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 曰く――大々的にこそ報道されていないが、実は三月にも奇っ怪な失踪事件が発生していたらしい。

 被害者は二月に失踪した少年たち――彼らは小学生で、同じクラスだった――を受け持っていた男性教員。二月の児童失踪を警察に報せたのも、なぜか児童の親ではなくこの教員だったようだ。

 その彼が児童を心配して村を訪ね、同日に消息を絶った。

 さらに事件は続き、村の噂を聞き付けた愛知県に住む大学生グループ三人が、四月に村を訪れたきり行方がわからなくなった。

 同じ月、三人を探しに単独で村へ向かった警察官までもが失踪するという事態に陥っている。

 その後も失踪は相次ぎ、五月になると近隣市街でも行方不明者が現れ、事件拡大の様相を呈していた……

 そこまでの話を聞き、一輝はひとつの疑問を抱いて口を挟んだ。

「ちょっと待ってくれ、葵。……そんな報道、聞いたことがないぞ?」

 そもそも、児童の失踪についても大して報じられていなかった。

 それは、事件の起きた場所が『村』という小規模な範囲でしかないためだろう。葵が今の今まで注目していなかった理由も同じはずだ。実際、切り抜きはごく小さく、手の平に収まるほどしかない。

 しかし立て続けに事件が起こり、それも他県の住民や警察にまで及んでいるのなら、間違いなく大々的に取り上げられるはずだ。

 一輝も新聞部として常にニュースに注目しているが、そんなものを見た記憶はなかった。

 葵は、そうした疑問が浮かぶのは当然のことだと頷いた。

「実のところ、この事件の何より重要な部分は、報道されない理由にあるんです」

 そう言うと屈むように身を乗り出し、眉をひそめた。

 彼女は上目遣いで真剣に一輝を見つめ、緊迫感を込めながら、ゆっくりと疑問の答えを告げてくる……

 しかし実際のところ、それは一輝を拍子抜けさせるものでしかなかった――三月以降の被害者は全て、失踪から数日以内に発見されていたのだ。

 大学生グループは同じく失踪した警察官に保護されていたし、失踪原因についても単純に深い森の中で迷ってしまっただけらしい。

 その後の行方不明者たちも同様に、迂闊に森に踏み入ったために帰り道を見失っただけで、外傷のひとつも見つかっていなかった。

 唯一の例外は小学校教師で、彼は転倒して怪我を負い、軽度の記憶障害を患ってしまったらしい。

 おかげで村を訪ねてからの記憶が曖昧のようだが、他の行方不明者と違う原因があったとは考えにくかった――彼は後に引っ越しているが、まあ事件とは関係ないだろう。

 しかし肩透かしを食らって落胆する一輝とは対照的に、葵はあくまでも真剣だった。

 「これらの事件によって警察は『橋山村の近辺で発生した失踪事件の被害者は警察が保護した』と纏めることで事件解決を主張し、それ以降の情報公開を一切行っていない」と言うと、それに対して反論を述べ始める。

「先ほど話したように、実際のところこの事件は未解決です」

「最初に起きた児童失踪が謎のまま、ってことか」

「そうです。それに――それ以降の事件にしても奇妙だと言えます」

「初日の出を見に行く途中でちらっと見たけど、あれは森の中に入れば迷っても仕方ないんじゃないか?」

「そもそも森に入ること自体が不自然なんです。道が隠されているわけでもないのですから、村に用があれば真っ直ぐにそこを進んでいけばいいだけのことでしょう」

「そりゃあ、まあ……」

 僅かにだけ頷く一輝の曖昧な同意で、葵は全てを良しとしたようだった。

 「そういうわけですから」と納得させて、予め持って来ていたらしいグレーのコートを着込み始める。よく見れば下には、いかにも動き回るためといった長袖のTシャツとズボンを着ていた。

