凍死
「…」
何が起きているのか、よく解らなかった。
目に飛び込んできたのは、氷。地面はびっしりと白い氷に覆われている。また、家のような形の氷、木のような形の氷、そして、人のような形の氷が点々とある。氷が月明かりを反射して、いやに、はっきりと見える。
「…くそっ」
「これは…」
と、その時。
「あああぁあぁあああ!!!」
「!?」
しんとした村に、絶叫が響き渡った。嗄れてたけど、女の子の声のような気がする。僕達は急いで声のした方に向かう。すると、そこには、二人の少女がいた。
「殺す! 殺す! 殺す! あぁああ!!」
「はは、喧しい喧しい」
一人は、ボロボロの服に身を包んだ女の子だ。黒い短髪はぼさぼさで、自分の血なのか、はたまた別の人の血なのか分からないが、所々赤いシミが付いている。手には短剣が握られ、もう一方の少女に切りかかっている。そしてそれを軽く去なす少女は、対照的に綺麗な服に身を包んでいる。水色と白の美しい、雪や氷が服になったようだ。髪も白く、雪のように煌めいている。
「魔王様には殺すなと言われてるからさー。あれ、殺せないんだっけ? まぁいいや、精々憎んでくれよ、勇者ちゃん」
勇者、あの女の子が? そうか、魔王がいるとすれば、勇者がいてもおかしくはない。とすると、あの少女は魔王の手下ということか。
「う、うぅ、ううぅああぁあ!!」
女の子が再び怒り狂いながら短剣を構えて突撃する。止めなくては、と動こうとした時、既に短剣は、ザイネロさんの足の指に押さえられていた。
「止めろ、リル」
「ざ、ザイネロ…さ、ん」
リルと呼ばれた少女は、よた、よた、と後退りし、どさっとへたり込んだ。
「むん。何お前、邪魔すんな」
「貴様こそ、何者だ」
「ボク? はは、人間風情に名乗ってやるのも面倒だが、まぁ教えてやる。ボクは魔王軍直属親衛隊、四死竜が一人、凍死竜フリジコルだ」
少女は聞き覚えのある名前を口にした。さっきのあの黒い竜の仲間、なのか、この女の子が? どう見てもかわいい女の子だけど。
「死竜…? 貴様が?」
「そうだ。まぁ今はこの姿だよ。ボクに限らず力のある竜は幾つか姿を持っているってことも、人間は知らないんだね」
くく、と得意げな顔をして笑うフリジコル。あれかな、強い魔物は基本的に人間を見下しているのかな。
「お前が何であろうと、関係はない。私の友人達にこのような仕打ちをした報いは、受けてもらおう」
ザイネロさんは一歩下がり、腰をぶんっと捻った。すると、腰に差してあった二本の剣が抜け、地面に突き刺さる。その上にひゅっと飛び、つま先で二本の剣の柄を持って立った。いったいどんな指の力を持っていればあんなことができるんだろう。
「へぇー、そんな体でも案外戦えそうだね」
身長の差がさらに広がり、半ば見上げる形でフリジコルは余裕そうに言う。
「…私はこの体だから強いんだ。いくぞ」
どんっとザイネロさんが跳躍した。フリジコルは両腕を素振りするかのように振り下ろす。すると、ビシッという音ともに氷でできた剣が作られる。
「ハァッ!」
空中で数回回転した後、その勢いのままに右足を振り下ろす。振り下ろした赤い剣からは烈火が迸り、フリジコルへと迫った。フリジコルはそれを両手の氷剣で防ぐ。熱気と冷気がぶつかり、凄まじい風が辺りを薙ぐ。
「炎が弱点、とでも思った?」
ガンっとザイネロさんの剣を弾き返すと、フリジコルは氷剣を地面に突き立てた。
「『氷刺突』」
すると、地面から夥しい数の氷の棘が発生し、ザイネロさんへと伸びていく。
「!」
赤い剣を上に振り上げ、火柱を発生させこれを凌ぐ。しかし、火柱の中からフリジコルが突撃してきた。突然の奇襲に、ザイネロさんは緑色の剣で応じる。鋭い風が、フリジコルを切り裂き、勢いが弱まった所に再び炎を叩き込んだ。
「うわっ!」
炎が直撃し、後退するフリジコル。とっさに周囲に氷を作り出したのか、蒸気が勢いよく立ち上がり、フリジコルは見えなくなった。
ザイネロさんはすかさず追撃するべく、その蒸気の中に突入する。すると、蒸気の中からぬっと出てきた大きな手にガシッと掴まれてしまった。
「ははハ! ナんだ、けッコウやるジゃん!」
「ぐ…」
出てきたのは、手のみを竜の姿にしたフリジコルだった。肩から水色の鱗に覆われた滑らかな光沢のある巨大な腕が生えている。 人間とゴリラの力は、言うまでもなく大きな差があるが、フリジコルの腕はゴリラすら比較にならない太さだ。むしろゴリラが丸々入るんじゃないかという太さである。 よく見れば青い角も二本生えている。なかなか奇怪な出で立ちだ。
