追憶《side folklore》
フォークロアが生まれたのは、イギリスのとある超富裕層の家庭だった。
城かと思うほどの豪邸を、ロンドンの都心に堂々と建てるほどの、つまりは貴族の家系に生まれたフォークロアは、世界人口のひとつまみしか享受できない『裕福』を貪っていた。
(わたしはだれなのかしら。ここはどこなのかしら)
異様に知能の発達が高かったフォークロアは、生まれて一年も経たないうちに、そんなことを思った。要するに、分別が付いていた。
巨大なテレビに映されるもの、父の書斎に立ち並ぶ書物。どれが現実でどれが架空なのか、フォークロアはすぐに理解できた。そこから学べるのは様々な人間の生活。老若男女、貧富、人種、家系、職種、優劣。少し違うだけで生活は大きく異なっている。
その中で、自分はどうやら頂点にいるのだと、フォークロアは思った。
(ふうん、そうなんだ)
そして、人はみな言う。
上にいると良い。下にいると悪い。
富んでいると落ち着く。貧しいと荒む。
優れていると楽しい。劣っているとつまらない。
勝つと嬉しい。負けると悲しい。
幸福だと良い人生で、不幸だと悪い人生だ。
(へえ、そうなんだ)
フォークロアは思った。私は上にいるし、富んでるし優れているし勝ってる。じゃあどうしようか、と。何をすればいいんだろう、と。これから八十年ほど生きねばならないのだ。
(わたしのことをもうしあわせにできないなら、ほかのひとをしあわせにすればいいじゃない。ひまだし)
母がカトリック教徒ということもあり、四歳で奉仕活動を始めた。貧しい人々を救うためだ。だが、これがどうも上手くいかない。
金を与えるのでは駄目だ、土地を与えるのでは駄目だ、食い物を与えるのでは駄目だ、宗教を与えるのでは駄目だ。もっと上手くやればいいのに、皆は上手くやらない。飲んだくれたり、だらけたり、金の使い方が分からないのか? 時間の使い方が分からないのか? 初めて、フォークロアは悩んだ。その悩みが、幸福への希求を生んだ。
(みんなわたしのおもったとおりにうごけばいいじゃない。みんなでかんがえてこたえをだしてるひまがあったら、わたしがこたえをだしてやるからそのとおりにさっさとやればいいじゃない)
そして、それは実現した。
斯くして、イギリスの片田舎に、ロンドンに比肩するほどの大都市が建設された。幸せそうな顔をして街を歩く人々を眺めながら、フォークロアは思った。
(やってみたけど、別に嬉しくなかったわ。可哀想な子達ね)
それどころか、自身の中の幸福への希求が止まらず、拡大していくばかりだった。動物や、虫すらも思った通りに動く。理想的に合理的に動く。だが、それがどうしたというのだろう。
(私が幸せになるには、きっと『これ』だけじゃだめなんだわ)
何かを直感し、フォークロアはアメリカに飛んだ。
しばらくして、ワシントンの街中を、むせるほど甘いジェラートを片手にウロウロしていた時だった。
「あっ」
ベチョ、と誰かの太ももにジェラートを擦り付けてしまった。ジーパンの藍色が、じんわりと赤く染まっていく。テレビで何度か見たことのある光景だが、フォークロアには初めての体験である。それは、相手も同じだった。
「ん…冷てえ」
見上げると、銀髪のロシア人らしき少女と黒髪のアジア系の少女がフォークロアを見ていた。初めてフォークロアは、人を綺麗だと思った。
「ねえ、オリガ。この子も」
「…ああ、そーみたいだな、李」
フォークロアが6歳の時だった。
それから三年間は、夢のような時間をフォークロアは謳歌していた。この時辺りから、自分の名前がフォークロアと呼ばれ出した。
「フォークロアだって。私のアレ」
一時は、随分もてはやされた三人だったが、段々と世間の目は拒絶と恐怖の色を増してくる。終いには、彼女達に対抗する組織まで発足されつつあった。
その組織から、彼女達は名前ではなくコードネームで呼ばれるようになる。
「ふぅん、いいんじゃね。逆説的で」
「可愛いと思います」
「えへへ…」
新しい名前を、認めてくれるのが嬉しかった。
世間の他の何かが何を言おうと何かしようと、そんなことは気にならない。どうせ自分の思い通りになるのだ。そんなものは、この二人の価値と比べものにならない。そう思い、二人を愛した。
アネクドートも、ミソロジーも、フォークロアを存分に可愛がってくれた。存分に愛してくれた。自分と同じような存在の人に与えられる感情は、今までフォークロアが味わったどの幸福より甘美だった。
しかし、自分の中に鬱積していく何かが、拭えずにいた。
(この気持ちはどう表現すればいいんだろう)
その答えに辿り着くのは、二年後。
ミソロジーが日本から拉致してきたという、一人の少年との出会いが始まりだった。
「恐らく、私達と同じです」
「…どうも」
少女のような可憐な顔つきにも、フォークロアは心惹かれるものがあったが、それ以上に、この祝島幸利──フェイブルに何か違和感を抱いていた。
その正体は、すぐに明らかとなる。
しばらく彼と生活していく中で、フォークロアがフェイブルに自分について語ったときに、彼が言った。
「可哀想に」
えっ、と聞き返すこともできず、フォークロアは固まった。自分が可哀想だなんて、一度も考えたことはなかった。
(かわいそう? 私が? 『あの街』の奴らみたいに?)
