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魔王《side folklore》

 崩殂城の内部は、簡単に言えば無限の空間が広がっている。外観からすると縦に長い崩殂城だが、実際の居住区画は一階のみで、残りの上層部は、全て魔王の所有層である。他の者たちは、アスタルトの空間魔法によって拡張された自身の巨大な『部屋』で生活をしている。


「──ってな感じだったわ」

「へえ、じゃあ結局、殺せずじまいってわけかい」


 ごうごうとそこら中で炎が巻き起こるこの空間は、焼死竜バルニコルの『部屋』である。炎を纏うコウモリ、ファイアバット。高熱のナメクジ、ホットスラッグ。そして生きた炎、イグニス・ファトゥスなど、炎を主食とする魔物が、ご相伴に預かるために群がっている。


「ま、殺せなくてよかったわ。私も色々間違ってたって、分かったし」


 その中心部、メラメラと炎上するランタンに囲まれた小さなピラミッド状の石段の頂上に、大きなテーブルがある。そこには、フォークロアと赤髪の男、バルニコル、白髪の少女、フリジコル。さらに、青髪の巨大な人物が座っている。


「何か、すごくよく分からないんだけどー、フォークロアちゃん達って、仲良いのー? 悪いのー?」


 フリジコルが訝しげにフォークロアに訊いた。


「良いか悪いかで言ったら、超良いわよ」

「でも、殺そうとしてたよ?」

「同じことよ。好きだから殺そうとしてたし、好きだからキスするの」

「えー、何それー」


 からからと笑いながら、フリジコルは訳が分からないよねという目配せを、隣りの巨大な人物にする。


「愛憎じゃの」


 その人物が口を開く。非常に中性的な深みのある声だ。

 

「人間とは、つねに相反する感情を抱えるものなのかえ?」

「さあね、憎いも好きも、同じことじゃない? まぁ、言葉に表すなら、『寝ても覚めても、居ても立ってもいられない』ね」

「…ふぅむ、何やら、難儀な愛を育んでおるようじゃのう…」


 顎をすりすりと指でこする仕草を見て、フォークロアが尋ねた。


「自然と、居たけど…あんたは、名前、聞いてないわよね」


 巨きな人、という表現がぴったり合う、長い深青い髪、そして黒と青の溶け合う服が、何とも、老いた印象を感じさせる。しかし、その顔は、老いというものを全く感じさせず、同様に、幼さというものを全く感じさせない。

 その者は、にこりと微笑んで、フォークロアの問いかけに答えた。


「溺死龍ドラウニコル。一応、四死竜の長という立場を取っておる」

「へえ…あんた、ん、あなた、男? 女?」

「どちらも。死竜とはそういうものじゃ」


 フォークロアはぼんやりと思い出す。崩殂城の地下の黒い溜め池から、水泡のように湧き出てきた黒と白の髪の少女を。


「死竜って、不死身なの?」

「ん、不死身って表現は、正しくないかもな。死ぬけど蘇る、そういう種族だ」

「ふーん…てか、あの、カオティコル、だっけ? あの子、すぐにどこか行っちゃったわよね」

「復活してすぐに出鼻を挫かれちゃったから、魔王様に申し訳が立たないってさ。真面目だからねー」

「…あー、それは、文字通り、運が悪かったとしか言いようがないわね」


 フォークロアは憐憫を感じた。

 ここで、炎上していない、小さなコウモリが四人の所へ飛んできた。キイキイと、旋回しながら鳴き、何かを伝えようとしている。


「?」

「召集じゃのう。魔王様が城外の者達に挨拶なされるらしい。…このまま移動してよいか?」

「ああ、頼む」

「おねがーい」


 ドラウニコルが手を地面にかざす。すると、じゃぶじゃぶと青い液体がダムの放水のように手のひらから溢れ出てきた。その液体が、フォークロアの足に触れる。


「あら」


 しかし、フォークロアが現在履いている白い靴に、その水が染み込む気配はない。それどころか、靴の下に潜り込み、ふわりと彼女の体を浮かせたのだ。

 他の三人も同様に、水によって持ち上げられる。


「ゆくぞ」


 ギュンッと、水に流され四人は進んでいく。熱気のこもっていた部屋を抜け、長い廊下を突き抜け、階段を駆け上がり、進んでいく。

 