「でモ所詮人間、こーやッテ掴ンじゃえば後ハ握り潰すだケダ」
「…やってみろ、お前が死ぬだけだ」
「へぇ…ジャ、死ね!」
フリジコルはぐしゃっと手を握った。しかし、それと同時にパチンと指ぱっちんの音がする。フリジコルの手に、ザイネロさんの姿はない。
「! どコだ!」
「こっちですよ」
マイさんがフリジコルに呼びかける。ザイネロさんはマイさんの隣に移動していた。
「マイ、助けはいらなかったんだが」
「ええ、だと思いますが、すみません、ここはフェイ君にやらせてあげてください」
「フェイ? …! 分かった。頼む」
どうやら、マイさんは僕の気配を察してくれたようだ。そしてザイネロさんも、僕の目を見て、納得してくれた。そう、僕は少し怒っている。ほんの少しだけ、ぶち切れている。この状況に。この体たらくに。
「えー、キミ? やメトキなよ。キミみたイナか弱い子なンか」
「とりあえず、聞いておきたいんだけど」
「ん?」
いつもできるだけ、心を穏やかにするように心がけているのだが、こういう時ばかりは、歯止めが利かなくなる。自分の不甲斐なさが、人の脆さが、不幸が腹立たしい。
「あの人達は君が殺したということでいいのかな」
「…そうダヨー。イや、本当ヨワいよね、人間ッて。滑稽ダったナぁ。生きタマ凍らセテヤルト、しばらクもがいて叫ブンダぜ? 死ぬノ決まっテるのにさァ、哀れスギ」
「もういいよ」
「ア?」
「だから、もうそのうぜぇ口閉じろって言ってんだよ、半トカゲ。ちょっと可愛いからって調子乗んな。多分本気出せば僕の方可愛いからな」
駄目だな。口調が荒くなってしまった。これ以上醜態を晒す前に終わらせよう。
「…アらー、プッツンきチャッてるカンジ… !?」
そこまで言いかけて、フリジコルは後ろに飛び退いた。僕の手の槍を、『1000』を見たからだろう。
「ナンダそれ、ヤバいなそれ」
ちらっと遠くの方をフリジコルは見やった。
「サッきから近くにいるハズのカオティコルの魔力ヲ感じなイノと、関係があるナら、ヤバいな」
「その通りだよ。君の仲間は、僕が殺した」
「ふーン…じゃあ」
フリジコルは大きく息を吸い込む。周囲の空気がフリジコルへと流れていく。
「チョット本気ダ」
ゴキッという音ともに、残った人間の部分も竜の姿になっていく。辺りには冷気が漂っているのだろうか、水蒸気が凍り白い靄のようなものが肌を撫でる。
「流石ニ人間相手ニ本気ヲ出スノハ恥ズカシイケド、マァ不安要素ハ取リ除イテオクベキダヨネ」
バサァッと翼をはためかせ、完全な竜となったフリジコルは、あのカオティコルのような沢山の棘や突起物のある凶悪そうな姿とは対照的に、滑らかな蛇のような鱗に覆われた竜だった。
「カオティコルヲ殺セタカラッテ、イイ気ニナルナヨ。アイツ、ボクヨリ弱イシ」
顔も、鳥のくちばしのように先が細く、冷気が漏れ出している。さっきカオティコルと対峙したときはある程度距離があったが、今回はもう目と鼻の先に巨大な竜がいる。その圧迫感はなかなかのものだが、どちらにせよ、潰すことに変わりはない。
「『大氷剣山』!」
咆哮にも似た詠唱で、ザイネロさんの時とは比べ物にならないほど多い氷の棘が、僕に迫る。
「串刺シニナッチマエ!」
僕は特に回避動作もとらず、槍を構える。案の定、尋常ではないほどの量の氷の棘は、僕に掠りもしていない。全てが丁度よく僕を避けている。
「ナッ!? 当タラ…!?」
「悪いね、僕、運がいいんだ。じゃあ、死んでくれ」
「ッ!」
再び先ほどと同じように、槍を投擲する。どんなに避けようとも必ず当たるだろう。これは概念みたいなものなんだから、押し付けからは、逃れられない。
そう思っていた。フリジコルの目の前で、槍が消失するまでは。
「!?」
消失した、というか、かき消された。何者かに、握り潰すようにして、フッと。何が起きた。いや、こんなことができる奴なんて、決まっている。1000の不幸をものともしない奴なんて、三人しかいないじゃないか。誰だ、マイさんじゃない。その手の主は……!
「ふぁあ~」
気の抜けた、鈴の鳴るような声だ。ここに来たときと変わらない、可愛らしいパジャマの、極彩色の髪の幼女。
「やっと会えたわね、フェイ、マイ」
そう、フォークロアだった。