フォークロアはその時のフェイブルの目の黒さが忘れられない。決意とも諦めともとれないあの目が。
結局、そのフェイブルの存在によって、全員の意見や思想は大きく割れ、『喧嘩』することになる。勿論その過程でフォークロアは、色々思うところがあったのだが、それ以上に、大きな疑問が解決できないでいた。
(私って今、幸せなの? 皆って今、幸せなの?)
長年当たり前にあると思っていたものが、崩れていた。
どうすれば。彼に可哀想だと思われずに済むのだろう。辛い。何故辛い? 何故彼は自分のことを可哀想だと思ったのだ? ずっと考えていた。ずっと自問自答を繰り返していた。
そして、彼らへの愛と違和感が高まっていき、遂に今回、異世界の地に降り立ち、一人で考え、結論に達した。目の前に準備が整い、湧き上がってくる殺意を自覚して、理解した。
(殺そう。可哀想だと思われるんじゃなくて、思わせるのが辛いんだ。殺そう。このまま生き長らえても、皆可哀想なだけだ。死なせてあげよう。今なら分かる、フェイの気持ち。殺そう。フェイもマイもアネクも、哀れじゃない。可哀想じゃなくなる。皆、幸せになれる)
狂ってなどいない。自暴自棄になどなっていない。至って冷静だった。至って真剣だった。
フォークロアはちゃんと、まじめに、合理的に考えてその結論に達した。ナチスを支持したドイツ国民のように。ただし、客観的ではなかった。ナチスを支持したドイツ国民のように。
(──あら、何かしらこれ、走馬灯? 何で私に?)
そして今、目的は達成されようとしていた。
(死ぬのはフェイよ。死ね、殺されてちょうだい)
めいいっぱい力を込めて、ナイフを突き出す。フェイブルは動く気配はない。やった、とフォークロアは思った。
しかし、がしりとフォークロアの手首は掴まれた。フェイの目の前で、ナイフは止まる。
「…は?」
フォークロアは薄々感じていた。ひょっとしたらフェイブルは、こんなに追い詰めても、私を殺せるんじゃないかと。そして手を掴まれたとき、ああ、やっぱりな、と思ったのだ。
しかし。
「よう、クロア」
その手を握っていたのは、アネクドートだった。
右手でフォークロアを止め、左手は、ジャブの構えを取っている。
「…っ! 止まれ!」
「やだよ」
ガッ、と、軽い音が響き、アネクドートの拳がフォークロアの顎を掠める。瞬時に、フォークロアの脳が揺さぶられ、がくりと、気を失って倒れる。それを、ミソロジーが抱き止めた。
「ふう」
「ふう、だよ全くよぉ」
よく見れば、アネクドートは全身に擦り傷があり、かなり土埃を被った様子である。また、ジーパンのポケットが、膨らんでいる。ミソロジーも、同じく土埃を被っており、さらに、ジャージの右の袖がパタパタとはためいている。どうやら右腕が無いようだ。
「…さて、一件落着といきたいところですが、どうでしょうかフェイ君」
あえてフェイブルの方を見ずに、ミソロジーが言う。アネクドートも、フェイブルを見ず、ミソロジーに言う。
「マイ…距離を取れ」
「ですよねー」
瞬時に、ミソロジーは左手で指を鳴らし、アネクドート、フォークロア、そして自分を移動させる。
アネクドートはすかさずフェイブルの様子を確認する。両腕をだらりと垂らし、黒いゴスロリはゆらゆらと揺れている。周囲には赤黒い靄のようなものが立ちこめ、幻想的で危険な雰囲気が溢れ出ている。さらに、ぞっとするような喜怒哀楽の入り混じる表情、凍り付くような目だ。
「…古来から、ヤマトタケル然り源義経然り、日本ってのは女と見間違う程の美少年が多いが…比べものにならねーだろうな」
「いやー、似合ってますねぇ。素晴らしいことになってまいりました」
人差し指と親指で輪っかを作り、そこからミソロジーはフェイブルを覗く。アネクドートは乱暴に自身の髪をわしゃわしゃと掻き乱した。
「笑えねー…我の時、あんな感じだったのか?」
「もっと荒々しい感じでしたね。あの雰囲気はフェイ君だからこそ、でしょう」
「緊張すんなぁ…トイレ行っておこうかな」
「帰ってきたら私死んでると思いますよ」
「…そうだな、よし、頑張るか。フェイとクロアが死なないための、は終わりだ。こっからは、我とお前が、死なないための───正念場だ」




