遭遇
しばらくの間は1日置きにこのぐらいの時間に投稿します。
何も起きなかった。
「ん……?」
どういうことだろう。焦る僕とは対照的に、マイさんは涼しい顔をして、足元でビィィンと振動していた矢を引き抜いている。……ん!?
「おお、本当に撃ってきましたね」
「な、何それ」
「こら! グーア、何してるのです!」
新しい名前が聞こえた。見ると、先ほどまで誰もいなかった馬車の上に一人の女性が立っている。装備からみて、ペシテロさんの使用人という感じがする。ぴっちりとした黒い服で、執事のような格好だ。それゆえに、手に持っている弓と背負っている矢筒がかなり浮いている。
「いえ、その者がお嬢様に攻撃する素振りをしたので」
「そんなはずないのです!」
すたっと馬車から降り、ペシテロさんの手を取り馬車に乗せた。その所作はまさに執事そのものだ。しかし次に僕達に向けられた目は、ピリピリと肌を刺すような、殺気のこもった戦士の目だ。
「殺すつもりで射たのだが……この私が外すとは、運が良かったな。何者だ、貴様ら」
「あ、いや、僕達は……」
「冒険者です。ペシテロさんのご好意で馬車に乗せてもらうことになりました。先ほどの動作は、狙われてる気がしましたので、少しからかっただけですよ」
クスリと笑いながら言うマイさんだが、相手のグーアさんとかいう人は全く警戒を緩めない。僕達の世界ではあまりこういう人には出会わなかったな。
「ふん。どうだか……ん、貴様、靴はどうした」
「え? あ」
言われるまで、気づかなかった。異世界に来て浮き足立ってしまっていたせいで、この時まで靴下で地面を踏んでいることに気づいてなかった。マイさんも……履いてる!? 黒色のスニーカーをマイさんは何食わぬ顔で履いていた。あの短時間で何時の間に履いていたんだ……?
「えーと、冒険の途中で脱げちゃったんです」
「……ふむ。まぁいい、乗れ」
「あ、ありがとうございます」
「少しでもお嬢様に危害を加えようものなら、即座に殺すからな」
「大丈夫ですよ~」
その大丈夫は危害を加える心配はないから大丈夫、なのか、それとも絶対に殺される心配はないから大丈夫なのか非常に気になるところだが、まぁせっかく乗せてもらうのにそんなことをするマイさんでもないだろう。
「それでは! 道中色々と聞かせてほしいのです!」
馬車の中は過度な装飾はなく、格調高いといった印象だ。最近はめっきりだが、車移動と電車移動を繰り返していた僕はこれが初めての馬車だ。ちょっと緊張する。
ペシテロさんとグーアさん、そして僕とマイさんで向かい合う形で座る。ちらっと外を見ると、どうやら上からでは荒野に見えた優雅樹近辺は道が整えられているようで、街まで伸びる一本道をガタガタと馬車が進んでいく。
「色々というのは?」
「もちろん、優雅樹攻略の冒険譚なのです」
「うっ」
そうだった。僕はこの子にあの樹を攻略したかのように振る舞ってしまったが、僕達はただあの樹に落ちて、またあの樹から落ちただけなのだ。
「お二人は優雅樹の葉を持ち帰らなかったのですか?」
「葉?」
そんなのほっといても風とかで落ちてくるのでは? と聞き返しそうになったが、危ない危ない。きっと何か希少性があるのだろう。というか今の聞き返し方だと「は?」に聞こえちゃったかもしれない、と一瞬焦ったが、ペシテロさんは特に気にしていないようだ。
「……攻略したお前達は知っているだろうが、優雅樹は冬季でも葉を落とさず、風で葉を落とすこともない永年常葉樹だ」
「永年常葉樹……」
常緑広葉樹みたいなものだろうか。
「その葉は魔力を多く含み、魔術師に重宝されている。数自体は無限と言っていいほどあるが、優雅樹の攻略難度から希少価値は高い。それをお前達は採ってこなかったのか?」
「う、えっと…」
「もちろん、採ってきましたとも」
マイさんのジャージのポケットからポロポロと紫色の葉が出てきた。抜け目ない、という訳ではないのだろう。何となく拾ってきた物が功を奏したということか。
「おお! 見せてほしいのです」
ペシテロさんは輝かしい目でその葉を眺めている。行動からは気品が漂っていたが、こうしてみると、けっこう幼い印象を受ける。やはり世間知らずなお嬢様、なのかな。
「他にも色々聞かせてほしいのです! 例えば──」
そんな調子で、道中はほぼ質問責めだった。やたらとペシテロさんが詳しかったので「うん、まぁ」とか「すごかった」とかまったく情報量のない返答でもなんとかやり過ごすことができたのがせめてもの救いだろうか。
「……そういえば」
と、今度はこちらから質問させてもらえたので、一つ聞いてみる。
「護衛のグーアさんもそうですけど、馬主の人も女性でしたよね。何か理由があるんですか?」
「無論、お嬢様に不埒な男を近づかせないためだ。範囲5メートル以内には男は入れない」
「え? じゃあ何で僕は大丈夫なんですか?」
それを聞いて、グーアさんは初めて僕達を見たとき以上に神妙な顔をする。
「……何? お前、男なのか?」
「はい……そうですけど……」
馬車の中に重い沈黙が流れる。いや、確かに、髪も伸びてきたし、けっこうガーリーな部屋着のまま乗り込んでしまったから、性別が分かりづらいかもしれないけど……
「あ、そうでした」
マイさんが若干わざとらしく手を打つ。
「フェイ君、男の娘でしたね」
「……なんか字が違う気がするんだけど」
と、僕の意外なルックスが判明してしまったところで、馬車は急停止した。慣性の法則に従って、前につんのめる。グーアさんにぶつかりそうになったが、持ちこたえた。
「どうした!」
「魔物です! 近付いてきます!」
「そうか、分かった」
グーアさんは急いで馬車を降り、僕とマイさんもそれに続く。
あの銀色の鳥を除けば、これが初めての、魔物との対峙になるのかと、僕は少しワクワクする。勿論武器なんて持っていないが、そんなこと、僕達には何の問題にもならないのだ。