第十三話 魔法少女と高くなった鼻
ダイアモンドを一周し、自身のベンチ(文字通り、椅子だ)に戻った私を出迎えてくれたのはポカンとした表情を浮かべた即席のチームメイト達だった。
「ホラ」
「…………へ?」
「『へ?』じゃないわよ。次のバッターは? 誰? 早くしないと授業終わっちゃうわよ?」
ポカンとしたまま私の言葉を受けた律子ちゃんが、なにかに気付いたかの様に慌てて6番バッターの子に『で、出番だよ!』と告げる。よほどびっくりしたのか、それでも口を開けたままだった6番バッターの子も『ほら、早く行かなきゃ』という私の言葉に正気を取り戻したか、慌てた様にバットを持ってバッターボックスに向かった。
「……ふう」
これぐらいの運動で汗をかく筈もない。そう思いながら、それでも私は持ってきたタオルで顔を拭く。木陰に置いてあったからか、ひんやりとしたソレに涼を貰いやれやれと拭いていたタオルを下に降ろして。
「……なにさ?」
眼をキラキラさせた律子ちゃんと眼があった。っていうか、近いよ、律子ちゃん。
「――すっげー! スゲーよ、恭子! あんなホームラン、初めて見た!」
おい、お嬢様。『スゲー』って言葉遣いは良いのか、『スゲー』って言葉遣いは。そんな私の目だけでの訴えを意に介さず、律子ちゃんはマシンガンの様に言葉を続けた。
「スゲー! なんだよ、今の! グンって後ろに引いて、ブンって振ったら、カキーンだぜ! すげーな、アレ!」
「新聞屋の終身名誉監督か。意味が全然わかんないわよ、それ」
「いや、だってあの美代子からホームランかっ飛ばしたんだぜ! しかもあんな特大の! スゲーな、恭子! 力無さそうな感じなのに! サイボーグか? サイボーグか何かなのか! それかゴリラの仲間か!」
「未来の世界からも、コンゴの山奥から出て来た訳でも無いわよ」
「そうか! いや、そうだよな。にしても……なんだ? 経験者なのか、恭子は?」
「いや……うん、まあ」
律子ちゃんの言葉に、少しだけ渋面を作って見せる。一応、小中と九年間続けたスポーツであるし、仮にも全国大会にまで出たのだ。人様と比べて下手くそだとは……まあ、自惚れ差っ引いても思ってない。思っていないが……否、思っていないからこそ。
「へえ! 経験者か! スゲー筈だよな!」
「……やめて、恥ずかしいから」
「恥ずかしい?」
きょとんとする律子ちゃんから眼を逸らし、私はポリポリと頬を掻いて見せる。
……いや、だって、ねぇ? ちょっと『ソフトボールなんて簡単、ぷげらー』って……まあ、こんな言い方ではないが、ともかく少しぐらいバカにされたぐらいでカチンと来るなんてどんだけ沸点が低いんだ、しかも年下の女の子相手にって……と、結構自己嫌悪モードなんです、はい。
「……なんか良く分かんないけど……でも! 格好良かったよ、恭子!」
親指をグッと上げて見せてくる律子ちゃんに羞恥がマックス。いや、本当に勘弁して下さい。そう思い、顔を逸らそうとして。
「まあ……たまにはイイ薬だよ、美代子には」
逸らそうとした顔を止める。私の妙な動きに気付いたか、『ん?』と可愛らしく首を傾げて見せる律子ちゃん。
「その……律子ちゃんってさ」
「私?」たあ
「ええっと……美代子ちゃんの事が……その……なんていうか……」
『美代子ちゃんの事、嫌いなの?』と直截的に聞けず言い淀む私に何かを悟ったか、律子ちゃんは苦笑しながらフルフルと首を左右に振って見せた。
「嫌いじゃないよ。美代子は明るいし元気なイイ子だよ……ただ、なんていうのかな? ちょっと突っ走る癖があるんだよ」
「ほう。突っ走る」
「なまじなんでも出来るからね、あの子は。勉強も運動も、大した努力もせずにね」
なるほど。『こんな事も出来ないの?』タイプ……でもないか。『これぐらい、出来て当然!』タイプか。
「神にでも愛されてるの、美代子ちゃん?」
