1-5
翌朝。一輝は気になって登校前に葵の家へ立ち寄った。それはやはり、心配だったからかもしれない。
が、まだかなり早い時間にも関わらず、彼女は既に家を出ていた。
仕方なく一人で通学路を歩き、県立榛原高等学校と書かれた校門を通って校舎に入る。昨日の様子から彼女が事故や事件に巻き込まれているのでは、と想像してしまうが――
教室に着くと、そこにはいつもと変わらぬ葵の姿があり、一輝は無性に安堵した。
葵は一人きりの教室でぼんやりと自分の席に座り、濃紺のブレザーに纏わりついてくる埃を根気強く払い除けているところだった。それが終わると、今度は胸元の赤いリボンの位置を几帳面に調整し始める。
いずれも特に必要のない行為だったが、つまりは暇を持て余しているということなのだろう。
実際、一輝がやって来たのを見つけると、葵は顔を明るくして駆け寄ってきた。
彼女は同年代の女子の中では長身に分類されるが、平均的な男子よりは少し低い。そのため、平均の筆頭である一輝からすれば、必然的に見上げられる形になる。
そうした状態で向けてくる笑顔は、日頃の強気さも相まって、どこか尻尾を振るハスキー犬を連想させた。
「遅かったじゃないですか」
「葵が早すぎるんだよ。何かあったのか?」
尋ねると、彼女はなんでもないと首を振った。
「少し早く起きすぎてしまって。家にいても仕方がないので早めに登校しただけです」
それよりもと言って、葵は一輝の手を取ると教室の中を進んでいった。
無理矢理に自分の隣の席――もとよりそこは一輝の席だが――に座らせると、自分も椅子に腰を下ろして身を乗り出してくる。
「今度の学校新聞なんですけど、今のところどんな状況ですか?」
「どんなって言われても、まだほとんど手を付けてないぞ。締め切りは日曜日だからな」
「ということは、まだ一面は空いているということですね」
「空いてるというか……まあ、一応な。けど昨日言ってた村の記事はやめておくんだろ?」
それを口にした時、葵は一瞬だけ、身の毛もよだつおぞましい光景を思い出してしまったかのように、表情を凍りつかせ、さっと青ざめた。
答えるべき言葉に詰まり、明確に戸惑ってから、しかしなんとかすぐに気を保つことに成功したように頷く。
「え、ええ、そうですね……ですが諦めたネタのことを、いつまでも話していても仕方がありません。それより次のネタを探しに行こうと思うのです」
いつも通りの凛とした、我の強そうな調子になりながら、早口気味に言ってくる。
一輝はやはり昨日と同じ違和感を抱き、村を忌避する出来事でもあったかと考えたが――深入りすることは望まれていないと察して、切り替えられた話に乗った。
「もう何か見つけたのか?」
「いくつかの候補というか、目星は付けてきました。例えば今月の半ばにサッカー部、野球部共にうちの高校で練習試合がありますから、その特集を組んでスポーツ新聞のようにするとか」
「練習試合の特集をしても」
「来月に開催される演劇研究大会に向けて練習中の演劇部を」
「部活以外はないのか」
もっとも、学校新聞と称するならその方が正しいのだが。
「では町に目を向けて、『近所の寂れたラーメン屋、遂に新メニューを打ち出す!?』なんてどうでしょう?」
「どうと言われても」
無二の親友が相手でも二分と持たないだろう話題に、困窮して頬をかく。
「もっと事件性の強いものはないのか? というか葵はいつも、そういう記事を書きたがってただろ? 注目されるには過激なものを、って」
「あ、あぁ、そうですね……」
指摘に、不可解にも葵は躊躇いを見せた。
普段ならば、こと強烈なネタに関しては異様な嗅覚を発揮するのだが、今はその能力が閉じ込められているようだった。理由はわからないが。
「あ。『三丁目の山本さん、農作物を運搬する姿を某地図ツールに激写される! これは事件の前触れか!?』とか」
「前にも後にも触れてないと思うぞ」
「では『望月葵、万引き犯を逮捕!』とか。近くの書店で被害が出ているらしいですよ」
「それは止めるべきだろうけど……自分で捕まえたって記事を載せるのはどうなんだ」
「『近所の人がうるさくて熟睡出来ない事件』というのも」
「事件って付ければいいと思うなよ」
葵はその後もいくつかの案を出してきた――クラスメイトが動画サイトで顔出し配信を行っていると知った際の上手な距離の取り方だとか、パソコン内の人には見せられないフォルダを開いたままトイレに行くのと、家の鍵を開けっ放しで近所のコンビニまで買い物に行くのと、どちらの方が強い危機感を抱くのかの検証だとか。
しかし、どれも使い物にはならないものばかりで……焦りながら「他には」と案を搾り出そうとする葵に対し、一輝はそれを心配そうに制した。
「大丈夫か、葵? ひょっとしてスランプにでもなったのか?」
「そんなことは――」
彼女は一瞬反駁しかけたが、何か思い当たるものでも見つけたように、目を逸らして言葉を途切れさせた。
そうして、ため息のように肩をすくめる。
「……いえ、そうかもしれませんね。ですが大丈夫です。締め切りは日曜日の正午ですよね。それまでには必ず最高のネタを見つけてみせます」
そう言って顔を上げ、葵は頼もしそうに胸を張った。
しかし――それから二日が経っても、彼女に復調の兆しは見られなかった。
それどころか、なおのこと悪化しているようですらあった。
人に声をかけられればいつもの調子で振舞うものの、そうでない時には明らかに塞ぎ込んでいた。
教室にいる間は自分の席に座ったままじっとして、組んだ手に額を預けて俯くばかり……
かと思えば突然一輝に飛びついてきたり、登下校時は必ずぴったりと寄り添ってきたりと過剰なスキンシップを図ってくる。特に下校の際は友人たちとの会話を中断してまでタイミングを合わせてきた。
一輝は、それが記事のネタを見つからない焦りや、プレッシャーによるものだろうと考えていた。そしてそのせいで、葵は一種のノイローゼになっていたのだろう。
でなければ、現実主義の彼女があんなことを言いだすはずがない――