二話 『迷宮主』ミケーネ-5
「ピギィ!」
甲高い悲鳴を上げて、巨大なウサギが転がって消える。
あとには小さな白い宝石が残り、アゼルは喜んでそれを摘み上げ、腰に下げた袋に入れた。
今まで倒した魔物たちの宝石がじゃらりと音を鳴らす。
「だいぶ、慣れてきました」
弾んだ声でそう口にするアゼルの成長は、目覚ましいものだった。
並みの探索者であれば二、三日はかかるだろう地下三階までの道のりを、一日にして踏破したのだ。クラフトもミケーネもほとんど手を貸していない。アゼル自身の実力でだ。
「魔術を使う時は、威力と範囲とを考えないといけないんですね」
「そうだ」
魔法と言っても、この世界に際限なく干渉できるわけではない。
組み方や術者の習熟度にもよるが、基本的に威力と範囲が大きくなればなるほど発動に時間がかかるようになってしまう。魔法というのは要するに、円周率によって成り立つこの世界の数字を並び替え、己の好きにするという事だ。
範囲が広がればその分だけ入れ替えなければいけない数字は大きくなり、演算にかかる時間は指数関数的に増える。
それをいかにして誤魔化し、或いはもっとシンプルな方法で代替するか。それが、魔法使いの腕の見せ所だ。
クラフトやミケーネから見ればアゼルのそれはまだまだというのも良い所だが、習い始めて数日にしては悪くない。
「んーと、次は……」
アゼルを一飲みにしてしまえそうな大きさの化けガエルが、舌を伸ばす。鞭の様にしなる変幻自在のその攻撃は、しかしむなしく空を切った。襲い来る敵の攻撃をかわしながら、アゼルはエディットモードを開いて次の魔法を組み立てている。
「しかし、流石だね。あれはあたしにも出来ないや」
それを見やり、ミケーネは感心半分、呆れ半分と言った様子で呟いた。
「早めに矯正しておくか、悩む所だな……」
戦闘中に魔法を組み立てる魔法使いというのは、超一流と言われる彼らをもってして前代未聞だった。敵がまだまだそれほど強くないというのはあるにせよ、攻撃をかわしながら魔法を作るというのは彼女の備えた身体能力あってこそだ。
「クラフト、クラフト、見ててください!」
ぶんぶんと手を振るアゼルに、クラフトはちゃんと見ていると手を振り返す。
「コードキャスト、『炎の矢』、一体、瞬間!」
ぼっとアゼルの手の平の先に炎がともり、すぐさま大きく燃え上がると、矢となって化けガエルに向かって飛んだ。着弾するとともに大爆発を起こし、燃え上がった化けガエルは崩れ落ちて宝石を残す。
「見事だ」
クラフトは拍手を送った。
自然に存在する熱を拡大、空気中の僅かな粉塵を発火させ、火花を散らす。
同時にその火花を大きく拡大して、敵に向かってとばす。この方法なら、わざわざ松明を用意しなくても炎の矢を撃てる。
それに自分で気が付いたアゼルを、クラフトは大いに褒めた。
「えへへへへ」
嬉しそうにアゼルははにかんで、更に調子に乗りつつ魔法を組み立てていく。
「次はー……」
道をさらに進むと、ヴンと音をたてて数十匹の羽虫が姿を現した。
同時に、アゼルには気付かれぬようクラフトとミケーネは身構る。
あれはちょっと厄介な相手だ。今のアゼルだと苦戦してしまうかもしれない。
「いけー!」
そう思った瞬間、アゼルは袋に入れた宝石をばらまいた。
それが作ったばかりの魔法によって改変され、姿を変える。
それはアゼルが先程倒した化けガエルの姿だった。と言っても、大きさは数十分の一。両の手の平に少し余る程度の大きさだ。
だが、数は比べようもない。
今まで彼女が倒してきた宝石を惜しげもなく使ったその数、およそ百匹。
「~~~~~っ!」
ミケーネは声にならない悲鳴を上げた。
カエルの一匹や二匹で驚くほど乙女ではないが、流石に地面一杯を埋め尽くすカエルの群れには慄かざるを得ない。
無数のカエルは羽虫に跳びかかると、一斉に舌を伸ばし、あるいは噛み付いた。羽虫は毒針を振り回してカエルを打ち払うが、数が違い過ぎる。あっという間に群がられ、地面へと落ちて消えていく。
「問題ないか」
クラフトはほっと胸を撫で下ろした。小さく速い羽虫たちの群れは、広範囲に攻撃する手段を持たないとなかなか厄介な相手だ。風では弱く、炎では狭い。しかしアゼルはそれを簡単に倒して見せた。思った以上に優秀な我が子の活躍に、思わず彼の頬が緩む。
それは言い換えれば、油断であった。
羽虫たちが落ちたその跡に、小さな箱が一つ残る。羽虫たちの本体だ。
疑いもせず、アゼルはその箱に手を伸ばした。
「駄目っ、それは……!」
一瞬の躊躇。足元に広がるカエル達にたじろぎ、ミケーネの制止は間に合わず、アゼルの指が箱の蓋を開けた。同時に蓋の隙間から光が溢れ、彼女を包み込む。
「アゼルッ!」
クラフトが伸ばす手を、反射的にアゼルは掴む。
――そして光が収まった頃には、アゼルとクラフトの姿は消えていた。
「しまった……」
カエル達が主人を失って、一斉にゲコゲコと鳴き出す。
「これ、どうしろっていうのよ……」
一人残されたミケーネは頭を抱えてそう呟いた。