逸話(アネクドート) 《side anecdote》
ミャージッカは風が防がれたのを見て、次の魔法を発動する。不意打ちは通じない、そう考え今度は高らかに魔法を詠唱する。
「『炎焼球』!」
空気中に火球が渦巻くように幾つも形成され、アネクドートへと向かっていく。アネクドートは瞬間的に駆け出し、その爆風から逃れる。ドォンと、幾つもの爆発音と熱風がアネクドートの背中に触れる。
「いい迫力だ。んじゃ…」
アネクドートは片手を天に掲げる。すると凄まじい勢いで雷雲がこちらに流れ、複数の落雷がミャージッカを襲った。先ほどの火球の爆発とは比べものにならない轟音と閃光が炸裂した。
「くっ…」
しかし、ガラスのような半球がミャージッカを包み、これを防いだ。先ほどミャージッカが展開していた防壁魔法である。
「ん、そういうのもあるんだな」
「防壁魔法なんて、基礎だろう。馬鹿にしないでほしいな」
アネクドートは、次の攻撃に移る。腕をぐるぐると回すと、ぽつぽつと何かが降ってきた。
「…?」
それは、雨のような、雪のような、霰だった。徐々に霰はその大きさを増していき、ついには野球ボールほどの雹に変わった。数え切れない程の氷の玉が弾丸のようなスピードで降り注ぐ。
「ぐっ!」
防壁魔法を展開するが、かなりの衝撃が断続的に続くと、ミャージッカも防戦一方になってしまう。それを見て、アネクドートはさらに追撃を始める。
「さぁさぁさぁ! どんどんいくぞ!」
上空の雲が渦巻き始め、ミャージッカの後方の一点から地上に雲の筋が降りてきた。途端に、巨大な竜巻が形成される。めきめきと周囲の木をなぎ倒し巻き込みながら迫る。
「!」
竜巻を形成する呪文は、ミャージッカの記憶にはある。しかしこれほどの規模の竜巻を作るとなると、凄まじい疲労が起こるはずだ。しかしアネクドートはけろっとしている。と、観察しているミャージッカの真後ろから何かが高速で飛んできた。
咄嗟に防壁魔法で防ぐと、それはがしゃんっと音を立てて壊れた。それは、先ほどアネクドートが降らせた雹だった。
(私に当たらなかった物を再利用したのか!)
ひゅんひゅんと空を切る音と風の轟音が迫ってきている。雹を纏った竜巻が、ミャージッカへと激突した。
「ちっ…『巨神の息吹』!」
ミャージッカが竜巻の最中呪文を唱えると、ミャージッカを中心に強力な衝撃波が発生し、竜巻をかき消した。アネクドートは特に気にする様子を見せず、ミャージッカの発した魔法が気になる様子だ。
「…『空氷刺突』」
今度は空気中に長さ3メートル幅1メートルほどの氷の槍が幾つも形成されていく。それぞれが、ミャージッカが指を振った瞬間、アネクドートへと発射された。
「おッ!」
体操選手のように空中で体を捻り、回し、氷の槍を避けていく。しかし、本数は徐々に増していき、絶対にかわすことのできない密度へと達する。一本の氷の槍が、アネクドートの脳天へと迫った。
「!」
驚いたのは、アネクドートの方だった。アネクドートの眼前に、先ほどミャージッカの作り出したガラスのようなものが突然形成されたのだ。それに氷の槍が衝突し、砕け散る。
「貴様…その身体能力、肉体強化魔法でもかけているのか?」
「…今、我を守ったのか?」
アネクドートの中で一つの仮説が形成された。先程までのミャージッカとの攻防から形成された仮説が。アネクドートの手のひらに小さな力の流れが作られ、消える。仮説が徐々に、確証に変わっていく。
「はぁ? 何を訳の分からな…!?」
ミャージッカは、優れた魔術師だ。それは生まれた頃から、魔力の恩恵を存分に受け、魔力に接してきた。だからこそ、『魔力可視化』などを使わなくとも直感で異変に気づくことができた。そして、空間転移魔法を使い空中へ転移し、限界まで距離を取った。
それが、幸運だった。ミャージッカにとって、というよりは、アネクドートにとって。
