らす。凝らしていくと、見えてくる。それは、正確には黒くない。絵の具をごちゃ混ぜにしたように、様々な色の何かが混ざるように密着してこちらへ向かっているのだ。
「……魔物だ」
ティカが呟いた。そして、到達する。魑魅魍魎という表現が最もしっくりくる軍勢は、爆音じみた鳴き声とともに空を覆った。巨大な鳥の頭を持った翼の生えた人、ムンクの叫びのような形相で揺らめく亡霊、虹色に光る巨大な昆虫、肉の腐り落ちた竜、筋骨隆々の紫色の肌をした有翼の悪魔。その例を上げればキリがない。
「な……これは……?」
エン=ティクイティは僕のその呟きに答えることなく、その場にゆっくりと腰をかけた。
そして、再び直感。このイヤな予感……『あの子』が来る!
「フェェェエェエイイィイィイィイィイ!!!」
鈴を転がすような、というよりは神社にあるあの巨大な鈴を盛大にガッシャンガッシャ鳴らしたような絶叫と共に、黒い空から一つの光り輝く点が現れた。徐々に、それが人型であることが分かる。人だ。というか……フォークロアだ!
「アァイラァァアヴゥゥユゥウウウゥウウウ!!」
愛の言葉を叫びながらも、その左手には何か黒く巨大な刃の形をした何かが握られている。そしてそれを構え、僕に向かって、振り下ろした!
「うわぁっ!?」
みっともない声と動きで僕はそれを避ける。刃は地面を切ったのか切ってないのか、それが判別できないほどの切れ味でサンッと音だけが鳴った。
「ウフフフフフフ」
僕が体勢を立て直してクロアの方を向いた時には、彼女は僕の目の前に来ていた。ちらっと横目でメアニーとティカを見る。二人は自分の身体が動かないことに驚いている表情だ。
それでいい。動かないでいてくれ。
「や、やぁ、クロア。久しぶり」
「ウフフフフフフ」
ちょっとは反応してよ! 怖い怖い! え? あれ、おかしいな、この子反省したんじゃなかったっけ。何で僕の命狙ってんだろうこの子。情緒不安定過ぎやしないか。
と、思った矢先、彼女が両手を広げて飛びついてきた。
「ふぇいっ!」
暗かった周囲の景色が、再び明るくなった。魔物が全て僕たちの頭上に集まり、夕日を隠す物が無くなったからだろう。黄昏の光に照らされて、彼女の可愛い顔がよく見える。
「のわぁっ」
僕はとっさに、彼女を受け止める。小さくて温かくていい匂いのする身体が、僕の腕の中に収まった。
「久しぶりっ!」
そして僕に、満面の笑みをぶつけてくる。彼女の服はあのキラキラした綺麗なドレスであり、また彼女の髪も相変わらず極彩色に輝いている。相変わらず、ぞっとするほど可愛い顔だ。
「あはは……元気だったかな?」
「ウフフ! 超元気だったわよあなたも元気そうね! 大好き!」
「あはは……」
止まらないハイテンションだ。というか、何故クロアがここに? さらに言うなら、上の軍勢は、彼女による物なのだろうか。聞いてみよう。
「クロア、なんでここに? 上のは?」
「エン=ティクイティを手下にするためよ! 上のは私の手足!」
「え"っ」
ばっとエン=ティクイティを見た。彼女はゆったりと空を眺めてから、僕の視線に気が付いた。そして、再び空を眺める。
「アレがそうなのね。強そう!」
「い、いや、クロア、僕は……」
「でももういいわ! 強くなるためにあいつが欲しかったけど、私もう十分強いもの。これであなたと、喧嘩できるわ」
クロアはそう言った。喧嘩、その文言に僕はイヤな予感が迸る。エン=ティクイティの言った言葉の意味が分かってきた……というか、彼女は一体、どこまで知っているのだろう……。
「ね、フェイ。あそこにいるの、フェイの仲間?」
ティカとメアニーを見た。
「……うん、仲間だよ」
「ウフフ、あなたも幸せを探してるみたいね、見つかった?」
「うーん……どうかな」
山あり谷ありだったけど、続ければ日常になるかもしれない。今現在ぶち壊されそうだ。堪忍してくれ。
「私は見つけられそうよ。こういうの日本語で何て言うのかしら、失って初めて気付く? あなた達と離れてみて、あなた達の色んなことを共有するのが私の幸せだって気づけたから」
