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3-3

 恐怖と興奮によって必要以上の体力を消耗したために足を止めなければならなくなったのは、しかしそれでも見慣れた街中に戻って来られた頃だった。私は倒れるように自転車から降りると、その後は町が正常であることを実感しようと周囲を必要以上に見回しながら家へ向かった。家の中というある意味で閉鎖的な場所に閉じこもるよりも、大衆の中に紛れた方が正常性を取り戻すことが出来ると思ったためだ。

 おかげで家路に着くまでには、随分長い時間を要したと思う。村の取材を諦めるという正しい考えに行き着くことが出来た頃には――というより、まともな思考を取り戻すことが出来た頃には夕方になっていた。その薄暗さは集会場を思い出させて、また私の中の恐怖心を駆り立ててきたため、自然と足が速くなった。家の近くで幼馴染の友人に出会えたことは、私にとって大きな心の支えだった。彼と接している時は確かな平穏を感じることが出来、ぎこちないながらも笑みを作ることも出来たと思う。私のことを心配する彼に対して余計なことを口走り、心配させてしまったかもしれないが。

 いずれにせよ私はそれ以降、村に関わる一切をやめようとした。そして同時に、村へ赴いた記憶をなんとしても消さなければならないと思い、翌日からは一心にそのための努力をした。平和な現実を取り戻すべく、可能な限り日常通りの行動をなぞりながら、気心の知れた相手の側に寄り、その相手と話す。学校新聞の記事作りに心血を注ぐことで気を紛らわせようともした。もっともそれは、どうしても村のことを思い出しそうになってしまい、自分でも正しく集中しているとは言いがたかったが。

 ただ、時間が経つにつれてその記憶は忘れ去るどころか、鮮明になっていく一方だった。それは私が日常にしがみつこうとする中で、悪意に満ちた気配を常々感じていたためだ。いや、気配などという漠然としたものだけではない――

 村から逃げ帰った次の日、つまりは月曜日の朝が最初だった。学校へ向かう途中、背後の遠くから微かだが音が聞こえてきたのを覚えている。その時はどんなものであるかも判然としなかったし、遠かったために気にも留めなかった。ただしその日の帰りには少し近付いていた。素足で駆け回る小学生のような音のように思えて、この時も気にしなかった。

 火曜日はさらにハッキリと聞こえ、水曜日にもなるともはや言い訳は効かなくなっていた。私は昼夜を問わず音に悩まされるようになっていた。それは足音だった。何者かが私の周りを常に歩き回っているのだ。しかもその音はべちゃりべちゃりと、アスファルトの道に泥の塊を落としているような、人間のものとは思えない粘液質のものが混じっているように思えてならない、気味の悪いものだった――もっとも実際にはそこまで不気味なものではないはずで、私が恐怖心を抱くあまり、誇張されて聞こえてしまっていただけに違いないのだが。

 しかし確かに足音は聞こえていたし、その時の私は怖気に支配され、そうした幻聴の部分すら信じかけていたため、隣家の友人に恐々と音について聞き、現実的な答えが返ってきた時には少なからず安堵した。

 ただ……もう一度悪い妄想を振り払って日常に戻ることは困難だった。私はあの時、影を見つけてしまった。それは人影だったはずだが、その時は確信を持てなかった。おぞましい漆黒色をした、目とも付かない目が電柱の陰からじっと私を見つめていたのだ。友人は何もないと言ったが、それは巧妙に姿を隠したためであり、その瞬間も私を監視しているのではないかと感じられた。

 翌日にはさらに決定的な出来事が起き、少なくとも私を付け狙う何者かが存在することに関しては、疑いの余地を挟むことが出来なくなってしまった。そしてそれを差し向けたのは、まず間違いなくあの村落であると。

 私は現実逃避のため、取材に全ての集中力を向けて、音や影を自分の五感から排し、忘れ去っているうちに本当に消えてしまうことを祈っていた。それでも単独ではなく友人を連れて行ったのは……やはり心底に恐怖が巣食っていたからだろう。結局私の行動は、全て恐怖心に突き動かされていた。ある種、あの村によって支配され続けていたとも言える。

 いずれにせよ私はそうした取材の中で、恐るべき村の脅威が既にこの町をも侵食し始めていることを知ってしまった。そこで聞いた行方が知れなくなった老人は、間違いなく今までの村落を中心とする事件と同様だった。

 それを確証に至らしめる証拠は持ち合わせていなかったが、私はそれが私自身の恐怖心が為せる奔放な妄想などではないことを直感していた――私は再び、影を見たのだ。公園の先にある大木に潜みながら、私をじっと見つめる影を。

