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望月葵の手記
私がこれを残したのは他でもなく、危機の警鐘のためだと言える。こうして文字にしてしまうと余りにも壮大で、また馬鹿馬鹿しい話のように見えてしまうが、事実であるがゆえにそうとしか言いようがない。紛れもなく私たちの眼前には、恐るべき脅威が迫っているのだから。
私がその片鱗を垣間見たのは、十月二日のことだ。その日の私がどういった経緯と考えを持って行動を起こしたのかは、稲葉一輝という少年に聞けばわかるだろう。いずれにせよ私は、不名誉にも様々な後ろ暗い噂を抱え込むことになってしまった、平穏であるはずの橋山村への取材を敢行することに決めていた。
その決意を抱いた際には、私は微塵の恐怖も、脅威も感じていなかった。それは村落へ向けて出発した際にも同じだし、実際にそこへ辿り着いた時も全く変わりなかった。
村は幅の狭い川を越え、入り組んだ道を山の中へ向けて進んでいくことで発見出来る。舗装されてはいるが、そこは単に田舎道の上にアスファルトを敷いただけであり、道幅が狭い上にそこかしこがひび割れ、進みにくかったことを覚えている。道の両端には人の背丈よりも高く伸びた雑草に占領されて荒れ果てた水田が見え、村落らしい高齢化の問題を窺わせた――村から少し離れた水田を管理する体力がなく、それを継ぐ子供も少ないのだろう。沼沢地のような臭いが鼻をついた。
それらを横目にしばし進むと、ようやく民家が見えてくる。いかにも村落の家屋といった様子の古めかしさで、屋根の一部はひび割れて、壁も経年劣化の形跡がありありと見受けられ、それこそが村そのものを体現していると言えたかもしれない。そして同時に、村の領域に入ったことを示す看板のようですらあった。
実際、その家の前を通過した頃から、独特の臭いを感じるようになっていた。山村らしい青々とした草葉の香りや、むせ返るような腐葉土の悪臭だけではない。例えるなら、初めて他人の家に上がった時のような……それこそ、領域を示す臭いだった。それが村全体を包み込んでいるように感じられたのだ。恥ずかしくも私はその瞬間、なんらかの別の世界に迷い込んでしまったのか、という考えを持ってしまったほどだ。昨夜遅くに降った雨の影響で鬱蒼とした山の中から煙のように靄が溢れており、それが村を白く霞ませて非現実的な雰囲気を醸し出す手伝いをしていたせいかもしれない。
もっとも、当然ながら本当に異世界などということはなく、振り返れば自分の通ってきたのと同じアスファルトの道路が見え、目の前に広がっていたのも異世界めいた絶景などではなく、寂れた村の風景だった。
村は面積だけでいえば、それなりのものだったかもしれない。全景を見れば、山と山との間に切り開かれたような楕円形をしており、中央から外周へ向かって伸びる乱雑に曲がりくねった細道の数々は、どこも緩い上り坂になっている。
民家はまばらで、規則性も持ち合わせていないため全体数の把握は難しかったが、数十戸程度だろう。どれもが古めかしい日本家屋だったが、中には近代的な西洋風の家屋があり、若い夫婦がいることを窺わせる小さな子供用の真新しい自転車なども見つけることが出来た。そしてそのどちらにも共通して、近くにいくつもの畑や水田が作られていた。村の面積に対して家がまばらであるのは、そうした理由なのだろう。それらはいかにも牧歌的な、田舎を象徴する風景と捉えることが出来たかもしれない。
しかし――私が村の中を歩いた時に感じ取ることが出来たのは、そうした長閑さとは全く別種のものだった。村は確かにどこまで行っても静かであり、元より騒音とは無縁の、木々と野鳥の声を主とするような土地だったのだろうが……その時に感じられた静寂は穏やかなものではなく、ある種の殺意に近い、剣呑とした気配を持っていた。
それは数多くある田畑のほとんどが、手付かずで荒れ果てていたせいかもしれない。それも収穫を終えた後というものではなく、村へ来る途中で見かけた水田と同じように、数ヶ月以上に渡って放置されていることが明らかだった。
もっとも、これもやはり高齢化によって農業に従事する者がいなくなったためだ、という理由を付けることが難しくなかった。
他には、どの道にも人の姿がなく、どこの家もカーテンが閉め切られ、人の気配が感じられなかったことも、不穏さを演出した原因のひとつだろう。いや、正確にいえば人はいたのかもしれしれない。私は時折、カーテンや戸口の隙間からこちらを覗く視線を感じ取っていた。そちらへ振り向いても明確なものを発見することは出来なかったが。
しかしこれについても私の合理的な思考は、村落であるがゆえの排他的な思想による結果としか考えなかった。ましてや早朝であったため、なおのことそうした側面が強く現れたのだと結論付けた。
家の前に停められた車や、自転車、バイクの類がどれも風雨で汚れていたこと、犬小屋はあるのに姿どころか鳴き声も聞かなかったこと、雑多に伸びた生垣や、家の周囲に生える雑草などの様子は、不気味な廃墟を思わせるものではあった。しかしそもそも、山奥にひっそりと存在する村というもの自体に廃墟じみた風景を連想させる響きがあったため、私はそれを多少の違和感だけで受け止めていた。
村の各所に正月飾りが残されていたのも不可解だったが……それは単なる村の因習か、暢気な村落にありがちな怠惰性の現れだろう。それについては怖気を抱くものではなかったので、ここに含めるのは間違いか。
なんにせよ、以上のような現実主義によって、私は例えようのない居心地の悪さに対しても気にすることがなく、引き続き村の中を歩き回ることに躊躇いはなかった。
そうして私が向かったのは、村の中心地だった。拒絶されるのは仕方ないとはいえ、取材である以上は村民と出会わなければいけないため、そこへ行こうと考えた当然のことであり、責められるべきではないだろう。……しかしそれでも、それによって発見してしまうもののことを考えれば、全く間違った行動だった。