(…良いわね、これ)

 

 そして、バルコニーに到着した。


「…わっ」


 その、景色。赤黒い雲、不思議な香り。バルコニーの縁に並ぶ六人、今、三人が追加された。


「アハ、素敵」


 フォークロアは喜色満面で、その列の端に並ぶ。彼女はこういうのが大好きなのだ。眼下に広がる、魑魅魍魎、悪鬼羅刹。一言では言い表せない化け物達が、城に繋がる橋の向こうに、絨毯の模様のように広がって蠢いている。


「…多いな」

「当たり前。大陸中の魔物が集結している」


 胃をさする動作をするベールゼヴヴに、アスタルトがため息を付く。


「あー、じゃ、やるわ。お前ら、立ってるだけでいいぞ」


 そう言うと、一歩前へ出て、ベールゼヴヴは手のひらを下にして、軽く前へ突き出した。そして、ついっと、下に降ろす。まるで、初等学校の集会などで、学長が生徒たちに着席を指示するような、軽い動作だ。フォークロアはそう思った。

 しかし、魔王の言葉は、子供に語りかけるような優しいものではなかった。




「跪け」



 

 絨毯の模様が一瞬で変わる。何事かと初めは理解できなかったフォークロアだが、すぐに分かった。全ての魔物の、姿勢が変わったのだ。雄々しく立つ姿勢から、力無く頭を垂れる姿勢に。膝を突き、這い蹲る姿勢に。


「…わぉ」


 アスタルトの言葉を思い出していた。魔力とは原料だと。あらゆる物質、そして力の源であると。その魔力の総量は、個体によって異なる。

 今の動き、少なくとも小さな街一つ分ぐらいの面積を、魔王は力で押さえつけた。自分でさえ、これほどの生物を一度に制することはできないだろう、と、フォークロアは、ベールゼヴヴに初めて、敬意を覚えた。


(ただの軽い奴かと思ってたけど、本当に、王なのね)


 そして、ベールゼヴヴは続ける。


「ごきげんよう、諸君。長く生きた者は、久しぶり。まだ幼い者は初めまして、と挨拶しておこう。俺は魔王、ベールゼヴヴだ。俺が魔王、ベールゼヴヴだ」


 ベールゼヴヴが、繰り返し、繰り返し自分の名を名乗るのを、右耳で聞きながら、フォークロアはよく、よくよく目を凝らす。すると、魔物達の中には、平然と立っている者がいることが分かった。


「さて、実際にあの場にいなかった者も、知ってはいるだろう、六百年前の屈辱を。俺は、負けたのだ、勇者に。これは、事実だ。変えようもない、辛酸の記憶。ならば、それは、何故か? 何故魔物は、人間に負けたのか? 人間の数より、魔物の数の方が少なかったから? 人間には絆があり、弱い力を寄り合わせ、俺達に立ち向かったから? いいや違う。我らが世界の戦いに、数など何の意味も持たない。塵は、いくら積もらせたところで、強者の一吹きで呆気なく消え去る」


 ちら、と魔物達をベールゼヴヴは一瞥する。


「ちょうど、俺一人に押さえつけられている諸君のようにな。つまり、人間の側に、圧倒的な『個』がいたのだ。この俺を凌ぐ程の…勇者、と呼ばれていた『個』が。勇者は並み居る魔物の軍勢を一蹴し、俺のもとへと辿り着いた。さあ…何が言いたいか、解るな?」