 そうした恐怖のあまり、心配してくれたはずの友人の手を振り払ってしまったことは後悔しているが、その時には影が自分へと迫ってきている気配を感じ取り、何者にも触れられることが苦痛でたまらなかった。私はそのまま、逃げるように――いや、実際に逃げるつもりで自宅へ駆け帰った。その間でも私を監視する黒い影を見つけたり、這いずって追ってくるような音を聞いたりした。途中で立ち止まって辺りを見回しても明確な形跡は見つからなかったが、一部分だけが人の腕の形に濡れた電柱や、地面の中を進んで私の足元を通り抜けていく音は、思い込みや幻聴の類であったにせよ、私を恐怖させるには十分過ぎるほどのものだった。

 私の周りに現れ続ける影の正体は、村から送り込まれた追っ手や、監視の類だろう。彼らは私が村で見たものについて口外することを恐れているに違いなかった。そして同時に、今の不自然な私になんらかの危害を加えることで、村が不利益な注目を受けることを嫌っており、そのために遠巻きに監視するだけに留まっていたのだろう。

 ただ、その猶予もそう長くはなかったはずだ。私が日常に戻ればその時に、そうでなくともやはり近いうちには、つまり私の不審な言動が周囲の目を完全に引いてしまう前に、なんらかの行動を起こそうと考えていたに違いない――言ってしまえば、誘拐か。

 その証拠と言うべきかどうかはわからないが……その日、私が家に帰った夜のことだ。部屋で僅かばかりの安全な時間を過ごそうとした時、再び外からあの足音が聞こえてきた。私は戦慄しながらも、その正体を確かめるべく恐る恐る窓に近寄り、カーテンの隙間から家の前の道を見下ろした。そこで目にしたのは……夕闇の中、家の前を歩く人影だった。

 いや、歩いているというものではないかもしれない。身体を前に倒し、後から足を引きずっていくような、ぎこちない動作だ。しかもそれが単なる足を怪我した通行人だとする考えは、影が不自然に立ち止まり、家の方へ顔を向け、また踵を返して位置を変えては、同じように私の家の様子を窺うという行為を繰り返していたことによって、完全に潰えてしまった。それがどんな顔や、格好をしていたのかは覚えていない。私は恐ろしくなって、その人影が不意に二階の窓を見上げてしまう前にと飛び退き、すぐさまベッドの中に潜り込んだ。その後も、身の毛もよだつ足音は少しの間続いた。

 私はそのまま、いつの間にか眠ってしまったようだったが、無事に翌朝を迎えられたことへの感激はひとまず保留した。それよりもやらなければならないことがあると確信していた。つまりは橋山村の調査だ――今までに発生した失踪事件が村の手によって起きたという前提で考えれば、そこに彼らが行ったことの手がかりが必ずあるはずだった。それを見つけ出し、彼らが悪辣な行為に手を染めているという証拠を掴み、公表することで、公的な機関を味方に付ける必要がある。私が生き残る方法はそれしかなかった。……そう考えると、私があの邪悪極まりない集会場の光景を目撃した際、せめて一枚でも写真を撮ってこなかったことが悔やまれる。

 私は少なくともその段階では、村で見たものについて警察等に知らせる気がなかった。彼らは失踪事件のために数度に渡って村を調査したはずだし、その中であの痕跡が全く見つけられなかったとは思えない。警察の調査がなくなった頃に作られたというものでもないだろう。あの壁の文字やおぞましい台座は、少なくとも数ヶ月以上は動かされることなくあの場に存在しているという馴染みがあった――本来の公民館の姿とは全く違うにも関わらず、融和していた。だとすれば調査を行った者たちは、間違いなくそれを発見した上で、あえて何の発表もしていないのだろう。

 その理由も、想像することは難しくなかった。あれは間違いなくなんらかの儀式……つまりは邪悪な宗教に深く関連しているはずだ。村はそうした忌まわしい邪教に支配され、犯罪に手を染めることになったに違いなかった。

 ならばそれらと戦うことは非常に難しく、彼らの正体とも言うべき残虐な行いを正確に掴まない限り、迂闊に踏み込むことなど出来はしない。しかしその正体自体が容易に把握出来るものではなく、それらと関わっているはずの事件も大きくはならなかったために、全く口外されることがないまま今を迎えているのだろう。

 そうであるなら、私が確証を得ないまま、見たものを口頭で伝えたとしても、結果は変わることがない。そして今のままでは世間に公表したとしても、笑い飛ばされるだけだろう。邪教に染まった村落の住民が人々を誘拐し、私も彼らに狙われているなどと言ったところで、誰が信じる?

 私に出来ること、私が為すべきことは、村と戦うために必要だが困難であるために放置されていること――つまりは村に蔓延る悪辣な思想と行動の正体を掴むことだけだった。彼らが何を信奉し、どのような行いをしているのか。その全貌を明らかにすることで、公的機関が信じざるを得ない状況にするしかない。幸いにして、学校新聞はその助けになってくれるだろう。それが成されるまでは、周囲や家族、縁深い友人に悪意が及んでしまわないよう、私は可能な限り迅速に、そして可能な限り単独で事を進めなければならなかった。

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