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4-4

 閉じていたことを自覚出来なかった目を開けると、最初に見えたのは空だった。記憶にある深夜の暗闇ではなく、神秘的にも思えるはずの夕焼け空だ。ただし霞掛かった一輝の頭にこびりついている恐怖は、そうした一見すれば美しいはずの、雲のない目に焼きつく真紅の色を不気味な血の海に錯覚させ、無闇に一輝を苦しめてきた。

 いずれにせよ時間が夜から夕方に変わっているということは、夢を見ているか、時間を遡る非科学的な体験をしているかでなければ、かなり長時間に渡って気を失っていたということになるだろう。それが一日なのか、もっと長い時間なのかはわからないが――一輝は軋むような身体を起こすと、それとは全く別の奇妙な事実を知ることになった。

 一輝が寝ていたのは村の集会場の側ではなく、全く見知らぬ教会のような場所だった。長椅子が何列も規則正しく並べられ、その中央を通るように赤い絨毯が敷かれ、大きな両開きの扉から真っ直ぐに伸びている。絨毯は短い階段を上ると、一輝の真下で止まった。そこには小さな祭壇のような、金のようなものが貼られた長方形の台座が置かれ、四方には恭しい紋様の刻まれた支柱と、その上部には蝋燭が立てられていた。一輝が眠っていたのはまさにその祭壇の上であり、よく見てみればそこは、敷布も何もないことを除けば、元よりこうして人を横たえるために作られたものではないかと思えるものだった。後ろを見れば、信仰する神を模っているのであろう像が立っていた。しかし、それがどのような姿なのかはわからなかった。人間と同じ形をした二本の足だけを残して、それ以外の上部が破壊され、失われていたのだ。

 そもそもこの教会らしき建物自体が、完全に朽ち果てているようだった。祭壇の装飾やメッキはくすみ、金色というよりもみすぼらしい土色に変わり果て、絨毯はよく見れば弛み、よれており、ところどころが破れている。椅子は大半が壊れていたし、床板も割れ、土が顔を出している部分が見え、白く塗られた壁もぼろぼろに崩れていた。最初に空が見えたのは天井が全くなくなっていたためだ。石や像の残骸がほとんど見つけられなかったのは、この地に住まう者が、このような荒れ果てた状態にあっても礼拝を行えるようにと努めたためだろうか。だとすれば、この荒廃は自然によるものではないと考えることが出来るが――今の一輝にはそうした推察を行うほどの余裕はなかった。

 まずここがどこであるのか、そしてなぜ自分がこのような場所で眠っていたのかを知るため、一輝は腰ほどの高さがある祭壇から飛び降りて、危うげな半開きとなっている扉を押し開け外へ出た。そこで見た光景は……もはや現実では有り得なかった。少なくとも日本でないことは明らかであり、あるいは現代でもないのかもしれないとさえ思えてしまう――一輝の眼前には、中世ヨーロッパというものを記号的に雑然と想像し、その時代に文明が崩壊していたらという架空の物語を付け加えた場合には、このようなものになるのかもしれないという風景が広がっていた。

 アスファルトのない、土が剥き出しの地面がどこまでも続き、近代様式とは全く異なる、石を積み上げただけという民家らしき残骸がいくつか見つけられる。ただしほとんどは屋根まで失われ、ただ壁の一部が残っているだけという無残な状態だった。それぞれの残骸はさほど密集してはいないながらも、その分だけ広くに点在しており、廃墟化した異国の町であることを窺わせる。

 しかし奇妙なことに、放棄されて久しいと思えるにも関わらず、木はおろか雑草の類もほとんど生えていなかった。石壁に蔦が這うこともなく、土の道は乾燥して固まり、無数のひび割れを作り出している。道の脇や残骸の周辺などには掘り起こされたような穴と、不自然に引き千切られた木の根、あるいは多少の下草を見つけることも出来るが、そのどれもが倒れ、枯れ果てて色味を失っていた。

 おかげで無人の町は一輝の背後から照らす夕暮れの陽光によって、血染めのように全てのものがおどろおどろしい赤茶色に染まり、気分を落ち込ませる不穏な風景となっていた。荒涼として寒々しく、人は当然として動物や虫の声もない。風もないが、黴すら発生しないほど空虚だとでもいうのか、黴臭さも感じなかった。しかしその分だけ空気が淀み、閉め切った他人の部屋を悪意的に凝縮したような、受け付けられない不愉快な臭いが充満していた。

 一輝は思わず口元を手で押さえながら、そうした空気を出来るだけかき混ぜないようにゆっくりと廃墟の中へ向けて歩き出した。その場で立ち止まって気の滅入る景色ばかりを眺めてはいられず、目下の課題はこの地がどこであるのかを解明することだった。もっとも、知識の及ぶ範囲であればこのような場所は存在せず、少なくとも海外の僻地であることは間違いないのだが、だとすれば誰が――これは恐らく橋山村の村民なのだろうが――、どのようにして自分を運び、なんの目的によって置き去りにしていったのかが全くわからなかった。

 最も簡単な答えは……これが自分の見ている夢であるというものだった。信じがたい体験の中で気を失ってしまったため、その時に感じていた恐怖や不気味さが凝縮され、このようなわけのわからない夢となって現れたのだとすれば納得がいく。そして一輝は表面上、朽ち果てた石造りの民家や、押し潰すように破壊されたように見える露店らしき残骸などを間近に見る間も、その答えこそが正しいのだと主張していた。誰もいない、乾燥した土を擦る足音だけが空しく響く廃墟の群の中を歩きながら、胸中でそう繰り返し続けた。

 しかし同時に、そうではないとも考えていた。これは全くの現実であり、知識の及ばないほどの僻地に、理解も推察も及ばない方法と目的によって連れて来られたのだ、と。そう考えさせたのは視覚や触覚、嗅覚はもちろん、耳鳴りと遠方の微かな反響音を聞く聴覚、不安や恐怖からなる乾燥した口腔内の不愉快な苦味を伝える味覚といった、五感全ての圧倒的な現実感によるものもあったが――そうした論理的なものを全て超越した、異様なまでに確信めいた直感、言ってしまえば第六感によるものでもあった。

 やがて一輝が大通りだったらしき土の道を歩きながら、現実と夢との狭間で強烈な不安や心細さを感じ身を震わせていると、不意に不気味な朱色が黒味を増し、辺りがゆっくりと暗くなり始めた。

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