肉塊の主(ムナグアラフ)・3《side anecdote》
アネクドートはなぜミソロジーが動揺し、困っているのか気付いていた。ミソロジーはとにかく、このヴィットとかいう奴と冒険を続けたいのだ。その為にも、この肉塊の主をヴィットの前で無残に殺すことは出来ない。
そして、助けることも。
助ければ、ヴィットの目的は達成されてしまう。そうなると、ミソロジーが彼を連れ回すのは、横柄になる。無論ミソロジーはその横柄を通すことが出来るのだが、それは彼女の美学に反するのを知っている。
(何より、我らは一度こうしようと思った通りにならないのに、慣れてねぇ。予定を、計画を変更すんのが、苦手だ)
「マ、マイ……」
「……大丈夫です」
不安げなヴィットの問いかけに、その言わんとしていることに、ミソロジーははっきりと答える。しかし、その内心は揺れていた。
(多分、あの剣、そしてあの宝石を破壊すれば、彼女は解放される。しかしそれでは……彼女が助かってしまう。どうすれ──)
思考が固まる前に、肉塊の主は仕掛けてきた。ドウンッという地面を蹴る音と土煙が舞い、まずはミソロジーに向かってその臙脂色の刀を振り下ろす。
ひゅんっ、と肉塊の主の背後に回り込んだミソロジーは、先ほどまで自分がいた地面が、十メートルほどに渡って吹き飛んでいるのに気付いた。刀を振った衝撃波だけで、この地形変化だ。当たればひとたまりもない。
当たればの話だが。
「まぁ、穏便に済ませんのが一番だよな」
さっ、とアネクドートがミソロジーの隣りに移動した。
「それは、そうですが……」
「試してーことがある。時間稼いでくれや、なるべく長く、な」
「……? 分かりました」
ミソロジーは言われたとおり、肉塊の主の前に立ちはだかる。肉塊の主は素直に、彼女に切りかかる。
(何を……するつもりなのでしょう)
穏便に済ます、の意味はミソロジーも理解している。
ようは、動きを止めるということだ。そうすれば、依然として問題は解決しないまま、ヴィットと姉を助けるために神に立ち向かう構図ができる。
しかし、先ほどから試しているとおり、この肉塊の主は相当ガッツに溢れている。止めたところですぐに動き出してしまうのだ。
「おっ、と……」
刃の切っ先が、僅かにミソロジーの髪をとらえた。はら、と数本の黒髪が空に舞う。風が強くなってきた。
(このタイプの奴は、私達の最大幸福で仕留めることができず、逆に私達にある程度攻撃することができる。アネクの魔法で動きを止めようにも、それが彼女の最大幸福である以上、あまり効果はなさそうなのですが……)
しかし、信用する。アネクドートの言うことは、信用できる。刀をかわしながら視線をやると、アネクドートは何やら細い青白く輝く円柱を、ゆっくりと手のひらから召喚している。
「……何でしょう」
言いつつ、再び刀をかわす。
先ほどより、動きは洗練された気がするが、これが追い詰められた肉塊の主というやつなのだろうか。あまり、脅威には感じない、そうミソロジーは評価した。
あの黒い男と天使じみた少女の目的はなんだったのだろう……と、思考を巡らせるも、ピンとはこなかった。
「う……」
一方、ヴィットは自身の無力感にただただ震えているのみだった。
目の前にあれほど夢見た姉がいるのに、何もしてやれない。どころか、仮に彼女が殺されそうになったとしても、自分には止めることが出来ない。
(悔しい、悔しい……!)
