表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/33

4-5

 夜が訪れたのかもと思うが、余りに唐突が過ぎ、何かによって陽光が覆い隠されていくような暗転の仕方だった。さらには今までの無音が嘘のように正面の上空高くで風が吹き荒れ、激しい唸りを上げ始めた。雲のない、暗転していく空をかき混ぜ、爆発しているかのような音を響かせる。

 その風は少し遅れて地上にまで届くと、最初は砂埃を巻き上げ、小石を転がし……しかしすぐに立っていられないほどの暴風へと成長していった。一輝はほとんど地面に寝そべる形になりながら、両手を地面につけて踏ん張った。そうしなければ風に煽られ、倒れるだけでなくそのまま中空へと舞い上げられてしまいそうだったのだ。

 そうしてなんとか地面にすがりつきながら――一輝はその風が単なる自然現象などではなく、なんらかの巨大なおぞましい獣が、信じがたい咆哮をあげるために背後で息を吸い込んでいるのではないかと思えてならなかった。牙を剥き出し、体液を滴らせ、凄絶な眼光を持つ魔獣が、巣穴に潜り込んだ獲物を見つけて声を上げようとしているのではないか。そういった錯覚に襲われ、背筋を凍りつかせ、身を竦ませ、脂汗を滲ませ、総毛立つ恐怖感に支配された。

 風は逆巻く勢いをさらに増していき、轟音も鼓膜を破かんばかりになっていた。その暴風は凄まじいもので、廃墟の壁の一部が崩れ、剥がされ、巻き上げられていくのが見えた。一輝は反射的にその無残な残骸を追って、風の行き着く先、つまりは背後に目を向けてしまった……そしてそれを、すぐに後悔した。

 そこにそびえていたのは、紛れもなく邪悪の塊そのものであり、害意しかもたらさないが、人間には決して太刀打ちすることの出来ない異界の神性であるに違いなかった。

 そこでは今まで見たことがなく、距離感が狂ってしまうほど巨大で、押し迫ってくるような真っ赤な太陽が水平線の僅か上で輝きながら、しかし日食のように翳っていくのが見えた。それも、実際の日食とは全く異なっており、横から影が現れるのではなく、太陽の内部から生まれた黒い染みが表面全てに広がっていくという光景だった。一輝が目撃した時点でもその染みは既に総面積の半分ほどを覆っており、驚愕に見開いた目を逸らすことが出来ぬうちにも這いずるように大きくなっていく――なんとなし、一輝にはその光景が、巨大な塊が大きく口を開こうとしている最中のように思えてならなかった。少なくとも巻き上げられた石壁などは、全てその塊の方向へ飛び、吸い込まれるように消えていった。

 やがて風がおさまる頃には、太陽のほとんどが染め上げられ、黒い塊となっていた――あるいはそうなった頃に風がおさまったと言うべきかもしれない。

 光はほとんどが黒に塗り潰されながら、しかし後光のように塊を縁取り、輪郭を露にしていた。それは最初、太陽のような球形をしていたが……次第に鉄が溶けるように表面が波打ち、ぼたりぼたりと雫を垂らし始める。それは実際、黒い塊の身体そのものだったのかもしれない。雫が垂れ、気味悪く地面に落ちるたび、球形は少しずつ姿を変えていった――最初は無機物の様相を呈していたが、次第に気味悪く腐りかける、鰐と蜥蜴の忌まわしい混血種の顎のような形を作り出していく。

 さらにその爬虫類めいた顔は生命を持っているように大口を開けると、そのまま裂けるまで口を開き続け、再び姿を変貌させていった。体毛の溶けかけた猛禽類、半ば骨が露出した古代の肉食恐竜、体表が沸騰したようにぼこぼこと泡立つ類人猿、果ては首や手足がばらばらの位置に付けられた、人間を冒涜するような姿にまで成り果て、また溶けては新たな不気味な姿を取っていく。

 そのどれもが黒いどろどろとした粘液質の塊によって作られながらも、そこには不可解なほど肉の質感が際立たされており、全く生理的な嫌悪感を抱くものであると同時に、もはや人間の理解の範疇を超えており、一輝にはそれが現実であると受け入れることも、夢の為せる妄想の産物であると思うことも出来なくなっていた。ただ果てしない絶望と本能からくる凄絶なまでの恐怖によってパニックを起こしていたことは間違いなく、一輝はそれによって全く身動きが取れなくなり、喚き叫ぶことも、逃げ出すことも、震えることすら叶わなかった。

 ただその肉塊から巨大な水滴、あるいは邪な肉そのものが雫となって滴り、地面を叩き、そのまま地中へと染み込んでいくのを呆然と見つめ、太陽が侵食されていくのを見た時と同じように、この地表もあの肉塊に覆われていくのかという愕然たる絶望に支配される他になかった。肌が粟立つのが収まらず、過剰なストレスによる神経過敏が痺れのような全身の激痛を引き起こし、呼吸を忘れたまま異常に早くなる心臓の鼓動を聞き、半開きの口からはか細い息だけが漏れ、見開かれた目からは自然と涙が溢れ出ている。体温は異常に下がり、間接が凍りついたように軋み、頭の中は深層から湧き上がる確信めいた予感によって、自分が目の前に浮かぶおぞましい肉塊に飲み込まれ、体内から心臓を破られる凄惨な死に様を晒す光景を鮮明に思い浮かばせていた。繰り返し、そうした悪夢の光景が頭に浮かび、そのひとつひとつが焼印を押されるようにこびりついていく。それが目の前で荘厳に佇む、生物かどうかもわからない、暗黒の雫を垂らし続ける黒い塊の邪悪な神性によるものであることは間違いなかった。

 その時、一輝は自分の踵にぐちゃりとした泥のような感触が触れたことに気付いた。それは紛れもなく何かを踏みつけた感触だったが、自らの意思で退いたためなのか、威風によってそう操作されたためなのかはわからない。いずれにせよ一輝は催眠から覚めるように、ハッとして自分の足元へ視線を送った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