「ホントに。ただ、別にそれを偉ぶる訳じゃ無いから嫌われてはないし、私も嫌いじゃないわ。ちょっとだけ心配なだけで、だから……まあ、たまにはイイんじゃないって思うのよ」
あの高くなった鼻を折られるのもね、とペロッと舌を出して見せる律子ちゃんに苦笑を浮かべて。
「……ん?」
ティン! と来た。
「お? 三振か。それじゃ恭子、最後の守備に行こう! 折角一点取ったんだから、絶対守ろ――」
「ねえ、律子ちゃん?」
「――う……って、なに?」
自身の言葉を遮られてもイヤな顔をせず、ばかりか弾けんばかりの笑顔を見せる律子ちゃんに。
「……ちょっと、相談があるんだけど」
――私は、物凄く『ワルイ』笑顔を浮かべてそう言った。
◇◆◇◆◇
「ストラーイク! バッター、アウト!」
審判役の先生の声に、ピッチャーを務める女の子がにこやかな笑みを浮かべてサードを守る私に笑いかけて来た。
「ナイスピッチ!」
五回裏、ツーアウト。一回からマウンドを譲らない我らがチームのエースの三振の数は既に十個目を数えた。十四個のアウトの内の十個が三振と言えば立派な数字だ。相手チームのバッターがバットを振っているのか、それともバットに振られているのか、判断に迷う点がある事を加味しても、学校体育のレベルなら十分だろう。
「――よーし! 此処で私が一発打って同点だぁ!」
ネクストバッターズサークルで気炎を上げる美代子ちゃん。先程のホームランが堪えたのか、今までにない気迫の籠った表情を浮かべている。
「タイムをお願いしますわ」
そんな美代子ちゃんの気勢を削ぐよう、ピッチャーの子がタイムを掛ける。審判役の先生が承諾の意を告げると、ピッチャーの子はサードに向かって歩いてきた。
「後はお任せしますわ」
品の良い笑みを浮かべたまま、サードの子が手に持ったボールを私に渡す。そのボールを受け取りながら、私は小さく頭を下げる。
「ごめんね? 折角の完封勝利を」
「いえいえ。私に美代子さんを抑えるのは荷が勝ち過ぎます」
「あー……特に今の美代子ちゃんは?」
「ええ。それに……やはり、こういう緊迫した場面はクローザーの方の出番ですので」
「……詳しいね。好きなの?」
「父の仕事の都合でNYにいた事が御座いますので」
本場仕込みか。苦笑を浮かべる私に『よろしくお願いします』という元ピッチャーに頭を下げ、私はピッチャーサークルに向かった。
「お! ピッチャー交代? さっきの借りは返すよ、恭子ちゃん!」
タイムに少しだけ訝し気な表情を浮かべていた美代子ちゃんが、私の登板に先程よりも気合の入った表情を浮かべる。その顔に向かって手を振りながら、私はピッチャーサークルに置かれたロージンを手に取った。
「せんせーい。ピッチャー交代します」
私の声に、先生が頷き『プレイ!』と声を出す。その声を聞きながら、私はピッチャーサークルの土を二、三度左右に蹴った。
「さあ、来い! 恭子ちゃん!」
そんな美代子ちゃんの声が耳朶を打つ。別段緊張を覚える場面でも無い筈なのに、少しだけ高揚する気分そのまま、私は右手を一度後ろに引き、その腕を『まるで風車の』様にぐるりと一回転させ。
「「「…………え?」」」
幾つかの声が、グラウンドに響いた。主審役を務める先生の声、キャッチャーをしてくれている律子ちゃんの声、先程ピッチャーを変わってくれた女の子の声、それに、バッターボックスに立つ美代子ちゃんの声が。
「……うん」
本職はピッチャーではないが、それでも素人の中学生に負ける様な練習はしていない。スピードガンが無いので正確なスピードは分からないが――恐らく、八十キロぐらいは出ていたであろう、自身の放ったストレートに満足しながら『うん』と頷き。
「……さあ、美代子ちゃん? 借りが返せるモンなら、返して貰おうか?」
悪役丸出しの私の台詞と、先生の『す、ストライク!』という上擦った声が同時に聞こえた。