心の隅で、ミソロジーなら何とかしてくれるんじゃないかと思っている自分が悔しい。子供の頃、姉が売られ、連れ去られていくとき、自分が強かったら、と、あれほど唇を噛みしめたのに、結局大事なところで再び悔しがっている自分が憎い。
「ヴィットちゃん!」
ミソロジーの声がした。自分の目の前に、瓦礫が迫っていた。ヴィットは横に身をかわし、何とかそれを避ける。
その刹那、ヴィットは当然、ミソロジーと自身の姉の方を見る。ミソロジーはこちらの方を心配そうに見ていた。そして姉は、こちらには意識を向けず、ミソロジーの方を見ている──そう思っていた。
しかし、姉は、ヴィットを見ていた。
それも、恐ろしい形相で。
「ヴ、ヴぃ……ヴヴヴヴヴヴヴヴヴ」
ミソロジーも異変に気付く。
これまで鉄仮面のような無表情をしていた肉塊の主が、感情を露わにしたのだ。
「ヴィイィイィットォォオオオオオオオオ!!」
ダダダダダダダッとマシンガンの連写のような音でヴィットの方へ走り出した。ミソロジーは反射的に、ヴィットを自分の元へ瞬間移動させる。
肉塊の主の剣は空振ったが、衝撃波で周囲の地面や瓦礫が浮く。
「あ、あ……」
ヴィットは、困惑し、恐怖していた。優しかった姉が、一度も見せたことのない顔だった。
「ぐにぃッ!」
体の振り向く速度に間に合わず、首だけがこちらを向いた。
ぎゅうっ、とミソロジーがヴィットを自分に引き寄せた。
再び、こちらへ向かってくる。さっきより速い。ミソロジーは斬撃を、瞬間移動でかわす。
「おっ、お、オ」
肉塊の主が何かを言おうとする。
恐らく、肉塊の主はこの四本腕の少女がヴィットだとは気付いていない。しかし、狂気の中にいる彼女は、最早ヴィットと呼ばれたモノは、全てヴィットなのだ。
「お"まぇがオンナだっタラよがったんだ!!!」
びくっ、とヴィットの肩が震えた。
「どれぃになるのが、お"まえだったラよかっだんだァァァア!!!」
しっちゃかめっちゃかに、刀を振り回し、辺りの地面は使い古したまな板のようになる。それでも、ミソロジーとヴィットには傷一つついていない。しかし、ヴィットは傷ついている。
「ぅ……ぐず……」
表情を苦悶に歪ませ、目と鼻から汁が垂れている。
ミソロジーはそれに気づき、何かを言おうとする。
「……」
だが、意外と、何も言えなかった。自分が不都合を感じるなんて、と驚きつつ、とにかく、ヴィットに声が届かないようにしようと思った。
指をパチンと鳴らすと、空から土の壁が何重にもなって降ってくる。積み木のように、肉塊の主を取り囲み、見えなくなった。
が。
「ヴィイイイイイイッ!!!」
その土壁も、一瞬で吹き飛ばされる。
「トオオオオオッ!!」
肉塊の主は鬼気迫る怒りの表情で、二人に向かってくる。
「……うるさいなぁ」
肉塊の主に、ミソロジーは手をかざす。すると、地面がせり上がり、液体のように柔らかくなり、肉塊の主を包み込む。当然、斬撃がその土を切りつけるが、土はむにゅうっとゴムのように伸び、再び元の形に戻った。
一旦これを封じたように見える。恐ろしいほどの表面の波打ちが、中でいかに肉塊の主が暴れているかを物語っているが、脅威は一旦封じたようだ。
「アネク、進捗どうですか」
「あと二分だ」
「ふむ」
それならば、問題はなさそうだ、そうミソロジーは考え、ヴィットの方を見た。
「うぅ、ぅ……」
「……」
(んー……何となく、察するけど、なんて、言ってあげればいいかな。何も言葉が浮かば……)
そこまで思考して、気づいた。自分は幸運だ。ヴィットを慰めるという目的で何か言えば、それは達成されるはずである。それが、何も言えないということは……。
(かける言葉がない、か……)
はぁ、とミソロジーは心の中でため息を付き、肉塊の主を包んだ土の塊を見た。動きが無くなっている。