だから、と言ってクロアは立ち上がった。ふむ、なるほど、愛の深い彼女なりの幸せか。しかし、それと喧嘩にどういった関係があるのだろう。
彼女のドレスの袖から、石油のような極彩色の煌めきをまとった黒い粘液が滴る。それは重力に逆らい、彼女の手を覆い始めた。
「さあ、喧嘩をしましょ」
「ははは、またまたご冗談をォッ!?」
再びサンッ。容赦がない。僕と何を共有するっていうんだこの子は。今のところすさまじいすれ違いの最中にいると思うんだけど……仕方ない。ちょっと落ち着いてもらおうじゃないか。
今の僕は、普通に強いぜ。
「なら……『ランブル』!」
即座に腰から『ソドムの一片』を取り出し、突き出し、呪文を唱える。割と大きな声で、すなわちかなりの威力で、杖から大量のイバラが放射される。それらはクロアを縛り付けようと全方向から襲いかかる。
「アハハ!」
高らかな笑いと共にクロアはそれを切り刻む。あれ、これ切れないやつじゃないの? 参ったな、クロアをなるべく傷つけないようにしたかったんだけど……
と、僕がまごついていると、クロアは別のアクションを取り始めた。彼女の周囲に沢山の黒い滴が浮かび始める。
「……?」
それらは、唐突に膨張し、粘土のようにぐにぐにと変形し始めた。まばたきを数度する頃には、それらは巨大なおぞましい魔物に変貌していた。
「キュウエエッ」
「ワォオッ」
そのうちの二体である出目金みたいに目の突出した怪鳥と、鋭い角を持った白い毛の大きな犬が、僕に襲いかかる。
「『インフラマブル』!」
落ち着いて僕はそれに対処する。
たちどころに地面から現れた黒い炎は、二体をすさまじい勢いで飲み込み、消した。しかし、疑問は消えない。
クロアの最大幸福『人形劇作家』はあらゆる心と行動を司るもののはずだ。しかし、先ほどから起きているのはまるでマイさんの最大幸福のような自由度である。
「いったい……あれ?」
炎が晴れると、クロアがいない。
「やばっどこっ……!?」
後ろを振り向くと、ティカやメアニーがいる。上か、と上を見上げた瞬間、僕はティカ達の方にぶっ飛んだ。背後からの攻撃だった。クロアは、前にいたのだ。
「がっ、ぐっ……!」
攻撃される瞬間、僕はその一撃を目にした。クロアの凄まじい勢いのドロップキックだった。臀部に激しい痛みが走りつつも、僕は立ち上がる。クロアは、恍惚な表情をしていた。
「はぁぁ……フェイのお尻蹴っちゃったわ♪ 柔らかいお尻が私の足に潰されて、痛かったでしょ?」
「……いや、今はアドレナリン出てるから分かんないよ」
「ふふふ、あなたに幸運がなければ、そのアドレナリンも消してあげられるんだけど!」
クロアが両手に黒い刃を構え、地面を滅多切りにしながら僕に迫ってきた。このままでは、ティカやメアニーが傷ついてしまう。そう考えた僕は湖の対岸へ向けてソドムの一片を構えた。
「『ランブル』」
イバラは対岸に生えている一本の木の幹へと巻き付いた、はずである。よく見えないけど。そして、僕の意志に従って、そのイバラは高速で収縮し始める。僕の体もぐんっと浮き、湖を横断する。時折足がばしゃりと水面につき、飛沫があがる。クロアも追ってきた。
「アハハ! 本当に大事なのね! 妬けちゃうわ!」
「大事っていうか……っと。まぁ大事ではあるけどさ」
何とか着地して、体勢を整える。
「……それより、どうしたんだいクロア。その攻撃、君の最大幸福でやってるようには見えないけど」
「え? ふふ、まぁ教えてもいいかぁ。出てきて!」
クロアがそう言うと、彼女のドレスの中からヌルリと黒い粘液が顔を出した。それは、どこに入っていたんだというくらい大量で、ついには彼女の足元に黒い水溜まりができた。
そして、その中からぬうっと女性が現れた。局部のみが黒いもので隠された際どい格好で、その毛髪や瞳は、あのタールの黒い極彩色だ。
「クリスよ。私の仲間」
「ん。よろしく」
「あ、どうも」
喋るんだ……。だが、そうか。何となく理解できた。どんなものにでも変身できる、スライム系の魔物。それも相当強力なやつなのだろう。クロアはそれを意のままに操ることで、あのパフォーマンスを発揮しているようだ。
