二話 『迷宮主』ミケーネ-3
「では、授業を始める。何か疑問があったら手を挙げ、適宜質問するように」
「はいっ」
そう切り出したクラフトに、早速アゼルは元気よく手を挙げた。
「なんだ?」
「私の頭に、なぜ本が乗っているのでしょうか?」
彼女の紫水晶のような髪の上に、分厚い本が三冊、重ねて乗せられていた。
アゼルの頭の上で、それはまるで糊付けされたかのようにピッタリと静止している。
「良い質問だ」
クラフトは言った。
「それについては彼女から説明する」
「は~い」
クラフトに視線を向けられ、間延びした返事をするのは白猫メイド、タマだ。
「正しい心は正しい生活から。正しい生活は正しい姿勢から。アゼル様にはこれよりしばらくの間、その本を頭に載せて生活して頂きます」
「しばらく……ですか?」
アゼルは首を傾げた。途端、本がずざーっと音を立てて滑らかに零れ落ちる。
「流石だ。本の落ちる軌跡まで美しい」
「何言ってんの」
うんうんと頷くクラフトに、ミケーネはぼそりと呟いた。
「姿勢を保てる様になったら、食事や公的な場所でのマナー、淑女としての振る舞い方をお教えいたしますね」
「はいっ」
わかっているのかいないのか、元気よく頷く。その首の動きに、再び乗せた本がばらばらと落ちた。
「さて、それでは改めて授業を始める。魔法と魔術についてだ」
その本を三度アゼルの頭の上に乗せてやり、クラフトは黒板に「魔法」と「魔術」という文字をチョークで書く。
「この仮想世界、CCには全てがある。それは同時に、何でも作ることが出来ると言い換えられる」
生徒はアゼルただ一人。
机を前に、椅子に座ってじっと耳を傾ける様は昔ながらの学校のようであった。
最先端の技術で作られた仮想世界の中で繰り広げられる古臭いその光景に、ミケーネはくすりと笑う。
「何でも……ですか」
「ああ。例えばお前が食べた料理や、着ている服。今座っている椅子や机、この迷宮。そしてお前の身体や、お前自身も作られたものだ」
アゼルは改めて、自分の身体をしげしげと見回した。頭の上の本がぐらりと傾ぐが、慌てて姿勢を整えて事なきを得る。
「作ることが出来るのは有形のものだけではない。法則もまた、作り上げることが出来る」
「ほうそく……」
「そう。例えば、物は下に落ちるだとか、音は空気を伝わって届くだとか、そう言った決まり事だ」
クラフトは小石を一つ摘まみ上げ、指を離してみせる。
カツン、と音を立てて、小石は床を転がった。
「そして、人の意思によって作り出した法則を魔法と呼び、魔法を作り出す職人を魔法使いと呼ぶ」
言いながらもう一つ小石を取り出す。
「コードキャスト、『無機物の浮遊』、一個、五分」
クラフトがそう呟くと、今度は指を離しても小石は落ちることなく、空中にぴたりと静止した。アゼルは目を丸くして、ハッと息を飲む。
「クラフトは魔法使いです!」
そして、大発見をしたと言わんばかりに声を上げた。
「あたしもだよー」
「ミケーネも!」
部屋の片隅で見学していたミケーネをみると、なんと彼女自身がふわふわと宙に浮いていて、アゼルは大きな瞳をますます見開く。
「お前にも魔法を使えるようになって貰おうと思っている」
「私もですか!?」
そして自分も使えるのだと知って、その目の大きさは最大となった。
そんな彼女を微笑ましい思いで見つめながら、クラフトは頷く。
「エディットモードを起動してみろ」
「はい。コードキャスト、エディットモード」
アゼルの声とともに、辺りの景色が濃紺に染められる。
「このエディットモードは俺が作った魔術の一つで、お前にも使用許可を与えてある。使い方はわかるな?」
「はい」
アゼルは身体が出来る前、まだ指輪の意識だった頃、ずっとクラフトの助手としてこのエディットモードの操作を補助していた。使い方はお手の物だ。
「本来なら作品の創造や修正は、複雑なコードの記述によって行われなければならない。しかし、このエディットモードを使えばある程度直感的に創造を行える。これを使えば今のお前にも簡単に魔法を作れるはずだ」
それを簡単って言えるのはアンタくらいのもんだけどね。
と、ミケーネは解説を聞きながら心の中で呟いた。
確かに一からコードを書くよりは楽だろうが、だからと言って誰にでも扱えるような代物でもない。あれは飽くまで、クラフトと言う超一流の職人が使うからこそ意味があるものだ。
「試しに、灯りを作ってみろ。俺が迷宮に入るときに使った奴だ」
「はい……ええと」
アゼルは首をひねりながら、覚束ない指先でカチカチと窓を開いて編集を進めていく。
「それを、拡大……どうした?」
ニコニコと緩むアゼルの頬に気付いて、クラフトは尋ねた。
「いつもと逆ですね、クラフト」
「確かにそうだな」
いつもは補助していたアゼルが作り、クラフトがその補助をする。
そんな単純な事が何故だか嬉しくて、アゼルは満面の笑みを見せた。
「……よし、これで完成だ」
クラフトは部屋の光をかき消す。
すると、アゼルの作り出した光が煌々と辺りを照らした。
「わあ……」
アゼルは己が生み出した初めての作品を、それに負けないくらい輝く瞳でしばし見つめる。だが、不意にあることに気が付いた。
「でも、クラフトはさっき、エディットしていませんでした」
小石を浮かせたとき、クラフトは短く三言四言呪文を口にしただけだ。
「そうだな。魔法というのは使うのに非常に手間がかかる。いちいち明かりをつけるのに十分も二十分もかかっていては不便だろう。そこで、魔法を圧縮して一瞬で使えるようにしたものを、魔術と呼ぶ」
「まほうと、まじゅつ……」
記憶に刻みこむようにして、アゼルは繰り返し呟く。
その様子を確認しながら、クラフトは続けた。
「魔術には、発動方法を決めなければならない」
「はつどう、ほうほう……」
「多くは言語……詠唱による発動か」
「フィンガージェスチャ……紋章による発動ね」
「えいしょうか、もんしょう」
次々与えられる知識を何とか飲みこむアゼルに、ミケーネが空中に指を滑らせて見せる。するとその軌跡が光り輝いて、紋章となった。宙に描かれた翼のような印が消えると、微風がアゼルの前髪を撫でる。
「これが紋章」
「はー……クラフトが使ったのは、詠唱でしたよね」
「ああそうだ。よく気付いたな」
言いながら風で乱れた髪を直すように撫でてやると、アゼルは目を細めた。
「クラフトは詠唱だよね!」
「お前は何を言ってるんだ?」
頭を心持ち差し出すように下げながら言うミケーネに、クラフトは眉を寄せる。
むうと唸り、ミケーネは頬を膨らませた。
「詠唱のいいところはね、発動する時にある程度条件を変えられる事。紋章のいい所は、発動が早いのと、頑張れば両手で二つ発動出来る事かなー」
ミケーネが両手で別々の紋章を宙に描いて見せる。
なるほど、とアゼルは頷いて、
「じゃあ、詠唱で作ります」
特に悩みもせずにそう言った。
「クラフトが詠唱を使ってるからでしょ」
「はい」
からかうように言えば、それに何にも疑問を持たない純粋な笑顔が返ってきて、ミケーネの方が恥ずかしくなってしまう。
「ああ。いくつか自由に作ってみろ」
当の朴念仁は何も気にしていないらしく、そう言った。
「それが終わったら、実践だ」