直感した。こういうのは、危険なやつだ。
「アネ──」
言い切る前に、ミソロジーは肉塊の主の初動が見えた。土の塊の中から、細い針のような物が、まるでイガグリやウニのように、飛び出してきたのである。ミソロジーは迷わず、ヴィットを抱えアネクドートの前に立った。その針は、三人の体に上手い具合で当たらず、横をかすめていった。
(私達に、そういうのは効かないんですよ)
確かに量、範囲はとんでもないが、こういう数打ちゃ当たるという戦法は、神運の彼女達に何の効果もないのである。
そろそろ時間だ。ミソロジーは肉塊の主への拘束を解いた。バラバラと土が崩れると、中から平然とした顔の肉塊の主が現れる。怒りが消えているのだ。
「……?」
少しミソロジーは疑問に思ったが、どちらにせよもう終局だ。気にしても仕方ない、と片付けた。
「ヴィットちゃん、今からあなたのお姉さんの動きを止めます」
「えっ、あ」
「殺しません。大丈夫、元に戻す方法も必ずあります」
ヴィットは喜んでいいのかわからない、といった顔をした。先ほどの言葉が頭に反響しているのだ。
「どうです、アネク」
「よし、いいぞ」
アネクドートの周りには、青白く細い円柱が何本も浮かんでいた。その一本一本から、神妙な光が溢れている。
「どういうことなのかは、後で聞きますね。とりあえず、どうすればいいのか、教えてください」
「連続で全て当てる必要がある。できるだけ引きつけて、一瞬動きを止めてくれ」
「了解です」
そして、肉塊の主はこちらに向かって走り来る。その体に付いている肉塊は僅かで、洗練されている。その構える刃も、細く、洗練されている。
洗練されている──?
いや……?
「癸級魔法・『まつろわぬ神への平定』」
ミソロジーが疑問を抱えながら、肉塊の主の周囲の空気の動きを固定した。それだけで、びしっと一瞬動きは止まる。アネクドートが放ったその青白い柱は、一発、まず肉塊の主の腹に命中する。するとその接地面から、肉塊の主の体が青く固まり始めた。
「ぐぅ」
数コンマ秒置いて、二発目、三発目と命中する。10発も青白い柱が突き立てられる頃には、ほぼ完全に青い層が包み込んでいた。しかし、まだ柱は止まらない。
最終的には、およそ八十八本の柱が、肉塊の主に刺さった。完全に、動きが停止した。
「ふぃー」
「お疲れ様です」
二人はどさり、と倒れ込む。ヴィットはたったっと自分の姉へ走り寄り、その安否を確認しようとする。
「生きてっから心配すんな。そういう魔法だ」
「不思議ですね。私がいくら止めても動き始めていたのに、止まっています。どうやったのですか?」
「ああ、いや、単純な話だ。どうも我らは、論理的に考えすぎていたみてーだな。こうすれば止まる、ああすれば止まると考えすぎてた」
「ふむ……?」
アネクドートは説明を続ける。
「我らの努力、思いは、報われるだろ? ようは、一回に賭ければ良かったんだ。この一発で決めてやる。こんなに思いを込めたんだから、成功させてやる。あの柱には全部そういう我の強い意志が込められてんだよ。それが失敗すりゃあ、アイデンティティに関わるからな」
言われて、ミソロジーは納得した。どうやら、余裕ぶり過ぎていたようだ。どちらにせよ、自分達は追い詰められれば上手くいくのだ。
「なるほど、思いの強さですか。あー、駄目ですね。思考が科学に寄りすぎてました」
「まぁこういう世界に来たら現代世界代表としてそういう意識になるのは仕方ねぇけどな。我らの力の根幹自体、科学もクソもない」
はぁー、と背筋を伸ばし、アネクドートは欠伸をする。そして、天に浮かぶ街に目がいった。
「そろそろ、戻していいんじゃね」
「あ、そうですね」
ミソロジーが指をぱっちんと鳴らす。