 さらに、ベールゼヴヴから、禍々しい、波のような物が放出された。 


(うわ、すご…)


 フォークロアにそれが触れても何の異変も起きないが、下にいる魔物達は、その波に押されるように後退していく。


「研鑽しろ。俺と勇者の戦いが始まるまでに、傑出した『個』になるのだ。今、我が戦列には、五つの空席がある。この席に座りたくば、そこにいる誰よりも強くなれ。それが叶わなかった者は、ただ指をくわえて眺めているか、勇者の剣の一振りで肉塊と化すことになるか、どちらかの道を、辿るだろう」


 そう言うとベールゼヴヴは、カツカツと城の中へ入っていった。アナトとアスタルト、そして、カリロエが続く。四死竜の面々と、フォークロアも、その後を追って、城内へ入っていく。

 ちらりと、フォークロアが振り向くと、集まった魔物達は、散り散りに逃げていっている。


(だいたいは、物見遊山のやつらだったのね。魔王の復活に興味があったやつら。それに、喝を入れたのかしら…あら?)


 フォークロアの記憶によれば、今自分達がいる所は、長い長い階段を上った、塔の上だった。しかし、いざバルコニーから中に入れば、そこは、初めにフォークロアが訪れた、ダイニングルームだった。

 アスタルトの杖が発光しているところを見るに、何かしたのだろう、とフォークロアは納得する。


「だあーっ、疲れた」


 そうぼやきつつ、ベールゼヴヴが着席する。その他の面々も、特に表情を改めることなく着席していく。かちゃ、と扉が開くと、大量の食事が乗せられた台を運ぶグラが入ってきた。


(ああ、そういえば食事の時間ね)

 

 毎日、午後6時が魔王達の食事の時間である。フォークロアは渡された小さな時計を見て確認した。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です」

「お疲れ様です、魔王様」


 カリロエが労る。


「おう、ありがとよ、カリロエ」

「大げさ。一言二言話しただけ」

「いや、あのぐいってやつもやったぜ」

「はぁ…あんなので疲れていたら、魔王の名折れ」


 ベールゼヴヴが手をすっすっと上下させる動作をするのを見て、アスタルトはため息混じりに言った。


「でも、格好良かったわよ、ベル」

「お、本当か」

「ええ、格好良かったわ」

「二回も言わんでも…」

「でも、格好良かったんですもの」


 アナトにほめちぎられ、多少困惑するベールゼヴヴ。フォークロアは、これまでの一連の光景に、違和感を抱いていた。


(オンオフはっきりし過ぎよね。全然、魔物達の頂点って感じがしないわ。強者の余裕ってやつなのかしら)


 出されたサラダを頬張りながら、フォークロアは思索を巡らしていく。


(でも、しばらく先になりそうよね、勇者対魔王。その間ずっとここにいるっていうのも、ちょっとつまらないわ。うーん…私が、私を幸福にするために…かぁ)


 ぼやーっと、次に出されたスープを口に運びながら、あの三人のことを思い出していた。魔王達の視線がフォークロアに向いていることに、彼女は気づいていない。


(なーんか、見逃してた気がするわ。何か今回、惜しかった気がする。『幸せ』ね…何だったか、忘れてるような……)


「…あ」


 かた、と食器を置いた。


「…ん、どうした、フォークロア」

「ねえ、あなたって、魔物の中で一番強いのよね」

「ああ、そうだ」

「二番目に強い奴って、どこにいるの?」

「そうだな…南の大陸の、フォーコイドにいる。まあそいつは」

「そいつ、仲間にしてくるわ」

「…何?」


 ガタッと、フォークロアは席を立った。そして、アスタルトの隣りへ行く。


「さっきまで私達がいたところに、移動させて」

「? 分かった」


 すっと、杖を振るうと、フォークロアの目の前に空間の歪みが発生した。フォークロアは、食卓に座っている全員の方を見る。


「皆、ちょっと行ってくるわ。あ、そういえば、アスタルト、この服ありがと。あなたやっぱり、デザインセンス半端ないわね」

「で、デザ?」

「じゃ、またね」


 フォークロアは、その空間の歪みを通って、バルコニーへと到着した。先ほどまで絨毯のように広がっていた魔物達は、忽然と消えている。目を凝らすと、遙か遠くに遠ざかっていく魔物達が見えた。