ミャージッカは目を疑った。アネクドートの周囲100メートルほどの空間が、消滅した。
「は」
木々や大地が、丸ごと削り取られたかのように消滅した。地面に異様なほどの大穴が形成された。その穴に、縁の土や木々などが崩れ落ち、虚空に飲まれ消えていく。
「な、なんだこの、魔法…」
「危なかった」
「っ!?」
ミャージッカの背後に、アネクドートが立っていた。自身がやったことを不思議そうに、或いはおぞましそうに感じている、そんな表情をしていることが、ミャージッカを困惑させる。
「危なかった。危うく我は、愉悦に飲まれるところだった。また我を失うところだった」
「何を…」
「よし、この辺でやめにしよう。これ以上は、あいつらを裏切ることになる」
アネクドートはうんうんと頷き、ミャージッカの頭にぽんと手を置いた。
「良かったな。一年前だったら死んでたよ、お前」
「き…貴様、いや、貴方はいったい、何者なのだ」
聞かれてようやく、アネクドートはまだこの少女が自分のことを勘違いしていることを思い出した。にやっと笑い、誇らしげにミャージッカへと言い放った。地球で呼ばれていた名を、今も名乗っている名を。
「我は逸話。人類唯一無二の魔法使いだ。人類は我を語り、我は人類を騙る。…なんてな」
アネクドートとミャージッカは、現在ペアルール王国の首都、カリオイドを歩いていた。アネクドートは道行く人々や建造物に興味津々のようで、キョロキョロと辺りを見回しては目を輝かせている。
「つ、つまりアネクドート様は、遠い世界からヴェグエによって召喚されてここへ来た、ということですか?」
「ああ、まあそういうことだ。うおーっ! あれすげーなー」
アネクドートが指差しして驚いているのは、噴水である。中心に配置された青い水晶から、水がばしゃばしゃと湧き出している。けっして珍しくはない物に凄まじいリアクションをするアネクドートを見て、ミャージッカは不思議そうに思う反面、アネクドートの話に現実味を感じた。
「なるほど。では私の勘違いで襲いかかってしまったということ、ですか…」
「あー、まぁ気にすることはねぇよ。我がやりたくてやったことだ」
アネクドートが通りすがった男が抱えていたリンゴを1つ目にも止まらぬ速さで掠め取り、かじった。男は特に気がついていないようだ。アネクドートは味や形から品種を割り出そうとするが、地球のどの品種にも該当しないことに気がつく。
「それなら…まぁ、良いんですけど、それよりも、アネクドート様が最後に使ったあの呪文は何ですか? 私の記憶にないことを考えるに、葵級魔法のようですが」
「ききゅう? 何だそれ。なんかの階級か?」
「ああ、そこも説明します。この世界の魔法は、魔法の祖ヅプレによって甲乙丙丁の四段階に分類されたのです。しかしその分類に存在しなかった魔法は、葵級魔法という呼ばれ方をするんです」
「へー…和風だな。面白い。あれについては、そうだな、後で詳しく話すわ。長くなるし。それよか今はどこへ向かってんだ?」
徐々に道は入り組み始め、先程の街中の活気はどこへやら、昼だというのにひっそりとした雰囲気が辺りに漂い始める。
「あ、私の拠点です。私の仲間にもアネクドート様を会わせたいんです」
「…まぁ構わねーけど。我ってそんな珍しいか?」
「葵級魔法を使った人は、ここ数百年で一度も記録されていないので、とんでもなく珍しいと思います」
「ふーん…なるほどね」
断ってどこかへ行っても良かったのだが、自分に訪れた展開は全て自分のためにある、というのがアネクドートの信条である。そして、実際にそうだ。
それに加えて、アネクドートはこのミャージッカという少女がかなり気になっていた。異世界的要素よりも、顔が。アネクドートは何よりも可愛いものが大好きで、それは男女問わず人間かどうかも問わない。ミャージッカの容姿はフォークロアとまではいかずとも、かなり優れていたのだ。
