出立
そして、翌日。僕、ザイネロさん、リルちゃんはマイさんを見送っていた。場所はバイソラの正面門、僕達が入ってきたところだ。
「本当に一人で大丈夫?」
寂しくないかどうか、の質問である。無論マイさんが一人になったからといって危険が及ぶなんてことは有り得ない。むしろ僕と居るより、一人になった方が安全だろう。
「ええ、まぁ途中で何人か仲間にしようかななんて考えています」
「はは、いいね」
穏便な手段であることを祈ろう。
「では、ザイネロさん、フェイ君を頼みます」
「任せてくれ」
「リルちゃんも、頑張ってくださいね」
「はい!」
「フェイ君、お達者で」
「うん」
マイさんは、手を振りながら、ひゅん、と消失した。周囲にもうマイさんの姿はない。僕の不幸がないからかなり自由度が上がっているな。
「よし、では私たちも出発するか」
ザイネロさんがかなり大きめの袋をひょいっと頭に乗せ、言う。途中の店で食料やら道具やら、かなり色々買っていた。一体どれだけ長い旅になるのか。
「ザイネロさん、僕達の目的地までどのくらいかかりますか?」
「ん…馬車で一日ほどだな」
「あ、馬車で行くんですか?」
「ああ、そこに用意してあるよ」
指を差したところには、一台の大きめの馬車が留まっていた。昨日ペシテロちゃん達が乗っていた物よりは小さいが、装飾などがないぶん実用的だ。
「でも、一日分以上の道具が詰まってそうですね」
「勿論、辿り着いてからの方が長いだろうからな」
「…なるほど」
正面門をくぐり抜け、ザイネロさん達と馬車に向かっていると、馬車の方から一人の金髪の男性が歩いてきた。シチュエーション的には御者なのだろうが、かなり特異な風貌だ。年はザイネロさんくらい、すなわち二十代前半で、線が細く、キリスト教の司祭が着るような服に身を包んでいる。
「ようザイネロ。久しぶり」
「エイドール、よく来てくれたな」
どうやら、ザイネロさんの知り合いのようだ。かなり親しげな様子が伝わってくる。
「この方は?」
「エイドール・フフロット。私のかつての仲間だ」
「ん、そういう君は……」
と、エイドールさんは僕の方を見ると、表情が固まった。しばらく、僕を眺め、ため息をつくように呟いた。
「美しい…」
「ん? 何か言ったかエイドール」
ザイネロさんには聞こえていなかったようだが、僕にはしっかりと聞こえた。何だこの人、ホモなのか、と思ったが、僕の格好からすれば勘違いされてもおかしくはない。どんどん状況がややこしくなっていくな…全くフォークロアと関係のないところで。
「何でもない。それより、この子がリルちゃんか?」
「いや、リルはこっちだ」
そう言ってザイネロさんはリルちゃんを指差した。リルちゃんはエイドールさんに向かってぺこりと頭を下げる。
「リル・ピルグリムです。初めまして!」
「エイドール・フフロットだ。今回は我が旧友、ザイネロの頼みで君たちの仲間に入ることになった」
「なるほど! そうなんですね!」
「あぁ、私達の中には回復魔法を使える者がいないからな。長丁場には必須だ」
ミラさんとかみたいな回復魔法が使える人か。確かに、長い旅であれば回復魔法は必要になるだろう。いくら回復の道具を持っていこうとも、流石に一度に運べる量には限度があるし。
「それで、ザイネロ。まず一番聞いておきたいことなんだが…」
「分かっている。私達が向かうのは」
「いや、それじゃない。そんなことよりも…この美しいお嬢さんは?」
「ああ、この子はフェイだ。訳あって、私達に同行すら。というか目的地自体はこの子のために設定した」
「すみません、よろしくお願いします。エイドールさん」
一礼すると、エイドールさんはやけに演技がかった様子で僕に近づいてくる。
「もちろん、任せてくれたまえ! このエイドール、君の柔肌に傷でも付こうものなら、すぐに治して差し上げよう!」
そして自然な感じで僕の肩に触れてくる。うわぁ、全身に鳥肌が立ってしまった。よくよく考えてみれば、僕は女性以上に男性に免疫が無いんだった。
「それで、どこへ行くんだ?」
「北の遺跡だ。『栄華の証明書』を取りに行く」
「…!」
エイドールさんの表情が強張った。知らなかったんだ、どこに行くのか。それで来たっていうのは…信頼の証だ。
「…勝算は?」
「五分、というのは私とお前で行く場合だ。このフェイが居れば、九割は行くだろう」
「そ、そんなに、強いのか」
「少なくとも、私よりは」
強い、というのはかなり語弊があるけど。僕の不幸は、戦闘で使用するなら勿論対生物用だ。全力を出さなければ、地面とか、空とか、そういう漠然としたものや無機物を不幸にはできない。そして全力を出すには、尋常ではない覚悟が要る。
まぁここで否定しても謙遜にしか取られないだろうから、無難に答えておこう。
「対生物なら、大丈夫だと思います」
「美しいうえに強いとは…しかし、北の遺跡か。よし、では馬車で行きつつ話そう。用意は?」