 どこかへ行くつもりなのかと聞くと――彼女はその意図を理解していないことが意外だった様子で、きょとんとまばたきしてから不敵に笑った。

「決まっているでしょう、『取材』ですよ」

「って……まさか、その村に行く気なのか!?」

「何を驚いているんですか。事件があったら現場で取材、これは記者として当前のことでしょう」

 まして村までは舗装された道があり、自転車で五○分程度。これは起伏や疲労を含めたものなので、実際の距離にすれば時間よりも近い場所にある。

 というのは、危険性を訴える一輝を説得するために、葵が並べた理屈だった。

 それに何より、と彼女は言う。

「こういった見出しにはしましたが、実際のところそれほど危険な場所でもないでしょう。山奥の村落という閉鎖的な雰囲気が、後ろ暗い因習を持つイメージを与えることはありますが……」

 教鞭を奮うように、びしっと指を一本立てる。

 葵はそのまま、ベッドの上で渋い顔をする一輝の前をうろうろと往復して、

「少なくともそこには道路が通り、移動販売の車も出入りしています。村民も、醜悪な思考を持って人間を忌み嫌う邪悪な化け物、などということはありません。私たちと同じように市街へ買い物に行くこともあるでしょうし、そもそも子供は市街の小学校に通っていました」

 そこまで言い終えたところでぴたりと止まると、身を屈めて一輝の方へ顔を寄せた。

 それこそ醜悪な思考を持っているような、あくどい笑みで囁く。

「このように、一見危険だと思われる場所に『警察が恐れる集落の実態!』などといかにも危険そうな煽り文句を並べ立てて、あたかも勇敢に立ち向かった風を装い、なんのこともない閉鎖的な集落の日常を取材する――マスメディアの基本です」

「新聞記者を目指してるお前が言っていいのか、それは」

「そういった狡賢さも時には必要、ということです」

 なにひとつ悪びれる様子もなく、むしろ反対に正義だといわんばかりに胸を張る。

「まして何事もないことが証明されれば、村民にとってもそれほど悪いことではないでしょう。少なくとも、犯罪の隠蔽される村と呼ばれてしまうよりは」

「まあ……な」

 決定的な反論を思いつけず、一輝はまた曖昧に同意した。

 しかし今度は代わりに、それならば自分も同行しようと申し出る。万が一にもなんらかの暴力沙汰があれば、男がいた方がいいだろうという主張だったが――

「ダメです」

 という一言で拒否された。

「それは俺が貧弱だからか」

「確かにそれもありますが」

「あるのかよ」

「未だに電灯の紐でボクシングの真似事をしている人ですから。あなたは」

 見られていたらしい。

 しかし葵は、それとは別にと理由を提示してきた。

「あなたはいわば整理記者なんですから。私が取材している間、レイアウトを考えておいてください。ただし一面は当然、今回の記事ですよ」

 その言葉と共に人差し指を眼前に突きつけられ、一輝はそれ以上に食い下がる手段がないことを悟った。

 何かにつけて押しが強く、怖いもの知らずに突貫したがる葵――一輝はよく、彼女のストッパー役だと評されることがあるのだが、実際に止められたことなどなかった。

 彼女が言い出したら、それを一度でも実行するまで、意見を変えさせることは出来ない。

 かくして一輝は、取材道具が入っているらしいコートを纏って村落へと向かう葵を、家の前まで見送った。

 手を振りながら遠ざかっていく後姿は、その気軽さゆえに不安を覚える。

 しかし同時に――これは自分を安心させるための言い訳かもしれないが――、彼女の言葉に強く納得する自分がいるのも事実だった。

 奇怪な連続失踪というのは恐ろしいが、結果だけを見れば確かに単なる迷子でしかない。

 迷宮入りした最初の事件には確かに凶悪が犯人が存在する可能性があるものの、既に八ヶ月以上が経過している。未だ周囲をうろついているとは考えにくいだろう。

 それを思えば、平凡で牧歌的な村の日常風景に終わるはずだという葵の主張に、疑問を挟む余地はなかった。

「怖がりすぎだよな、俺は」

 小声でそう口にして、家の中へ戻る。

 丁度その時、尋ね人を知らせる市役所からのアナウンスが聞こえてきたが……それも数時間後には『発見された』というものに変わった。


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