肉塊の主(ムナグアラフ)・2《side mythology》
辺りには押し黙るような静けさがあった。アネクドートはキョロキョロというよりはギロッ、ギロッといった風に街を見渡した。そして、時計塔の方を睨みながら、ミャージッカ達に問うた。
「怪我ねぇか」
「……あっ、はい!」
「問題無いのである」
ミャージッカの頬が僅かに赤い。
「……来るな」
「はい」
ミソロジーとアネクドートが背中を合わせる。
「ミャージッカ、イグナ。離れてろ」
「ヴィットちゃんも、離れててください」
言われるがまま、三人は距離を取る。次の瞬間、ざッという三つの音と砂煙が舞った。ミャージッカは一瞬何が起こったのか理解できなかったが、すぐに、この場に三人の新しい何者かが現れたのだと気づいた。
「……」
「……よっ、と」
「……ら」
大量の動物の毛を寄せ集めたような特徴的な黒い服の、黒髪の男。薄く白い布で出来た極めてシンプルかつ美しい服を着た、金髪の少女。そして先ほどアネクドートが蹴り飛ばした、肉塊を纏った人型の魔物である。
「またてめぇか。黒いの」
ギロリという凍えるようなアネクドートの睨みに、黒い男は臆する様子を見せない。
「ははは、僕ぁウアグだって。オーカーって呼んでくれても、いいけどね」
「はっ、似たような名前しやがって」
ミャージッカやヴィットは、このウアグ、オーカーという男から只ならぬ気配を感じていた。あのアネクドートとに睨まれ、凄まれ、こうも余裕のある態度を取れるのだから、この男は並外れた実力者に違いない、と。
しかし、オーカーの内心は違っていた。
(まぁ、勝てないよなぁ)
もちろん、オーカーは並外れた実力者である。
人間で彼に比肩するものは、ほぼいないと言ってもいい。しかし目の前の二人は流石に別だ。事前に彼が手に入れている情報からしても、彼女達と戦うべきではないのは明らかである。
だが足止めをする必要がある。まだ規定の人数死んでいない。
「一応言っておくけど……」
小声で中嶋に話しかける。
「できるだけ時間を稼ぐ方向で……肉塊の主もまだ本調子じゃない」
しかし中嶋は、その声に全く頷かない。それどころか、ミソロジーとアネクドートを、彼女もギロリと睨んでいる。オーカーは、天使である彼女が何故この計画に急遽参加することになったのか、段々予測が付いてきた。
(やっぱこの子はそっちかぁ……中々キツいな、でもやるしかないよねー)
オーカーは、戦闘の構えを取る。
「マイ、そっち頼む。我はこの白いのと黒いのをやろう」
「承りました」
そして戦闘が始まった。
聞こえるのは、何かと何かがぶつかり合う衝撃音のみだ。イグナはぎりぎり、その戦闘が目で追えた。
ミソロジーと肉塊の主は、固さと柔らかさの対決だ。肉塊の主が大量の触手でミソロジーを襲おうとするのを、ミソロジーは大地から土や岩を移動させ、変形させることで突き刺し、動きを封じる。そして続けてその触手達を消滅させ、肉塊の主の頭上に巨大な鉛筆のような形をした岩石の塊を出現させ、落とそうとする。しかし肉塊の主はそれをがしっと掴み、天高く投げ飛ばした。
「ぬー、できるだけ街に被害が及ばない方向ですよね」
ミソロジーは不満げに呟く。
一方、アネクドートは魔法と肉弾戦の応酬である。
「『聖球連』」
「よいしょっ」
中嶋のは、大量の光球をマシンガンのような打ち続けるこ。オーカーは、巨大な獣のように肥大した腕で、殴りかかる。どちらの攻撃も、ほぼ同時にアネクドートに接触しそうだ。
「しいっ!」
アネクドートは光球の向かってくる方向に黒い壁を展開し、それらを受け止めつつ、ドアを蹴り破る時のようなキックでその巨大な拳を止める。さらにもう一方の足でその手を蹴り上げた。
ぶちぃっという音ともに、オーカーの腕が吹き飛ぶ。
「うわー、ぶっ飛んでるな。二つの意味で。……おっ」
目の前からアネクドートが消えた。後ろか、上か。とりあえずオーカーは、後方と上方に攻撃を仕掛ける。
「『闇雲』!」
ぶわあっと黒い靄がオーカーの背中から噴き出した。しかし、その判断はミスだ。上でもなく、後ろでもなく、正面に、アネクドートは迫っていたのだから。
オーカーがそのことに気付いたのは、目の前にアッパーの構えを取っているアネクドートが出現したときである。
(やばっ、詠唱無しの完全透明化魔法か。規格外すぎ──)
「…………スカイ・パンチ」