「どう? これがフェイよ?」
「超可愛い」
「ど、ども……」
「クリスは食べたものなら何にでもなれるの。でも、それって、食べた物から情報を得て自身の体組織を変化させてるんだから、私が命令すれば基本的に何でもなれるってことなのよね」
そう言うと、クロアはクリスの手を握った。ぐにゅうりと身体が歪み、大きな剣になる……とおもっていたのだが、どうも違う。
「だーかーらー」
それは複雑な筒のような形状になっていき、最終的に完成したものは、僕の記憶と照合するならば、ガトリングと呼ばれるものだった。
「キャヒャヒャハハハハハハハ!」
「嘘でしょっ!?」
一目散に森の中へ走り込む。耳をつんざくような発射音と、僕の周囲を飛び抜ける恐ろしい気配。生物の身体からガトリングを作るってどうするんだよ!?
「血を流してフェイっ! 一緒にボロボロになろぉっ!」
恐ろしい文言がはるか後ろから銃声とともに聞こえてくる。僕は暗くなっていく足元に不安を覚えつつもとにかく走った。
「もっと良いものを共有しようよ!」
途中、音が変わった。ドバドバドバと何かを吐き出すような音だ。僕は立ち止まる。もし僕よりクロアの運が良いなら、彼女は僕を見つけられる。クロアより僕の運がいいなら、僕は見つからない。
さあどっちだ、と思った矢先。僕の周囲に何十体もの魔物が降りたった。
「ん?」
上から来たのか……いや、よく見れば空からは大量の魔物が降りてきている。これは……人海戦術!
「オォオオオォン!!」
狼型の魔物が雄叫びをあげる。おそらく、僕の場所を知らせるために。運任せじゃない。クロアは確実に僕を仕留めようと考えている。
対策を考える前に、僕を魔物たちが襲う。
「『グランブル』!『グランブル』!」
破壊光線の如き稲妻が魔物たちを消し飛ばしていく。本当にゲームしてるみたいだ。もう少し、明るいと見やすいんだけど……適当に撃っても全部当たるのが幸運のいいところだ。
クロアはまだ来てない。とりあえず片づけて、ここを離れよう。そう思って僕は目の前の巨大なトカゲのような魔物に向けて雷撃をぶち込んだ。しかし、イヤな予感。
「ゃあっ!」
「いっ!?」
中から、クロアが飛び出てきた。そういう方法もあったか! 駄目だ、近すぎる。このまま彼女の顔面に、何か攻撃を浴びせるのは嫌だし……足下だ!
「『ディブル』!」
ガゴンッと僕の足下の地面が凹み、僕は辛くも彼女の斬撃を避けることができた。しかしそれは緊急策だ。次の手を……と上を見た。クロアが空振っているのがスローモーションで見えた。
ここに、隙があるじゃないか。
「『ランブル』!」
三度目のイバラが、クロアの身体を捕らえる。
「きゃあっ」
僕は地面の凹みから抜け出し、彼女を見た。イバラはいい感じで絡み、彼女の動きを封じている。よし、これで落ち着いてくれる……
「アハハハ! 痛いっ、刺さってるよぉフェイ! もっと痛くしてぇっ!」
全然駄目だった。むしろ彼女の興奮を助長してしまっているようだ。
「た、楽しい?」
「ええ! あなたは楽しくないの?」
「え? うーん……」
「分かるわよ、私には。心の中ではブツブツ文句言ってるけど、何だかんだ楽しいでしょ? 男の子だもん。体動かしながら、バンバン杖から魔法撃つのは、楽しいわよね!」
言われてみると、意外とそうだった。流石に、心のプロといったところか。
まーちょっとクロアが怖いなあというのを除けば、こんなにビュンビュン動いて魔物を倒しながら戦うのは、楽しいかな。幸福とは違うかもだけど。
「でも、もっと命のやり取り感がないとツマらないわよね。なーなーのごっこ遊びじゃあねぇ」
「ええ? いいじゃないか。そのぐらいが平和で……」
そう言いかけた時、僕はクロアの笑顔に裏があることに気が付いた。
「やーよ」
ぬるりと、僕の首に細い腕が後ろから絡むのを感じた。次の瞬間、僕は首をがっちりとホールドされ絞め上げられる。視界が歪む。目の前のクロアも、ぐにゃりと歪んで溶けた。
いや、違う……この後ろの首を絞めているのが!
