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3-4

翌日――平日だったが、私にとってはもはや関係ないことだ――、失踪だと思われないよう行き先のメモを残し、家を出た。監視の目をかいくぐろうと物音を殺し、裏口からこっそりと抜け出す。それは上手く出来たように思う。念のためにと大回りして図書館へ向かう間、あの胸のむかつく粘液質な足音が聞こえることはなかった。

 図書館で真っ先に調べたのは、他でもなく二月から連続して発生した村落を中心とする失踪事件についてだった。新聞を漁り、今までに何度も見た記事を改めて読み返し、そこになんの新しい発見もないことを確認すると、ブラウジングコーナーへ向かう。そこで今度は図書館で取り扱っていない新聞のウェブサイトを読むことにした。県内に存在する市報めいたものから、被害者の一人である教員の勤めていた小学校のホームページ、そしてやはり被害者と関連深い――というよりも被害者の大学生が住んでいた、隣県の愛知にある新聞、あるいはその大学。それらを徹底的に調べ上げていった結果、愛知県の新聞の一つに興味深い記述を発見することが出来た。

 それによると驚くべきことに、今まで失踪した大学生グループは三人だと報じられていたのだが、実際には四人グループであるようだった。そして残りの一人は失踪したわけではなく、三人とは別行動で愛知県に戻っていたらしい。 私はそれを知るなりすぐさまその失踪の運命から逃れられた大学生を探し出すと、彼女にコンタクトを取ることを決めた。個人的な連絡先などはわからないが、愛知大学の学生であることが明かされており、それさえわかればさほど苦労はしなかった。せいぜい、移動に時間がかかる程度でしかない。そしてその間も暇などない。友人からの連絡はほとんど無視する形になってしまったが、やむを得ないだろう。私は携帯端末を利用して橋山村に関する情報がないかと調べ続けなければならなかった。ましてや危険性を考えれば事情を説明することも出来ないし、何よりその時の私の頭は僅かながら入ってくる橋山村の情報と、大学生に聞かなければならない事柄の数々とを整理する作業に追われていた。

 豊橋市の駅に着くまでの時間は、私にしてみればほんの一瞬でしかなかった。さらにそこからバスに乗り換えて十五分ほどだろうが、これもまばたきの隙に終わってしまい、大学に到着する頃には夜にすら近くなっていたにも関わらず、全ての考えをまとめきることは出来なかった。それでも私は一刻も早く件の大学生を見つけなければならず、明かされていた失踪事件の被害者の名前を頼りに、その人物を探した。

 彼女――いまさらだが、その相手は女性である――は幸いにしてキャンパスに顔を出しており、糸を手繰り寄せるような手順を踏むことで見つけ出すことが出来た。名前は杉浦優衣というらしい。彼女の元に直接案内してくれた友人らしき女性が、そう教えてくれた。

 優衣は飾り気のない制服めいた服装をしており、長い黒髪を束ねる藍色のリボンや、背が低く華奢なせいもあって、私よりも年下に見えてしまうほどだった。背丈だけでなく輪郭や目鼻口など全てのパーツが小さく見えるのは、肩を寄せて縮こまっていたせいかもしれない。しかしその顔に浮かぶ色は正反対に、どれほど年経た者でも見せないだろうと思われるような、途方もないほどの疲弊が見て取れた。垂れがちな目をさらに伏せ、大人しそうという印象を悪意的に捻じ曲げた陰鬱さを醸し出し、佇まい全体に深い影が落ちているようだった。

「四月に起きた失踪事件について、お話を聞かせてください」

 私は自己紹介もそこそこに、そう切り出した。無論、その問いが不躾である以上に彼女に不快な思いをさせることは承知していた。彼女にしてみれば好ましくない事件だろう。しかし私には彼女を気遣う余裕も、回りくどく彼女の不信感を解きほぐし、友好的な感情を抱かせているだけの時間もなかった。怯む彼女に対して私が出来たことは、強く手を握って真剣に頼み込むことだけだった。それが通じたのかはわからないが……彼女が頷いてくれたことには感謝以外にない。

