二話 『迷宮主』ミケーネ-4
ダンジョンの中というのは、意外と明るい。
天然の洞窟、それも日も差さぬ奥深くに比べれば雲泥の差だ。
真の暗闇が訪れる洞窟と違って、少なくともミケーネの地下迷宮はほんのりと壁が燐光を放ち、明かりをつけずとも輪郭くらいはわかる様になっている。
壁の表面を覆う赤茶けたレンガにはうっすらと苔が生えていて、よくよく見ればこれが光を放っているようだった。ふんわりとした毛の一本一本が微かに光を帯びて、指で突くとぷつんと辺りに散らばる。その様子を、アゼルは興味深く見つめた。
「別にお前までついてこなくて良かったんだぞ?」
「何言ってるの。可愛い娘が頑張ろうってのに、それを見ない親がいますか」
その後ろでは、相変わらずのミケーネとクラフトのやり取り。彼らはミケーネの居住区である最下層を抜けだし、再びダンジョンの入口へとやってきていた。
「あたしたちの大切な愛の結晶なんだから。ねー、アゼル」
「だからその気味の悪い言い方はやめろ」
アゼルを撫でるミケーネに、クラフトは不満げに声をあげる。
「……クラフトはミケーネの事、好きではないのですか?」
そんな様子に、アゼルはぽつりとそう聞いた。
悲しげに表情を沈ませるアゼルに、クラフトはうっと呻く。
「別に……嫌いなわけじゃない。だがな、アゼル。
……こいつは、男なんだ」
クラフトの言葉にアゼルはきょとんとして、ミケーネの姿を見た。
所々はねたショートカットは、確かに男でも不思議ではない髪型だ。
しかし顔つきや骨格、そして小柄な割に豊かな胸の膨らみは、どう考えても男性のそれではない。
「アバターは女だが、その中身……現実でこれを動かしているのは、男だ」
CCは『ただあるだけ』の仮想世界であって、ゲームではない。
故に、基本的にはこの世界での姿も、現実での姿も同じものだ。
だが同時に、それもデータであるがゆえに、姿形を変える事はある程度の腕を持つ魔法使いにとってはそう難しい事でもなかった。ミケーネ程の魔法使いになれば、性別を変える事さえ造作もない。
「もー、そんな細かい事気にしなくったっていいじゃないの」
「アゼルの教育にも悪いだろうが」
擦り寄るミケーネの身体を、クラフトはぐいと押しやった。
「まあそう言うわけで、別に俺はミケーネの事を嫌っているわけじゃない。むしろ、親しい友人だ」
「……はい」
いまいち腑に落ちない様子で、しかしアゼルは頷く。
「つまり愛してるってわけね」
「比較的付き合いの長い顔見知りだ」
「一瞬にしてレベルが下がった!?」
そう言ってケラケラと笑うミケーネを見て、アゼルはようやく納得した。
別に険悪なわけではなく、気が置けない仲であるからこそのやり取りなのだろう。
彼女はそう了解する。
「さて、アゼル。作った魔術で試しに魔物を倒して見せろ」
「はいっ」
気を取り直して元気よく返事をし、アゼルは慎重に地下迷宮を進む。
するとすぐに、ぽこんと音を立てて猫のような魔物が『発見』された。
「ん?」
ミケーネが首を傾げる。
「えっと……コードキャスト、『火の矢』、一体、瞬間!」
手の平を掲げ、アゼルは意気揚々と呪文を唱えた。
「あれ……?」
しかし彼女の手からは、煙一つ発生しない。
その隙に、猫型の魔物は彼女に向かって噛み付きにかかった。
「わっ、わっ」
驚きに目を見開きわたわたと腕を振りながらも、アゼルは素早くその一撃をかわす。
慌てている割には、その頭の上に相変わらず乗ったままの本は崩れもしない。その卓越したバランス感覚のなせる業だった。
「無から有を作ることは出来ない。それは、魔法でも作品でも同じことだ」
それを見ながら、クラフトは種明かしをしてやった。
「炎の矢を生み出すには、炎が必要なんだよ」
それは、魔法でも覆す事が出来ないこの世界の大原則だ。
小さな火種を、大きくしてやることはできる。土くれの塊を人形に仕立て上げる事も、ほんの僅かに存在する光を増幅して辺りを照らしてやることも。
しかし、何もない場所から何かを作り出す事だけは、絶対に出来ないのだ。
「えーとえーと、じゃあ、コードキャスト、『風の壁』、三歩、瞬間!」
今度の魔術は、しっかりと効果を発揮した。ごうと大気が唸り、魔物が吹き飛ぶ。
その身体がしたたかに壁にぶつかって動かなくなると、煙の様にすっと消えて黒っぽい石が残った。
「これは……?」
「これが魔物の正体だよ」
ミケーネがそれを拾い上げて、アゼルに手渡す。
「魔物っていうのはね、何でもない物に怪物の像を纏わせたものなのさ。あたしのダンジョンで何かを発見すると、それは化け物になって襲い掛かる様に魔法がかけられてる。だから、魔物っていうんだ」
「なるほど……それで、同じのが沢山出てくるんですね」
「そういう事。魔物の姿は、元になってる材料もある程度は関係してるんだけどね」
ミケーネは頷く。
普通の『発見』の場合、同じ種類のものが何度も何度も出てくるという事はあまりない。
石ころや植物など情報が少ないものならまだしも、動物の様に複雑で情報量の多いものは、円周率の中にもそう頻繁には出てこないからだ。
だが、魔法で変化させた結果生まれた魔物なら、工業製品の様に同じものを幾らでも出現させることが出来る。
「この階なら問題ないみたいだな。下に進もうか」
「下に進むとどうなるんですか?」
「下層になればなるほど、強力な魔物が出るようになってるのさ」
「なぜですか?」
アゼルは首を傾げた。
自分の住んでいる所に魔物を配置する理由は、何となくわかる。
他の人に入って来て欲しくないからだ。それは、クラフトの使った客専用の直通通路がある事からも見て取れた。
しかしそれなら、上の方からもっと強い魔物を配置した方がいいように思う。
「そうねえ……強い魔物はその分複雑で数を用意できないから結果的にはこっちの方が突破されにくくなるとか、最初の方は脅しの意味合いも兼ねてるとか、全く誰も来なくなるとそれはそれで困るとか、現実的な理由も幾らかあるにはあるんだけど……」
ミケーネは指を折りながらいくつか並びたてた後、
「ロマンだから」
きっぱりと言い切った。
「ロマン……ですか」
何がどうロマンなのかはわからないが、彼女がそこに拘りを持っているという事だけはアゼルにもわかった。
クラフトも似たように独特の拘りを持っている事を、彼女はよく知っている。
ちゃんとした人間になるには、そう言った拘りというのが必要なのではないか、とアゼルは思う。
「ミケのわけのわからん拘りはともかくとして」
「酷い!?」
そして、それは同じ人間同士でもどうやら理解が難しいようだった。
「何にせよ、訓練にはぴったりというわけだな」
「わかりました、頑張ります!」
アゼルは気合を入れ直すように、きりりと表情を引き締める。
「……にしても」
ミケーネはくるりと振り返り、闇に包まれた迷宮を見やる。
魔物は死骸すら残らないので、そこにはもう何もなく、ただ空虚な通路が続くのみだ。
「猫なんて出るように設定したっけ……?」
地下一階を作ったのはもうずいぶん前の事で、記憶も怪しい。
ミケーネは一人、首をひねった。




