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2-2

――そうして放課後になった頃。

 葵は躁鬱を患っているかのように、昼間とは一変して明るい口調で一輝の机の前に現れた。

「さあ、取材へ行きますよ!」

「え? ど、どうしたんだ、急に?」

 新聞のレイアウトを思案していた一輝が、驚いて顔を上げる。

 葵はその問いに一切答えないまま、一輝の手を取って立ち上がらせた。そしてもう片方の手で手際よく帰り支度をさせると、すぐさま早足で教室から抜け出す。

「って、だからなんなんだ!?」

「言ったでしょう。取材へ行くんですよ」

 そうとだけ答える間にも足は止めず廊下を進み、三階の教室から一階まで階段を駆け下りる。

 昇降口へ辿り着くと靴の履き替えのためにようやく止まり、その間に別の答えを付け足してきた。

「構成を考えるのはその後です。今から一面記事のネタを見つけるんですから、無駄になってしまうでしょう?」

「そもそもなんで突然そんなことを」

「突然ではありません。いつもと同じですよ」

 実際、葵が取材へ行くというのはいつものことだった。というより、そのせいで部室は無いに等しい。取材を行わず一緒に帰宅するという、ここ最近の行動の方が異常だったとも言える。

 しかしそれでも、一輝を同行させるというのは珍しかった。

 どんなに志願しても、村の取材へ行こうとした時と同じように、別の役目があるのだからと断られるのが常だったのだが。

 動きやすいスニーカー姿になって、再び一輝の手を引きながら校舎を後にする葵――

 その時に一輝は、彼女の手がいやに強く握られていることに気付いた。

 震えてこそいなかったが、それはひょっとしたら、今朝も見せていた恐怖心の表れだったかもしれない。一輝はそう予感した。

 だとすれば、突然に変化した彼女の態度もその影響だろう。無理矢理に明るく振る舞うことで、自分をも騙して打ち払うつもりなのだ。

 ただ、それでも単独行動をするまでには至らなかったので同行を願った、ということか。

 そう思えば、普段ならば凛々しいものとして捉えられる、目の前で風を切って揺れる肩ほどまでの黒髪ですら、どこか頼りなく見える。

 ただし一輝は、それを軽蔑することも嘲ることもない。

 正反対に、自分が支えてやらなければならないという強い使命感を抱き、彼女の手を強く握り返した。

「ところで、どこに行くんだ?」

「それは……決めていませんでしたね」

 聞かれて初めて気付いたように、葵は不意に足を止めた。

 闇雲に学校を離れたが、結果的には家の方角へ進んでいたらしく、周囲は見慣れた景色である。

 町の中では主要な部類の道路が通っているものの、民家の合間に床屋や古めかしい布生地屋などが並ぶような纏まりのない地区だ。

 一輝たちが立ち止まっていたのは、その中に建つ個人経営の本屋だった。葵が記事にしようとしていた万引き犯に悩む店だが――今は客すらいないらしい。

「とりあえず、こっちに行ってみましょう」

 犯人の逮捕は見送ることにして、一輝は葵に手を引かれ、自宅から少し離れるように道路を横切り、向かいにある細い脇道へ入ることになった。

 そこは、先ほどの通りから商店を抜いた形に近い。左右には少しずつ間隔を置いて民家やアパートが並び、穏やかな空気を湛えている。

 唯一異質な、そして美味しそうな空気を排出しているのは、こじんまりとしたラーメン屋だった。

 これも葵が記事にしようとしていた店だが、新メニューについてアピールする貼り紙はない。葵曰く、通い詰める客が増えたという噂を聞き、新メニューでも出来たのだろうと推測したらしい。

 さておき制服姿で入るのも躊躇われて通り過ぎると、公園に行き当たる。

 中央に砂場を備え、ブランコと滑り台、動物を模したいくつかの椅子めいたオブジェがある小さな公園だ。そこは一輝たちも幼少の頃は遊びにきたことのある場所で、今は世代交代して新たな子供たちが、母親に見守られながらはしゃいでいる。