ゴッ、という鈍く激しい音ともに、オーカーの体が天高く打ち上がった。先ほどからというもの、アネクドートが殴るものも蹴るものも面白いぐらいの勢いで飛んでいく。
「さあて、次はてめーだ」
ギロッと中嶋の方を向いた。対する中嶋は、負けじとギロリとアネクドートを睨む。その視線に、アネクドートは怒りが含まれていることに気が付いた。
(んだこいつ、キレてんのはこっちだっつーの)
とりあえず、得体が知れないため遠距離攻撃に移る。手の中にソフトボールぐらいの大きさの黒い玉を作り出す。闇属性の魔法だ。先ほどの中嶋の魔法から、そして身に纏う雰囲気から、闇に弱そうだとアネクドートは直感する。
「どおっ、りゃっ!」
投球フォームなどまるで無い、力任せ運任せの投擲である。しかしそれは恐ろしく正確に高速で、中嶋へと迫る。そして今にも着弾しそうというその時だった。
カシャーッという音と共に、闇の球はボロッと崩れ去る。一応はアネクドートが投げた、すなわちアネクドートの運の影響下にある物が、破壊された。アネクドートは警戒する。
「……ん?」
中嶋の顔を注視して、アネクドートの脳内の記憶が一部繋がりかけた。
「てめぇ、どっかで……」
ミソロジーは肉塊の主にさっさととどめを刺そうと考えている。アネクドートの戦闘は一分ほどで終わると思っていたのに、どうやらまごついているようだと気付いたためだ。
「んー……」
辺りには瓦礫が散乱している。どれだけ多くぶつけても、肉塊の主は疲労や消耗を見せない。先ほどから何度かこの肉塊の主自身に『塵の星』を試しているが、急所を外される。どうやらこの者も、あのラードーンのように直接は効かない奴らしい、とミソロジーは推測した。
「じゃあ、空気で殺しましょう」
ミソロジーは指ぱっちんを鳴らす。すると途端に、ぶしゅうっという音がして、肉塊の主から体液が漏れ出した。これまでに無いほど、効いているようだ。
「急に真空になれば、水分は減圧沸騰で体内から消えます。あなたがどんな生物であれ、酸素と水がなければ……」
しかし、徐々に肉塊の主は真空環境に適応していくように見える。噴き出していた体液が体内に戻っていき、干からびかけていた体も潤いを取り戻していく。
ミソロジーはアネクドートから聞いた魔力子の話を思い出した。これはなかなか、骨が折れそうだ。
「むむむ」
肉塊の主も黙っていない。触手の攻撃が効かないと判断したのだろうか、左手に携えた巨大な剣で、ミソロジーに襲いかかった。
「らっ!」
「わっ」
上から振り下ろされる剣。それをひらりとかわす。ドズンッと地面にめり込んだそれを、肉塊の主は即座に引き抜き、今度は横になぎ払うように切りかかる。付き合う必要はない、ミソロジーはそう考え、ひゅんっと頭上に瞬間移動した。
「危ないですね、おわっ」
しかし肉塊の主は、移動した先にもいた。ぐわっと拳を振り下ろそうとしてくる。
「っ、おおっ、これは……」
だが、よく見てみれば、それは人型の肉塊だった。ミソロジーの下には、肉塊の主の剣から、肉の枝が至る所に伸びている。ミソロジーが瞬間移動する度に、近くの肉の枝が膨れ、人の形になる。
「瞬間移動対策ですか……ですが付け焼き刃。伸びた触手はあなたの肉体ではない」
パチンと指を鳴らす。
「あっ、なんかフラグですねこれ」
そしてその予想通り、触手は消えない。
「らっ」
肉塊の主は、その肉の枝を縫ってミソロジーの目の前に現れた。ミソロジーはちらっと、その剣を確認する。フェイブルの着ていたゴスロリと同じく、赤い宝石に目が光っている。
(アーティファクト……これがそれですか)
ミソロジーが周囲に向かって手を広げた。
「何にせよ、流石に鬱陶しいです……『静止点』」
ばきいっという氷結音がして、肉塊の主、そして周囲の肉の枝は内部から凍り付いた。無論、これで完全に仕留めた訳ではないだろうが、アネクドートの方を向く時間が出来た。アネクドートは現在、中嶋と未だに向かい合っている。
「てめーどっかで、会ったか、我と」
「……会った」
「おー、やっぱりな。まあそんなことはどうでもいい。お前が誰であろうと、我の邪魔をした罪は償ってもらうぜ……らッ!」
拳を下に振り下ろす。すると中嶋の下の地面に大穴が開き、さらに頭上からは隕石が垂直に降ってきた。空中に投げ出された中嶋は、回避のしようがない。しかし彼女は天高くカメラを構え、シャッターを切った。その瞬間、隕石は瓦解する。
「ちっ」
中嶋は空中に光の足場を作り、そこに乗って浮かんできた。