すると景色は、元の街の姿に戻──らなかった。
「!?」
先ほどよりも、明らかに損壊の勢いが激しい。家はほとんどが破壊されており、辺りに飛び散った肉塊からは恐ろしい臭気がする。
「な……」
「やはり……」
驚くアネクドートを後目に、ミソロジーは妙に納得していた。あの肉塊の主が、自身に張り付く肉塊をどんどん減らしていったのは、洗練するためではなかった。
シルエットがシンプルになるたびに強くなるという、只の錯覚だ。実際は、自身の強さを、街中の触手に分散させていったからである。
「……やられた、くそっ!」
街の中央に、数人の人影が集まってきた。十聡会の面々である。だが、その中にヤイハの姿はない。
「アネクドート殿、触手の動きが止まった。やったのであるな」
「ああ、まあな……被害は?」
「かなり悪いである。アネクドート殿達が戦闘を開始してから、それを待っていたかのように触手が人々を襲い始めたのだ」
「……ちくしょー、やっぱりか」
よく見てみれば、十聡会の面々も相当な傷を負っている。触手の戦いの壮絶さを、ありありと物語っている。
ミャージッカが、よたよたとアネクドートに歩み寄ってきた。
「先生、やったんですね……」
「まぁな。……怪我してんのか」
「あはは、どうってことないんですけど、魔力切れで……」
アネクドートはミャージッカの傷ついた部分に手をかざす。すると、傷はすうっと引いていった。続いて、他の面々の方も、即座にアネクドートが治療した。
「あら、助かるわ。流石に、今回は危なかった」
「いや、ほんと……久しぶりに死ぬかと思ったよねー」
メノアとミーマは、しゃがれた声で苦労を語る。
「皆。最後のアレ。大丈夫だったか」
ゼラゼラが問う。
「ああ、最後のアレって、アレだろう? 急に地面から針が出てきて……いや、本当に、大変だったな。僕は大丈夫だったけど、街の人はあれで相当飲まれたらしい」
カラカドナの返答に、ミソロジーはピンときた。あの最後の肉塊の主の針攻撃は、自分達へ向けたものではなかったのだ。最後の悪あがきとして、街へ攻撃したのだ。
より一層、疑問が深まる。
「なぜ、そうまでして街の人を……」
相当、死んだはずだ。運のいいミソロジーやアネクドートは、そういう痛ましいシーンを全く目撃していないが、この街の人口自体が相当数おり、こんな密集地であんな化け物である。
「……ま、確実に知ってる奴がいるけどな」
アネクドートは、瓦礫を踏みしめて歩いてくる一人のエルフに目をやった。長い金髪でローブを来た、ヤイハである。
「おい……」
いい加減白状しやがれ、お前らは一体、何をしたいんだと、アネクドートが聞こうとした。しかし、近くにいたミャージッカが、まず口を開いた。
「あっ! ユレミア! 無事だったんだね!」
「ん?」
ユレミアと呼ばれたエルフは、顔を綻ばせながら十聡会の人達の元へ駆けてくる。
「皆さんも、無事だったのですねー」
「はは、流石長寿のユレミア・メッセン。しぶといであるな」
「あら、失礼ですよイグナ君」
「いえ、お兄様は悪気はありませんわ!」
アネクドートは、くらっと目眩がした。ヤイハ、いや、ユレミアの方を見る。彼女と目があった。その表情を見て、その全く自分へ向けられている敵意が分からないという表情を見て、アネクドートは確信する。
「……逃げやがった」
そして、彼らはどうやってこの惨状を回復させるか、法華卿は無事かなどといった会話を始めた。
終わったのである。
「くそ……覚えとけよ」
「……姉さん」
ヴィットが、柱を突き立てられた肉塊の主を見て、呟く。その表情は疲弊しきっている。ミソロジーは、そっと肩を抱いた。
かくして、肉塊の主の襲撃事件は幕を閉じた。しかし、それは各々の精神、そして肉体に、深く傷と困惑を残していったのである。