 と、そこに――子供ではなく母親の方に、見知った顔を見つけることが出来た。

 一輝たちの近所に住む、三○の半ばを迎えた程度の女性――確か佐野涼子という名前だったはずだ。子供の頃、時々遊び相手になってもらった記憶がある。

 彼女はセーターにジーンズという飾り気のない格好だが、実年齢よりも僅かにだけ若く見えた。長い黒髪を首の辺りで結び、おっとりとした顔立ちをしている。

 そして一輝たちが涼子を見つけるのと同時に、彼女の方もまた公園の入り口に立つ二人に気が付いたようだった。

 ベンチから立ち上がり、片手を上げながら歩み寄ってくる。彼女の発する声は見た目以上に若々しいものだったが、反対に喋り口は歳相応かそれよりも老けていた。

「あら、久しぶりね二人とも。学校の帰りかしら?」

「似たようなものですけど、一応は部活動中です」

 答えたのは一輝だが、その内容が気に障ったのか、葵は「完全に活動中です」と訂正してきた。

 いずれにせよ涼子はさほどその違いを気にした様子もなく、「そうなの? 偉いわねぇ」と小さな子供にするように微笑むだけだった。何が偉いのかはよくわからないが、そういうものなのだろう。

 それよりも涼子はふと思い出したように、二人の顔をきょろきょろと交互に見つめて小首を傾げた。

「でも珍しいわよね、二人一緒にいるなんて。いつもなら絶対に一輝くんが葵ちゃんを探し回ってるのに」

 そう言ってから、懐かしむように微笑しながら虚空を見上げる。

「それで葵ちゃんてば、下水道の中を探検して出られなくなっちゃってたこともあったわねぇ。一輝くんが見つけてくれなかったら大変だったわ」

「い、いいじゃないですか、昔の話は。今はそんな失敗しませんよ」

 恥ずかしそうにそっぽを向く葵の隣で、一輝は「一人でどこかへ行ってしまうというのは今も変わっていないけど」という言葉を呑み込み、苦笑いで誤魔化しておいた。

 葵はくすくすと笑う涼子を止めるために、慌てながら「それよりも」と言葉を滑り込ませた。

「今、記事になりそうなネタを探しているんです。身近なことでも、何か珍しい出来事などは起きていませんか? ……いえ、私たちが一緒に行動していること以外で、ですよ?」

 それならと二人を指差してきた涼子に対して先んじて半眼で言う。

 彼女は「冗談よ」とまた笑った。

「そういえば二人とも、高校の新聞部に入ってるんだったわねぇ。記者になるのが夢だって言ってたものね。中学生の頃なんか、記事を書き留めた大事な手帳を落としたとかで、一輝くんと手分けして近所を探し回って――」

「で、ですから! 子供の頃の話はやめてくださいっ」

 どうも葵はこの手合いの人は苦手というか、調子が狂うらしい。自分の恥ずかしい失敗談を聞かされるほど辛いこともないだろうから、仕方ないかもしれないが。

 しかし照れて慌てる葵というのは貴重なものだった。

 例えば高校に入った初日のこと――葵と一緒に下校した一輝は、新たなスタートを切ったのだという高揚感の中で「大人になっても一緒にいたい」と告白めいた言葉を口にしたことがある。

 その時にあっても彼女は一瞬驚いただけで「それは私が立ち上げる新聞社に雇ってほしいというお願いですね」と冗談めかすだけだった。

 それゆえ、一輝にしてみればなかなかに楽しめる時間ではあったが……

「もう今後は私の思い出話を禁止します! すぐ忘れてくださいっ」

 やがて葵は耐えかねたらしく、顔を紅潮させながら抗議し、思い出話を打ち切らせてしまった。

 そして改めて、ネタ探しの協力をお願いする。涼子もあまりからかうばかりでは悪いと思ったのか、ようやく話を聞いてくれたようだった。

 ……もっとも、だからといって突然に特ダネが発生するわけもなく。

「ごめんなさい、思い当たることはないわねぇ」

 結局はそんな返事が返ってくるだけに終わってしまった。

 とはいえ、最初から期待していなかったことではある。偶然に出会っただけなのだから。

 葵はとりあえず、こうして聞き込みをしていこうと決めたようだった。

 そして涼子に礼を言って頭を下げると次の、今度は特ダネを持っていそうな人を探すために踵を返す。

 その時――「ちょっと待って!」と、不意に涼子がそれを引き止めた。

 数歩分を急いで駆け寄ってきて、何かを思い出した様子で、頼みごとがあると言ってくる。記事のネタではないけどという前置きが、葵を歓喜させるものではないことを示していたが――

 正反対に、彼女を戦慄させるものではあった。

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