(ま、魔法について色々調べるのも面白そうだしな。あいつらとはどうせ合流するだろうし)
アネクドートは軽く手のひらに炎を作る。何度見ても不思議な展開だ、と思う。
そして、先ほどまでは中東のような高い建物が複雑に入り組んだ道であったのに、途端に道が開けた。そこには、大きな建物がひっそりとあった。巨大なビルを思わせるその建物は、今までの古い西洋風の建物と比べて異質だ。
「へぇ…」
「ここが私達の拠点、『聡明塔』です。多分皆も中にいると思うので、行きましょう」
「おう」
門をくぐり、丁寧に整備された庭園を抜け、玄関へと入る。そこには、広々としたロビーがあり、数人が部屋の中央のテーブルで茶を飲んでいる。
「ミャージッカ。戻ったか」
眼鏡を掛けた初老の男性がまずミャージッカへと話しかけた。その雰囲気や話しぶりからは気品と知性が溢れている。
「ただいまー」
「そっちの人は?」
若めの赤髪の女性が次に問いかける。
「ええと、今から説明するよ」
ミャージッカは、テーブルの空いた席に腰掛ける。アネクドートもついで腰掛ける動作をしつつ、アネクドートは、現在席に着いている人々を観察する。
初老の男性、赤髪の女性、金髪の耳が尖った女性、顎髭をたくわえた男性、そして、白髪の青年。どの人物もアネクドートを興味深そうに見ている。この視線、雰囲気をアネクドートは知っている。自らもそうであり、最も関わってきた人種。
(研究者か…)
「この方は、私が勅令の仕事でお会いした魔術師、アネクドート様です」
「よろしく」
全員がパチパチと拍手をする。妙に慣れない、とアネクドートは内心困惑する。すると、白髪の青年が興味深そうにアネクドートを眺めた。その眼球は黒々と輝いている。
(中二病っぽい容姿だ)
「君…魔法は使えるのかい?」
「誰だ」
「おっと失礼、俺はカラカドナ。さっきから、君に魔力が見えないんだ」
「な、何を言っているんだ、カラカドナ!」
アネクドートが反応する前に、ミャージッカが反応した。先ほどまでのアネクドートを見ていれば当然の反応である。
「ほらよ」
アネクドートは手のひらの上に炎を作り出し、次に風を作り出す。炎がくるくると小さな渦を作る。その瞬間、全員が席を立ちアネクドートの元へ詰め寄った。
「どういうことだ!? 魔道具を身に付けているのか!?」
「いやいや、そんなもので魔力の消費を0にできるわけないでしょ!」
「それよりも魔力を持っていない人間とは、実在するのですか? あなたはいったいどこのご出身で?」
「古代の人間にはそういう人間もいたらしい。君、いったい何歳だ」
「つか、人間なの?」
「…おう、全部後で答えるわ」
「あ! ちょっと待ってよー」
矢継ぎ早に迫る質問を、アネクドートはその一言で終わらせ、ミャージッカの手を持ち、引っ張っていく。
「え? どうしたんですか?」
「魔法の資料のあるとこに連れてけ」
「あ、は、はい。それはもちろん連れて行きますが、どうして急に」
「……………何となくだ」
そして、何となくとは、アネクドートにとって最大限の危険信号である。
「ミャージッカ。あの年がいった…のは違うな。白髪も違う。多分あの耳尖ったエルフっぽい奴だ。アイツ、名前は何だ」
「え? や、ヤイハ・ヤーヌスです。ハイエルフの、たしか、700歳くらいの女性です」
「…そうか。うん、悪いな。取り乱した。とりあえず、魔法について教えてくれよ」
「あ、はい!」
ミャージッカが一つの部屋へとアネクドートを招き入れた。窓はあるが、入ってくる明かりは少ない。そこには、所狭しと魔導書や水晶などが置かれている。床にも転がる本などをどけ、ミャージッカはアネクドートを見た。
「では、教えさせていただきます! この国、そして世界を支え、形作る法、魔法について!」