「はぁあ……フェイの温もり……」
クロアか! そういうこともできるのか。自分に似せて喋らせる……よく考えれば出来ない方が不思議だった。
「う、ぐぅ……」
唇が妙に痛いのは鬱血しているからか。思えば首を絞められる経験はほぼ0に近い。どうすればいいか分からないし、思ったよりキツい!
何か……これは、どうだ。
「……『バブル』!」
僕の周りから、黒い水が溢れ出す。クロアはそれに触れる前に、バッと僕から離れた。酸素が一気に回復し、頭がくわんくわんする。
「ふふ……そろそろ、お互い本気出しましょうよ。あなたも、不幸を使ってこないじゃない」
「いや、はぁ、あれは僕が可哀想だなと、はぁ、思った奴とか、コラッて思った奴にしかできないからさ……」
「ふぅん……」
クロアが何かを考えるように遠くを見た。あっ、この子メアニーとかティカに手を出すつもりだな!
「い、いやっ、大丈夫、いけるいける。本気出すよ。だからティカやメアニーには止めてよ?」
「メアニー、ティカって言うのね。大きいのがメアニーで小さいのがティカ?」
「え? うん、そうだけど……」
「ふぅん……ティカって名乗ってるのね」
そうクロアはぼそりと呟いた。何だ、どこかで会ったことがあるのだろうか。どういう接点なのだろう。
「ま、いいわ。ね、フェイ! 早く本気!」
考え終わる前に、クロアに急かされてしまった。
「う、うん……」
マイさんから教えてもらった、僕の呪文。どうやら暴走していた時に使っていたらしいのだが、それは火、水、土、雷、木といった感じにいい感じに元素的に分かれている。その中に、分類不明のよく分かんないやつがある。それはよっぽどの時にしか使わない方が良いと言っていた。
「……えーと『ブランブル』」
すると、クロアの偽物を捕まえていたイバラがスルスルとこちらに伸びてきて、先端を膨らませ、遂には一個の黒い苺ができた。
え? 何これ。
「ん? ん!」
クロアが楽しみそうに僕を見ている。どうすんだこれ。投げればいいのかな。いや、食べるのかな、回復アイテム的な……そんな疲れてないんだけど。
と、思いつつも僕はそれをもぎり、口へ運んだ。ぐじゅり、という触感とともに、果汁が口の中へ広がる。甘い……美味しい……でも、何これ。
「わあっ!」
クロアが歓声をあげた。何事かと思って自分の周囲を見てみると、あの『1000』のような赤黒いオーラが、僕の全身を覆っている。さらに、僕のゴスロリに付いている宝石は、ギョロリと目を輝かせている。
「それって、マイが話してたフェイの本気modeじゃない! やったぁ!」
クロアは嬉しそうにしながら、空へ高く叫んだ。
「Ahhhhhhhhhh!」
すると、空を覆っていた魔物たちが凝縮し、一つの球体になった。それはたとえるなら紫色に光る太陽。夕日が沈んだ暗い空を、再び照らしている。
さらに、その太陽から閃光が走った。それは一瞬で僕たちの周囲の木々をなぎ倒し、あたりは大きな焼け野原となった。
「ウフフ。マイとアネクと戦ったとこと、似てるでしょ」
「いや、記憶が無いから解らないけど……でも、やろうじゃないかクロア」
僕も色々、エン=ティクイティに聞きたいことがあるしね。僕が負けるにせよ彼女が負けるにせよ。とりあえず、簡潔に終わらせよう。
うおんっ、と僕は両手に赤黒い槍を握った。




