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最初の方に書かれているものは極簡素な、箇条書きのようなものだった。
村は静寂としている。明かりの点いた家がない。監視にはまだ見つかっていない。
集会場。侵入不能。雨戸によって中の様子も見られない。人の気配なし。時間が違うのか。お宮を調べておく。
森林深い山道。いくつかの墓がある。山頂から音が聞こえる。
明かりは見えない。暗闇。ぐちゃぐちゃとした音。あるいは声を発している。言語は不明。人型の影が動いている。
音は激しい。何かを叩くような音。割れる音。砕く音。
誰かが登ってきた。隠れてやり過ごす。村人らしい。何かを喋っている、水音のような声。聞き取れない。
道の途中で止まった。
――最初のメモはそこで途切れていた。そしてしばらく白紙が続き、手帳の中腹から再開されている。しかしそれは、最初のものよりも明らかに焦り、戸惑いながら書いたに違いなく……手が震え、筆圧もままならず、以前のような丁寧で美しい筆跡の片鱗すら見せない、もはや判別も難しいほど品性のない文字に成り果てていた。
目覚めると私は、朽ち果てた教会のような場所にいた。何をどうされたのか、足を滑らせ、目の前が突如として暗闇に落ちた以後はわからないが、いずれにせよあの村民たちによって気絶させられ、ここへ運ばれてきたことは間違いない。しかしここはどこなのか。全くわからない。日本ではないだろう。海外だとも思えない。あるとすれば……信じがたいことだが、異世界だ。いや、そんなはずはない。夢だろうか。だとすればこのメモも意味を成さない。
今はこれが現実であると認め、出来る限りの行動を起こそう。なればこそ、私は屋根のない教会を後にして、歩き回らざるを得なかった。もし本当に夢であるなら、止まっているよりは動き回った方が目も覚めやすいだろう。夢でないとすれば……やはり動かなければ、眼前に広がる悪夢から逃れる術を見つけることが出来ないのだから。
教会を出て、最初に見えた光景は悪夢としかいいようがなかった。恐るべき蹂躙の爪痕だけしか残されていないと思えるほど破壊し尽くされた町が広がっていた。西洋風の民家は大半が廃墟化し、屋根までも崩れそうになっているものが少なからず見つけられたし、実際に失われているものもあった。乾き切って枯れ果てた大木は、何か凄まじい力によって持ち上げられかかったように、根っこまで半ば浮き出ていた。
もはやそこに誰も存在していないことは明白であり、私は廃墟の町から背を向けるように、反対側へ進むことにした。もっとも教会は町のほぼ中心にあったようで、どの方角を向いたところでほとんど同じような廃墟が広がっており、清浄化させるものの一切ない淀んだ空気と、なんらかの様々な冒涜的なものが混じり合ったような、悪夢の中でしか存在し得ないと思えるほど吐き気を抱かせる、肉の腐敗した悪臭が充満していた。
しかし教会を通り過ぎようとした時、そうした悪臭について少なくともひとつ以上、現実に則した理由があると判明した。もっともそれを記すためには、私が譫妄状態に陥って幻覚を見ていたのではないと主張しなければならない。これが夢でなければという前提だが――私は誓って、この上もなく正気だった。でなければそこで見た悲惨な光景の重圧と畏怖に屈し、自分の首と眼球をかきむしって狂い回ったに違いない。
教会の裏には墓地があった。墓石は全て破壊されていたのだが……そこに、私は最初、いくつもの服が投げ捨てられているのだと思った。見たこともないが、麻や羊毛らしき素材を用いたものが主だろう。中には歴戦の猛者が使用したかのように傷の付いた鉄製の甲冑や、柄と刃の根元しか残っていない西洋風の剣まで転がっていたし、もっと奇妙なもので言えば、成人男性の背丈を優に越える、いかにも害意ある鋭い鉤爪を持った熊に似た奇怪な生物の着ぐるみめいたもの、あるいは千切れて散乱した獣皮なども落ちていた。
しかしいずれにせよ……それは単に服が捨てられているというだけではなかった。私は、その詳細を見るために一歩足を進めることすら躊躇ってしまった。そこにあったのは服だけではなく……人の皮膚も一緒に脱ぎ捨てられていたのだ。
脱ぎ捨てられていたという表現は、決して間違ったものではないだろう。精巧に出来た着ぐるみのように、まさしく人の形をしたまま、皮膚と服だけがそこに落ちていたのだ。内臓や肉どころか骨のひと欠片も残されておらず、仰向けになった顔の皮膚には当然のように眼球などなく、ぽっかりと穴が空いている。そしてよく見れば、千切れた獣の皮だと思っていたものも……人の皮膚だったことがわかる。正面から縦に裂けたように開かれた、子供ほどの小さな皮の塊があった。
それらが実際に着ぐるみの類だということはないだろう。悪臭の根源のひとつはここにあったのだから。つまりはその人間の皮膚が、異常な腐臭や死臭を発していたのだ。
ただ、そうした悪臭の源である教会裏の墓地の奥に、散乱する人の皮を踏みつけながらこちらに背を向けて佇む人間の姿を見つけることが出来た。何者なのかはわからないが、服装は脱ぎ捨てられているものと同じ麻製で、多少汚れてはいるようだが、それの目立たない土気色をしている。裾の広がった長いスカートを履いていることから、女だろう。背丈は私よりも低いが、年齢は同じ程度だと予想出来た。長く真っ黒な髪を流水のように垂らしており、手足に力がなく、やや上空にある、妙に巨大に思える太陽を漠然と見つめているようだった。この町の住民なのか。あるいは私と同じく、わけもわからぬままこの地に連れて来られ、茫然自失としている少女なのだろうかと思ったのは……孤独の不安に、そうであってほしいと願ったからに他ならない。
しかしそもそも、風貌自体が異様ではあったのだ。服のところどころが破れていることや、スカートの裾の半分ほどが千切れていることなどは問題ではないが、そこから露出する白い肌に、不気味な黒い斑点模様が浮かんでいたのだ。しかもそれが単なるホクロの類ではないことを自ら証明するように、その染みめいたものは少しずつ大きくなりながら、明らかに生命を持って蠢いていた。
仮にここが異世界だとするなら、この地に住む者がそういった特徴を持っているかもしれない、という自分への慰めは、全く効果を生み出すことが出来なかった。私はそこに明らかな害意、悪意を感じ取っていた。
そも、あれは少なくとも人ではない。あるいは本来は人間や、それに限りなく近しい者だったのかもしれないが、もはや違う。彼女を人と呼ぶことは出来ない。それは間違いなく邪悪な、そして人間外の生物だった。




