一話 フィサリス
話の盛り上がりを考慮して、構成を変更しました。
それに伴い、これまで投稿した本編を一度下げました。
時系列に関する矛盾を解消したのち、多少の順番を前後させた後、再投稿していく予定です。
来たる日曜日。
いつ雨が降ってもおかしくなさそうな、梅雨らしいどんよりとした天候だったが、教室二個分ほどのライブ会場は、ステージとの境目であるポールギリギリまで人がひしめくほどの大入り満員だった。
まもなくライブが始まる。
スタンバイを終え、ステージ脇の幕越しにその光景を見て、満足げに微笑む玲也。
「いやー、今日もスゲー観客だな。緊張してきた!」
そう話すものの縮こまった様子はない。むしろ興奮気味に武者震いを堪えているようにも見えた。
悪天候だけに、おれも気が気じゃなかったが、いつも通りの光景にホッとひと安心。
「確かにすごい人数だな」
とはいえ大半は玲也の友達とか、その友達とかくらいなんだろう。
身内の応援だから来たような人ばかりで、あまり期待されていないと思えば、それほど緊張はなかった。ただ漠然とこの大人数の前でライブができると思えば、自然と気合が入った。
そして会場の照明が落ちると、ざわざわとしていた客席の喧騒が止んだ。
ライブ開始の合図だ。
「……そろそろ時間だな。行くぞ!」
玲也の強い口調に従って、弾けるようにおれたちのバンド――『フィサリス』のメンバーがステージに上がる。
全員が配置につくと同時に、再度照明が灯った。
おれも足元のコードをベースギターに接続。
微かに弦を引っ掻くと、イヤホンから音が届いた。アンプにはきちんと繋がっているようだ。
「それじゃあ始めるぞ」
全員が準備万端だと玲也に目線を送ると、無言の頷きが返ってきた。
ドラムの玲也がスティック同士を打ち合わせる。
――カンカンカンカン。
甲高い四つの音が静寂に響いた。
そして続く五つ目の音がスタートの合図。おれがベースを掻き鳴らし、玲也がドラムを叩く。ギターがそれに音を乗せ、おれたちの演奏は始まった。
最初に演奏するのは『フィサリス』のオリジナル曲で、タイトルは『Go for broke』。意訳すれば『当たって砕けろ』だった。
玲也が作詞作曲したこの曲は、好きな女の子の前で恰好をつけようと躍起になる男の子をテーマにした応援曲だ。最初は失敗談を中心にしたコミカルな内容なのだが、サビに入ると、挫けず真っ直ぐな心情をつづった歌詞が続く。軽快なロックンロール風の曲調によくマッチしたこの曲は、オリジナル曲の中では間違いなく一番人気で、最初に演奏するのが定番となっている。
マシンガンのように撃たれるドラムの重音が、芯の方から身体を揺さぶる。
急降下するジェットコースターに似た浮遊感に、全身がざわついた。解き放たれた昂揚感。脳内麻薬に溺れながら、おれたちは一心不乱に音を奏でた。
リズムに合わせて観客たちも腕を振るう。
ライブ独特の一体感に会場全体が酔いしれた。
音の海の中、イヤホンという羅針盤だけが、ともすれば簡単に瓦解してしまいそうな、メンバー五人の音色を、一つの曲として脆くも繋ぎ止めていた。
*
「いやー、今日も大成功だな」
控室につくなり、パイプ椅子にドカッと腰を落とし、玲也は呟いた。
荒っぽい手つきでごしごしとタオルで汗を拭うと、ライブ前からそこにあった飲みかけのコーラをあおった。ペットボトルから黒い液体が喉に落ちていく。とうにぬるくなったはずなのに、どうにもうまそうに飲みほした。
火照った顔が満足げに緩む。
玲也だけじゃなく、おれも含めたメンバー全員、胸に抱く達成感は等しいに違いない。
「そうだね。この調子で桜明祭も成功させたいな」
この気持ちも全員が同じだった。
ライブ終了直後だけにモチベーションも高い。返ってくる熱い眼差しに、おれの胸も熱くなった。
「『成功させたい』じゃなくて『絶対に成功させる』だろ!」
語気を強めて玲也が言う。
空気が引き締まるのを肌で感じる。誰かが息を呑むのがはっきりと聞き取れた。
「そんでもってライブを見た八木沼梨沙をメロメロにさせる! それが俺の夢だ!」
……はい?
突然、とてつもなく残念なことを言ったのは、うちのドラマーでしょうか。
少しでも玲也に心を動かされた自分が不憫に思えて仕方ない。
「……れーや、ちょっと耳貸して」
「うん? どうしたんだ優?」
凍り付いた空気の中、玲也を手招きするキーボードパートのメンバー。
なんの疑念も抱かず、彼女の口許に耳を近づけた玲也。そして次の瞬間――
「バカッ!!」
「うおおっ!」
耳元での大声量に、後ろに仰け反る残念な男。
そのまま、座っていたパイプ椅子ごと、後ろに転げ落ちた。
思わず呆気にとられるおれ。静観していたギターともう一人のベースは玲也を指さして大笑いする。
「……目を覚ませ、ばか」
ツンと口を尖らせるキーボードの彼女がぼやく。
一方、倒れこんだ玲也の上には、先ほどまで彼が顔を拭っていた白タオルが、降参の合図のようにひらひらと舞い落ちた。