頭の荷物を下ろし、ザイネロさんが中身を見せた。その中には、乾燥された肉のような物、昨日見た光輝石、その他様々な何に使うのかよく分からない大量の道具が入っていた。よくこれを頭に乗っけて動けるな。
「ふむ…四人分なら、食糧は途中で調達しないとな」
「ゴブリンとかにしようかと思っている」
嫌なワードが聞こえた。
「では、行こうか」
「うむ」
「行きましょう!」
「リルちゃん、ゴブリンとかイケる派かい?」
「イケる派です!」
「そっか…」
そして、馬車に乗り込む。中は絨毯とまではいかないが、動物の皮が敷かれており、座り心地はいい。長時間揺れる堅い板に座っていると…痔になるらしいし。
「ハイヨー!」
エイドールさんが手綱を取る。やはり御者はいないのか。
「御者さんはいないんですかー?」
リルちゃんが聞いてくれた。
「ああ、道中死にかねんからな。北の遺跡近辺は魔物の質が高い」
「だいたい四十から五十レベルだなー」
「レベル?」
なんと、レベルの概念があるのか。ゴブリンに会ったときとか、死竜に会ったときはそんな話は聞かなかったけど。
「最近、冒険者ギルドが正式に決定した魔物の強さの指標だよ。冒険者ギルドも規模が大きくなってきたからな。効率のいい受注体制が必要になったんだ」
冒険者ギルド…あぁ、街にそれっぽい施設があったな。
「ふむ、一から百までですか」
「そうだ」
「それでは、人間の方にはレベルはあるんですか?」
「いや…人間は個体差が激しいからな。そうだな、下位冒険者が二十レベル、中位冒険者が四十レベル、上位冒険者が六十レベルぐらいだろうな。エイドールは…七十か」
「そして自分は九十ぐらいってか?」
からかうようにエイドールさんが言う。ザイネロさんは少しばつが悪そうな顔をして、「よしてくれ、八十後半ぐらいだ」と返した。
ひょっとしてエイドールさんは、ザイネロさんが力を得るために契約したことを知っているのだろうか。あまり悪意というか、嫉妬や羨望の類の感情は感じないけど。
「じゃあ、例えば僕やリルちゃんの戦った死竜とかはどのくらいなんですか?」
「ん…明確には決まってないな。レベルが定められたのは最近で、死竜は魔王の出現に合わせて出てくる種族だからな。だが、まぁ、感触的には、八十前半ぐらいなんじゃないだろうか」
「なるほど…」
それを倒してしまったとなると、何とも肩透かしだ。いや、でも力量のないリルちゃんでも、加護を受けているとはいえ不幸には強いように、レベルと運には強い相関はないか。
「あ、そうだ。ザイネロさん、もう一回確認したいんですけど、北の遺跡には一日ぐらいかかるんですよね」
「あぁ、そうだ」
「ありがとうございます」
一日、か。恐らくそんな、上手いことにはならないだろう。一応覚悟のうえではあるが、今の僕は、幸運60000に不幸60000。これは普通の人が幸運1不幸1という状態とは訳が違う。
降りかかる1の不幸に、1の幸運で対応するのではなく、降りかかる60000の不幸に、60000の幸運で対応するのだ。勿論、それだけ壮絶な状況になる。
「ん?」
一時間ほど走ったところで、エイドールさんが馬車を止めた。
「どうした?」
「いや…気のせいかな。あそこに…ウアグ」
エイドールさんが言い終わる前に、ザイネロさんが飛び出した。僕もリルちゃんも慌ててそれを追う。
「…あれは……間違いない、ウアグだ」
「ウアグ?」
僕達の前方には、一体の人間のような者が立っていた。その体は漆黒に包まれており、筋肉質な男の全裸のような姿だが、その胴体には、逆さの顔があり、2つの大きな目で僕達を見据えている。
青い空やそよぐ心地よい風を否定するかのように、そいつの周囲は淀んで濁っている。
「魔界に生息しているバケモンだよ。普通はこっちには来ないんだが、たまに気の触れた魔術師とかが呼び出したりする」
「エイドール、お前昨日までペアルールにいたな。法華卿の預言はあったのか?」
「あぁ、確かに、『肆災』っつーのが順番に来るっていうのは…だが一段階目は阻止されたって聞いたけどな…」
「何にせよ。ここで止めなければ街が危ない」
また、知らない単語がかなり出てきた。だが今は聞いてる暇も無さそうだ。とりあえず、一つだけ聞いておかなければ。
「レベルは、どのくらいですかね」
「…そうだな、九十はあると思ってくれ」
「分かりました」
全員が武器を構える。心配なのは、リルちゃんとエイドールさんだな。こっちに害は及ばないようにしたい。
「アウグ、クウアクググクグ」
ウアグの胴体の口が何かを言った。死竜や魔王のように言語の通じる相手ではないらしい。
さて、この降りかかった不幸を、退けよう。うん、これでいい。僕の不幸は僕の幸運で片付ける。他の所に害は及ばさせない。それが信条だ。それが約束だ。
「では、全員早速だが、死力を尽くそう」