「ふー…」


 バルコニーの縁に、足をかけ、その上に立つ。眼下には、城へと繋がる橋が見える。両手を水平に広げ、重心を徐々に前に傾けていく。


「気温21℃、高度180メートル、天候よーし。GO」


 そして、落下した。


(ふふ、思い出した。忘れてたわ、『幸せ』)


 近づいてくる地面を眺めながら、フォークロアは微笑んでいた。


(覚えてるかしら、アネク。あれは確か、あなたとバチカンに行ったときのこと。他に誰一人としていない、署名の間で『あの絵』を見たときのこと!)


 地面が迫るにつれて、フォークロアが落下する予定の地点に、何かがいるのが見えてくる。


(私はあの絵を見て、泣けたわ。泣けて嬉しかった! 不思議と、私だけが、あの絵を独り占めできている気がして。でも、横を見て、あなたも、泣いていた時、私はもっと、嬉しかった!)


 地面に、到達する。

 しかし、フォークロアの体には何の衝撃も無い。フォークロアが落下したそこには、大きな、煌めく黒色の、球状の液体がいたのだ。その液体は、フォークロアとの衝突によって、僅かに形を変えるも、すぐにぽよんと元の形に戻る。


「あら…あなた、スライム? よし、じゃああなたが、『私の手足』一号よ。発進!」


 フォークロアの最大幸福によって、その黒色の球体は、先ほどのドラウニコルの液体のように、フォークロアを乗せて橋を渡っていく。そして紫色の大地にさしかる。びちゃびちゃという大地を駆ける音がする。


(私の幸福は、あなた達への愛! それは変わらないわ。でも、今までは、愛を履き違えていた。愛は、献身じゃないのね。共に有る喜び、共に在る嬉しさ! これが愛! 惜しかったのは、ちゃんと、あなた達と戦えなかったこと!)


 フォークロアはミソロジーから聞いた話を思い出していた。ミソロジー、アネクドート、フェイブルそれぞれが、全力でぶつかり合っていた最後の決戦。それを聞いて、フォークロアは惜しい、と思ったのだ。


(待っててね、私沢山、私の手足を、強い手足を手に入れるわ。そしたら、また、ちゃんと戦ってね! 興奮と絶頂を、共有しようね!)


 幼い狂気は、より鋭利に。

 幼い愛は、より深く。

 フォークロアは、べちゃべちゃの足を動かし、終の荒れ野を駆けていった。





 一方。


「…行ったか?」

「行った」

「あの、銀髪の女の言った通りだな。まぁ、邪険にするわけじゃないが、あいつがいると、ちょっと話しづらいしな」

「ええ、そうね」

「人間嫌いみたいですしねー、あの子」


 残された魔王達は、食卓で話を続ける。


「あの水晶見せてくれ。リルちゃん映してるやつ」

「ん」

「今のところ、どのぐらいだ」

「恐ろしく成長が速い。既に上位の冒険者の域に達している」

「うわ…速えーな」


 こと、と水晶を置く。そこには、三人の人物が、魔物達を斬り伏せていく姿が映っていた。

 そして、魔王は、すっと表情を正した。その表情は、魔物達に語りかけていたものでもなく、おちゃらけていたものでもない。

 真剣な眼差しで、卓に座る者たちを見る。


「ここまでは、予定通りだ。次の手を、考えよう。皆の知恵を借りたい。魔物、人間、双方の犠牲を最小限にして、このくだらない戦いを終わらせる方法を、考えよう」


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