二話 玲也の天敵
「おはようございまーす!」
週が明けて月曜日。
家を出るまではなんとなく面倒に感じていた学校も、いざ門を前にするとそんな気持ちはなくなってしまっていた。
むしろ正門の前で元気いっぱいに声を張り上げる風紀委員たちを見ると、無気力感は霧散してしまう。
桜明大學附属高校は毎週月曜日になると、風紀委員が当番制で校門に立つことになっているのだ。
「おはようございます」
自転車を押しながら控えめに挨拶を返す。
人によりけりだと思うけど、どうも面識がない人と挨拶するのは気恥ずかしい。ややうつむき加減に軽い会釈を添えて、挨拶するおれに、風紀委員たちに同伴する生活指導の先生がねっとりとした視線を向けてくる。
なんかこういうの苦手だな。
逃げ出すように自然と歩調が速くなる。
ずり落ちそうになるベースギターのケースを担ぎ直した時、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「おはようございます!」
分度器で測ったような三十度のお辞儀。透明感のある黒髪は艶やかに朝の陽射しを跳ね返し、にっこりと評するに相応しい笑みがビスクドールのような整った顔立ちを彩る。
週末の選挙で生徒会長に就任したばかりの八木沼梨沙が、風紀委員たちに混じって挨拶をしていた。
登校してきたばかりの他の生徒たちも彼女の存在に気付くと、ひそひそと話し始めたり、近づいて挨拶したりとなんらかの反応を見せた。
「生徒会長! おはようございます!」
「おはよう!」
毅然としつつも、時折手を振るなどの彼女の親しげな振る舞いは、見ていて清々しいくらいだった。
風紀委員や先生の横を素通りしたような生徒でも、八木沼梨沙に対しては積極的に挨拶を行っているようだ。
しかしあれだと普段から挨拶をしている風紀委員たちが報われない気がした。どうにも差別的な光景に思えて、首を傾げたくなったが、彼女に対してそういった態度を取ってしまう心情も理解できるだけに複雑だ。
容姿端麗で教師陣からの信頼も厚い学校きっての有名人――元より特別だった彼女が、生徒会長という特別なポストについたのだから、仕方のないところもあるだろう。と、そんなことを考えてながら歩いていたおれ自身の足取りも、いつの間にかゆっくりになっていた。
「おはようございます、八木沼会長!! 当選おめでとうございます!」
一段と響く男子生徒の声だった。
朝っぱらから元気なやつもいるんだなとぼんやり見つめていると、見慣れた顔であることに気付く。
ウニのように尖った金髪のツンツン頭に、二つ外れた胸元のボタン。ワイシャツの下に青いアンダーシャツを着た、やんちゃそうな男子生徒は、にじり寄るように礼をして、生徒会長と正対する。
中学からの悪友であり、おれたちのバンド『フィサリス』の発起人である八木玲也だ。
どことなくコミカルな玲也の動きは周囲の視線を釘付けにしているが、本人は全く意に介していない様子である。
また生徒会長である八木沼梨沙も動じている素振りを見せない。むしろ余裕綽々。
友好的なはずなのに、何故だかお互いに優位性を主張するような、例えるなら野生動物の威嚇行動を見ているような気分にさせられる。
あれだけカリスマ性すら感じていた八木沼梨沙が、今ではただの女子高生に見える。……間違いではないのだが、彼女の持つ特別な何かが薄れているように感じられた。
「おはよう。……あら、貴方は軽音部の」
「はい! 八木玲也です! てか、俺のこと知ってんですか!?」
目を輝かせてにじり寄る玲也に、後退る八木沼会長。
両手で小さくバリケードを作りつつ、視線を外へと逃がす。
「まあ、一応、ね。貴方たちの評判は聞いているわ」
右往左往する彼女の視線がおれを捉えた。
一瞬、自意識過剰かとも思ったが、間違いなくおれへとロックオンされた眼差し。言葉がなくとも、それに込められた意味くらいは理解できる。
まあ、玲也のことを知ってるなら、同じバンドのおれのことも知ってても不思議じゃないか。
「えー! マジっすか!? スゲー光栄っす!」
光栄とか言っている割には、無礼なほどに距離を詰め過ぎている玲也。どう見ても変質者の類だ。
こうなった玲也には多少きつめのお灸を据えるのが、フィサリスの掟だ。
おれは押していた自転車に跨ると、軽く地面を蹴って始動。危険じゃない速度を意識しながらペダルを踏みしめ、玲也の尻に突撃。
「うぎゃあ!」
衝撃につんのめる玲也を八木沼会長は軽くかわす。
そのまま金髪頭が舗装された路面に突っ伏した。
「ふう……。すいません、うちの連れが迷惑をかけました」
玲也に代わって謝罪の弁を述べる。
「えっ、ええ! 全然気にしてないわ」
そういう割には言葉に詰まった挙句、困ったように視線を泳がせる彼女。
それを不思議に思いつつ、改めて倒れている玲也に目を向ける。
「ほら、行くぞ玲也。優に見つかったらまたお説教だぞ」
自転車をその場に止め、玲也を起こす。
「なんだよ、せっかくいいとこだったのに」
「いいとこもなにも会長さんが困ってただろ」
ぐずぐずと文句を垂れ流しつつも、彼のストッパー役のキーボードの名前を出すと、素直に応じてくれた。ズボンについた砂を落とすが、おれがつけたお尻の車輪の跡には気付いていないようだった。
「それじゃあすいません。おれらはもう行くんで」
「八木沼会長、また後日改めて」
懲りてない玲也のすね目掛けてローキック。
「優に報告するよ?」
「……それだけはマジで勘弁」
切実な懇願。
ようやく大人しくなった玲也。
玲也にとってはキーボードパートの優は天敵であるのだ。おれたち、他のフィサリスのメンバーには無害な文学少女なのだけども、玲也にだけは特別だった。
そこにどんな想いがあるのかは、会長にお熱のバカ玲也以外はわかりきっているというのは、別の話である。