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プロローグ

 新緑もいつしか深緑に変わった六月の半ば。

 校門前の紫陽花は鮮やかな花を咲かせ、梅雨の合間の日差しの中では一層と輝いていた。

 グラウンドを囲むように整備された道のりを歩く。途中、家から学校まで乗ってきた自転車を駐輪場に止め、自前のベースギターのケースを担ぎ直した。

 始業の十五分前とあって、通学してくる生徒が最も多い時間帯だろう。全学年の下足箱がある一階の昇降口は、そこかしこで挨拶や雑談の声が聞こえてくる。昨日のテレビ番組や二週間後に差し迫った期末試験の話題が大半を占めているというのは、実に高校生らしいと思う。ただそれに負けないくらい話題に上がっているのが、一週間の試験休み直後にある学園祭についてだ。

 おれたちが通う桜明大學附属高校の学園祭は桜明祭と銘打たれている。更に言えば隣の敷地にある桜明大學の学園祭が十一月に行われることから、学校関係者には高校の学園祭が夏の陣、大学の学園祭が冬の陣と呼ばれて区別されている。

 そんなわけでテスト期間になると夏の陣の準備が滞るために、生徒たちが一番活気づくのがこの時期ということらしい。

 現に軽音楽部に所属するおれもしばらくは部活の回数が増える予定だ。おれ自身はそこまで自主的に動くつもりはなかったのだが、他のバンドメンバーの熱量は大いに高まっている様子だった。

 まあ、端から断るつもりはなかったのだけど。


「オッス、陣!」


 突然の脇腹への攻撃。反射的に身を逸らし、狙撃手スナイパーを見据える。

 ツンツン頭の金髪に、ボタンを二つ外した半そでのワイシャツの下には赤いタンクトップが浮かんでいる。

 一見不良じみているが、校則に違反しているわけではない。むしろ規定されている内側を意固地に守っているくらいの変わり者が、おれの目の前にいる八木玲也という人間だ。

 中学からの付き合いで、おれをバンドに誘った張本人でもある。おまけに高校に入ってもクラスが同じという、正真正銘の腐れ縁だった。

 ちなみに陣というのがおれのあだ名。本名が南條陣太だから陣。


「……朝っぱらからやめてくれよ」

「とか言って昼にやっても怒るんだろ?」

「まあな」


 そもそも脇腹を攻撃されて喜ぶ奴なんかいないだろう。


「釣れないなあ。それはそうと今日の放課後の練習忘れてないよな?」

「大丈夫だよ。覚えてる」


 一度すっぽかしたことがあるが、その時はお前はストーカーかというくらいに電話がかかってきた。

 まさか不在着信が三桁になるとは思ってなかった……。

 そんな経験があって、バンドの練習をサボるつもりは皆無だ。


「そうかそうか。それならよかった。今日は生徒会選挙だから、少し早めに授業も終わるし、みっちり練習するぞ」

「生徒会選挙?」

「お前、もしかして知らなかったのか?」

「うん」


 誰もそのことを言ってくれなかったし、昇降口の雑談でもその話題は上がっていない。おれが聞き逃している可能性もあるが、当日になってもこの感じでは、あまり注目されていないのは間違いなさそうだ。


「はあ……。お前が他人に興味がないやつだとはわかっていたけど、まさかこれほどまでとは」


 わざとらしく悪態をつく玲也。額に手を当て、やれやれと首を振って見せた。


「……お前はいったいおれのなんなんだよ?」

「ま、細かいことは気にすんな。とにかく午後の授業は演説とか投票とかの生徒会選挙関連で全部潰れるから、恐らくいつもより早めに終わるはずだ。テスト期間中は部室が使えないんだから、今のうちに練習しないとな」

「ぶち抜きってことか。でも逆に遅く終わる可能性もあるんじゃないのか?」

「それはありえない! 何故なら全員信任投票だからだ」

「あー、なるほど」


 信任投票――つまりは枠の数と立候補者数が同じか、満たないということだ。

 どうしてもこいつは信用できないという時にだけ反対票を投じるだけなので、ほぼ当選と同義なのだ。それこそ演説や投票も通過儀礼くらいにしか意味を持たない。


「わかっただろ。あとは開票作業をやる連中のがんばり次第ってこった」

「そこまでして選挙やらなくてもいいんじゃないと思うけどな。時間の無駄って言うか――」


 ドゴンッ、と――。

 そんな擬音が浮かぶほどの強烈な肘鉄がおれの脇腹を襲う。玲也の悪戯とは比べ物にならない。

 いったい何なんだ……?

 脇腹を抑えながら空気を求めて喘ぐ。

 肘の飛んできた方向を見ようとした時、不意に透き通るような黒髪がおれの眼前を横切っていった。

 咄嗟に息を呑む。

 過ぎ去っていくのは女の子だった。

 整った顔立ちはビスクドールのように精巧で、決して触れて穢してはいけないように感じられた。痛みのない黒の長髪は玄関口から入り込んでくる朝の陽光を反射して、天使の輪のような輝きを描き出している。

 脇腹の痛みなど忘れ、あんぐりと口を開けて見惚れていた俺を彼女は一瞥。そこに軽蔑の念を含ませていることすらおれは気付かなかった。ただ見限ったように、速度を緩めることもなく一定の歩調で彼女は昇降口を上っていった。

 ただ後ろ姿を見つめるしかできなかったおれと玲也は、視界から彼女が消えると魔法が解けたかのように自然と視線を交わ合った。


「すっ……」

「……す?」

「スゲー!! 見たか、陣! あれが次の生徒会長の八木沼梨沙だぞ!!」


 興奮した口ぶりの玲也は周囲のことなどまったく気にしていないようで、盛大な声量だった。

 途端にそこいらじゅうの歓談が止み、玲也へと視線が集中する。


「ちょ、ちょっと玲也ってば!?」

「見ただろ陣。あれが次の生徒会長だぜ!」

「いいから落ち着きなって! まだ選挙も終わってないんだから、生徒会長になるかも決まってないんだし」


 その場しのぎの一言が先ほどの言葉と矛盾していることにすら気が付かなかった。

 それくらいにおれは動転していた。

 ただ漠然とだが、信任投票じゃなくても彼女なら当然のように当選するだろうと思った。それほどのカリスマ性が目の前を横切る一瞬で見て取れた。

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