「あなたは友人である他の三人の大学生と一緒に、静岡県の橋山村へ行く計画を立てた。そうですね?」

「……立案者ではありませんが、それに同意したことは確かです」

 キャンパスの中では都合が悪いため、私たちは優衣の住むアパートの薄暗い部屋に場所を移して話を続きを始めた。返答を待つ僅かな間にざっと室内を見回したが、入り口の扉を除いて、全ての面が真新しい書棚で埋まり、八畳ほどの部屋を異様に窮屈にさせていた。押入れも棚で封鎖され、全く開けることが出来なくなっている。果てはベランダに出るために窓さえも封じられ、室内を暗くする原因を作り出していた。

 天井すれすれの高さがある二段ベッドの一段目も書棚として徹底されており、異常なまでの偏執を見せる読書家を思わせたが、奇妙なことに全く手付かずで、ただ棚に収められただけのように見える本も数多く見つけることが出来た。テーブルが不自然に壁際に酔っていたのは、椅子が何故か書棚にぴったりと背中を付けるような配置になっているせいに他ならなかった。優衣はそれが日頃の行動であることを示すように、全く自然にそこへ座っていた。

 ともあれ、私はそうした些細な違和感よりも先に話を続けた。

「一人だけで引き返してきたんですか?」

「はい。村へ行く途中で怖くなって……ほとんど逃げるように、無理矢理帰りました」

「三人の失踪中、何か特別なことはありませんでしたか?」

 この問いに対し、優衣は最初から伏せがちだった目をさらに逸らし、何かに耐えるように顔を強張らせ、唇を噛み、テーブルの下で拳を握り固めたのがわかった。しかしそれも僅かなことで、彼女は小さく息を吐いてからゆっくりと口を開いた。そこから少女のような囁き声が漏れてくる。ただし心中を投影するように、暗く淀んでいたが。

「特には、何も。警察の人が来て、少し事情を聞かれたくらいです。犯人だと疑われているのかと思いましたけど、ほとんど取り合われない形で帰ってしまい、あとはそのままに……」

 警察のそうした行動は、恐らく村への関心を強めないために、あえて彼女の存在を秘匿にしようと考えたためだろう。好意的に見れば、彼女を興味本位のマスメディアから守ったと言えるかもしれない。実際は――やはり忌まわしい宗教めいた存在を持つ村と関わるのが嫌だったからに違いない。

「三人は帰ってきてから、何か話しましたか? あなたが聞いたことでも、他の誰かに話していたことでも構いません」

「わかりません。三人とも、帰ってきてから別人のように様子が変わってしまい、何も話してくれませんでした」

「様子が変わった?」

「寡黙になったというか、暗くなったというか……私が言えることではないですけど。ただ、三人だけで隅に集まってこそこそ話をすることが多くて、私が近付くと行ってしまうんです。おかげで今は連絡を取り合うことも、キャンパス内で見かけることもありません」

 彼女はそう言うと落胆のように肩を落とした。しかしそれは友人たちとの交流が失われたことに対する失望ではなかったらしく、青ざめた顔で言葉を漏らした。

「そもそも私は……自分のことで精一杯ですから」

「自分の? 優衣さんは大学二年生ですよね。もう就職活動を?」

「いえ、その……」

 問われてバツが悪そうに視線を泳がせる。その顔には人に言うことが出来ない恐怖と、言ったところで無駄だという諦めのようなものが入り混じっていた。そうした心境を理解することが出来たのは――私の中にも、同じような考えが渦巻いているからだろう。

 私は彼女に対していかなる状況においても否定的な立場を取る人間ではないことを証明するために、まずは自分の中に巣食う恐怖について話をしていった。自分を監視しているに違いない人影を幾度となく目撃し、付け狙う足音を際限なく聞き続けた――そういった、今はまだ他人に話したところで信じてもらえないだろう現象が、私を恐怖に陥れ、苛み続けていると。

「優衣さん、あなたも同じような経験をしているのではないですか?」

「それは……」

 私の予感は的中していたに違いない。私からの問いに、彼女は明確な動揺を見せた。目を泳がせ、逸らし続けていた視線を時折は私の方に向けて、話してもいい相手なのかどうかを見極めようとしてきた。私はその審査に通過することを願いながら辛抱強く待ち……やがて彼女は、恐る恐るという上目遣いで私の顔を見つめ、口を開いた。どこかすがるような、切れ切れの声を少しずつハッキリとしたものにしていきながら語った――

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