表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/33

3-10

 駅に着くことが出来たのは幸運だったのか、あるいは秘密裏な誘拐をするためには夜の間でなければならないのか。いずれにせよ空が未だ茜色で留まり、多少なりとも視界を利かせ、外敵を遠ざけてくれていることには感謝しなければならなかった。その上で私は警戒心を最大限に働かせながら、性急かつ慎重に家へ向かった。

 手荷物の中から着信音が聞こえた時、私は心臓が止まる思いだった。喉を動かすこともままならない身体の奥底の震えのせいで、それが例え友人からのものであると判明しても電話に応じることは出来なかったが、メールに対応することは不可能ではなかった。というより私はすがる思いで、そして願望も込めて、すぐに帰る旨を伝えた。

 ……その行為が間違いであることを思い出したのは、情けなくも彼と接触した直後だった。今の私は、誰とも接触してはいけなかったはずだ。

 彼に依頼したものがあること自体、これまでの出来事によって半ば忘れかけていたが、辛うじて発することの出来た声で感謝を告げ、私を心配し、食い下がろうとする友人を可能な限り突き放して、隠れるように家へ入った。そうして家族との会話は極力しないまま、部屋に閉じこもった。もっとも、本来ならば家に帰るということ自体が危険な行為だろう。しかし私は夜を待たなければならなかった。猶予は尽きた。奴らは恐らく、暗闇に乗じて私を攫いに来るだろう。その前に、私自身も暗闇に乗じて家を抜け、村へ侵入し、可能な限りあのおぞましい土地を調べなければならない。私にはもはや希望など残されていないように思うが、誘拐と同様に秘密裏な儀式、邪悪な集会が夜に行われているとするならば、その決定的な証拠は見つけられるはずであり、それを村民に見つからぬよう持ち帰ることが出来ればという残滓にすがるしかなかったのだ。

 そうして空が完全に暗闇に包まれるまでの間にも、私はこの部屋の中で出来る限りの準備をするために、ただ呆然と立ち尽くすようなことはしなかった。出発の準備を終えてまず思い出したのは、信利氏に言われた八木貴子という人物のことだ。今から面会することは不可能だろうが、電話で多少の話を聞くことは可能だろうし、万が一にも証拠を持って帰ってこられた際にも力になってもらえるかもしれないと、私はすぐさま連絡を取った。しかし彼女が余裕を湛えながら精神科医であることを名乗ったため、私は電話を切ると同時に連絡先の書かれた紙をくしゃくしゃに丸めて、怒り任せに叩き付けた。

 残るものは友人に頼んでおいた書物や写しの数々で、それらの全てに目を通すことが出来ないのは無念であると同時に友人にも申し訳なかったが、懺悔の時間もなく私は中でも最も重要な鍵を握っているであろうものを見つけなければならなかった。

 そう考えた時、目に付いたのは小説の書き写しだった。教授が辛うじて現実的な調査を行っていたと思われる当時に、場違いにも名前を連ねてきた『邪悪の実在』という空想小説である。そして教授はこの中の一篇――私が友人に写しを頼んだのもこの部分だ――をまるで現実であるかの如く引き合いに出していたという話を覚えている。これは、その時からやはり教授が狂い始めていたと考えることも出来るのだが、それでも私は気になって、スタンドライトの僅かな明かりだけを点し、その小説の写しを読んでみることにしたのだ。

 内容は無闇に壮大であり、世界各地にある多くの邪神伝承、悪魔崇拝の例を持ち出しながら、その根源となる別世界に存在する邪悪な生物の恐るべき実在性についてほのめかしてきた。さらに正確に言うなら、そうした異界の存在こそが我々の住む世界における悪辣な伝承の元となっているのだと示していた。異界には星海や次元、あるいは時空を渡る醜悪な怪物が存在し、その片鱗が人類の世界に顕現した時、冒涜的な人々がそれを神として崇め奉るのだ、と。

 根源とされる存在には名前がなく、邪悪の塊や不定形の怪物などと記されていた。そしてその根源が産み落とした魔の子らが、全く静かに、なんらかの方法によって姿を隠しながら悪意によって這い回り、辿り着いた世界を無差別に蹂躙し、食らい尽くすのだという。書の中では、まるで歴史的な事実であるかのように、それらによって滅ぼされた全く聞いたことのない惑星や、異世界における国々の名前が書き連ねられていた。

 そして最後には、人類がいずれその標的となることは間違いなく、あるいは既に冒涜的な崇拝や、でたらめな召喚の儀式によって呼び寄せられてしまっているのではないか、という警告を発して締めくくられる――

 読んでみれば、それは一般的な小説に見られる物語の体裁をろくに保っておらず、研究者が書き記した調査結果を無理矢理に物語の形に落とし込んだのではないかと思えるほど、ほとんど箇条書きに近い構成を取っていた。しかし、あるいはそのせいで、恐るべき現実味を醸し出されていたのかもしれない。何しろ……私はひとつの文章を読むごとに背筋が凍りつくのを実感したし、我が身に迫る監視の恐怖も一時的に塗り潰されてしまうほどだった。

 そこに記された怪物は教授や優衣が夢に見たおぞましい存在に近しいもののように思え、それは明らかに、二人がこの小説に影響されたため夢に見てしまったことを示しているはずなのだが……そうと断言することが出来ない、ある種の直感めいたものが、洗脳のように私の中の奥深くに植えつけられていることを悟った。恐らくは教授もこの本の不可解なまでの迫力や真実味によって、病んだ精神の隙間を付け狙われ、迂闊にも空想との境界を取り払われてしまったのだろう。

 引きずり込まれた本の世界から辛うじて脱出し、現実に返ることで思い出された監視の気配に怯え、閉め切ったカーテンに恐る恐る隙間を開けて空を見上げると、そこは瞬く星も厳かに光を湛える月もない暗闇に染まっていた。陰影も見えないほど分厚く雲に覆われた夜空の色は、今しがた読んだ空想の中に記され、私の頭が思い描いてしまった邪悪の塊の姿を連想させてきたが……私はなんとかそれを振り払い、目の前にある現実的な恐怖と戦うために気を張り直した。

 そして――空は理想通りだが、時計を見れば人々が寝静まるにはしばしの猶予があったため、私はこの手記を残すことにしたのだ。私が戻ってこられなくとも、これによって村の陰謀が明らかにされる手助けや、きっかけになればいいと思っている。しかしもちろん、私は帰ってくるという希望を捨てたわけではない。

 私は……恐怖に竦み、凍結しそうになる頭を辛うじて働かせた浅慮の中で、可能な限りの行動をしてきたと思う。それがどのような結果に繋がろうとも、今は後悔などしている暇はないし、こうしなければいけなかったはずだ。

 全ての準備は整っている。もっとも手荷物は証拠を押さえるためのカメラと、日頃から持ち歩いているメモ帳、ペンライト。催涙スプレーはどれほど役に立つのかわからないが、これも常備しているものだ。服は可能な限り黒で統一した。これで欺けるとは思わないが、やらないよりはマシだ。

 そろそろ出発しようと思う。証拠を見つけ、暗闇に乗じて逃げるまでの時間を考えれば、それほど余裕はない。

 願わくば……再び友人と新聞を作る日々が訪れるように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