「次はあなたが落ちる番」
中嶋がアネクドートの足元に向けてシャッターを切った。するとあの隕石のように、ボロボロと立っている地面が崩落し始めた。アネクドートはそれを空中に飛んで回避した。そして、合点がいく。
「……『写真蝕刻』。てめぇ、まさか、ナカジマユミコか?」
その問いかけに、中嶋はさして驚いた風でもなく、淡々と答える。
「……そう。私は中嶋弓子」
逆にアネクドートの方が、驚きの色を隠せない。
「なぜ……てめーがこっちに居やがる」
「理由はもう、あなた達が分かっているはず。『光線室』」
ぶわあっ、と中嶋の周囲に大量の光る立方体が現れた。そしてそこから、さらに大量の光線がアネクドートに向かって襲いかかった。アネクドートは目の前に巨大なプリズムを出現させ、それらのレーザーを屈折させる。
「……ちっ」
そして中嶋の隣りに、遙か天高くからオーカーが舞い降りる。ケロッとした表情で、腕も生えており、ダメージは無いように見える。
「ナカジマちゃん。もうそろそろ大丈夫だ。予定より早く肉塊の主は追い詰められた。規定の人数に達しそうだよ」
「……そう。まあ私も、宣戦布告が出来たから、満足」
名残惜しそうに、中嶋はミソロジーを見る。
「できれば、あっちの女にも、言っておきたかったけど」
再び、アネクドートを睨んだ。
「……幸利は私の恋人。あなた達には渡さない」
「あ"ぁ!?」
怒号をアネクドートが飛ばすも、白と黒の二人は、異空間へと姿を消していった。アネクドートは過去の記憶を思い出しつつ、今の状況を理解しようとしている。
「……髪と目が変わってて分かんなかったが……まさか、だな、おい」
一方イグナ、ミャージッカ、ヴィットの三名は、この場を離れようとしていた。先ほどからの戦いの応酬をみる限り、自分達が居ても足手まといになると考えたからだ。イグナはまぁまぁいけそうだが、アネクドートとミソロジーに任せておいて問題なさそうなので、街の住民の救助を優先する。
「では私は北区へ向かおうと思う」
「……了解、じゃあ私とヴィットさんは、南区へ向かおう」
「ああ、ここは任せておいて、大丈夫そうだ」
そして離れようとした、その時だった。ぶわあっ、と三人を生暖かい風が襲った。そちらの方を見てみると、肉塊の主が、氷を溶かして活動を始めたようだ。問題なのは、その顔を覆っていた肉の塊が、剥がれ始めたことである。
「……ん?」
ヴィットはそれをよく見てみる。べりいっと肉塊が剥がれたそこにあったのは、追い求めていた、夢にまで見た、姉の顔だった。
ヴィットは唖然とする。無意識に、声が出ていた。
「……姉さん?」
その声は、ミソロジーに届いた。
「!」
思考が巡る。指を構える。
「……嫌いなんですけど! そういうの!」
指を鳴らした。何を移動させたのか? どうやら目の前の肉塊の主は移動が効かないらしい。何故そうなのかは、おおかたの予想はついているし、それはどうしようもない。ならばそれ以外を移動させるのみだ。
ミソロジーの周囲の景色が、一変する。はるか上方に、街が見える。街が浮かんでいる。ミソロジーは街ごと空中に固定したのだ。
「まだ困るんですよ、まだヴィットちゃん……」
「おい、マイ、移動してないぞ」
しかし、ヴィットはまだそこにいた。
「な……街?」
「……なーるほど。これがしたかったのですね」
効かないということは、自分と同等の運を持った誰かが強くそれを望んでいるということ。この肉塊の主を守りたいのではない。こういう状況を、望んでいるのだ。
そして、肉塊の主が動き始める。その体は局部のみに肉塊が張り付いており、非常に洗練されている。左手に持っている剣は太さがなくなり、細い刀になっている。
顔は、意外と平常そうである。無表情ながらも、きょとんと表情筋の弛緩した表情だ。
「……わたしは、むなあぐらふ。魔神様の肉偶。これからあなた達と戦います。わたしは曲がる肉、怯まぬ肉、崩れるまで戦います。目標は、あなたの前で無残に殺されること、だそうです」
ジャキイッと剣を構える。ヴィットは何かを必死に言いたげに、ミソロジーを見た。ミソロジーは小さく頷き、アネクドートの方を見る。
「アネク」
「おう」
「四高神とやら、私もぶん殴りたくなってきました。一緒にさっさとカましに行きましょう」
「ひひ、お前が怒りゃあ最高さ。じゃあまずは、目の前の問題から……何とかしてこうぜ」
そして、第二ラウンドが始まる。




