余話 『キャラクリエイト・オンライン』
「だいぶ元に戻ってきましたね」
小高い丘の上から街並みを眺め、嬉しそうにアゼルは声を弾ませる。
「こんな風に元に戻る必要はなかった気がするがな」
そんな彼女に、カオスな光景を見つめながらクラフトは呟いた。
天を衝くかのような摩天楼に、グルグルと回る観覧車。
その隣には古めかしい洋館が並び、そして、カニ。
CCが生まれ変わってから、はや一年。
新生アーティアの混沌ぶりは、戻ったというよりいや増していた。
「前とはちょっと違うけれど、懐かしい光景です」
相変わらず統一感もなければ節操もない、和洋折衷どころか古今東西がごった煮になったような街並み。
しかしそれが、アゼルにとっての生まれ故郷の景色だった。
「……この世界のどこかに、キセもいるんでしょうか?」
「いるんだろうな」
CCには、すべてがある。
だとすれば、クラフトたちがアゼルを見つけ出したように、キセもまたこの世界のどこかには存在するはずだった。
「ま、仮にいたとしても何もできないけどね」
「ミケ! 久しぶりです」
「先週会ったじゃないの」
ぎゅっと抱きつくアゼルの頭を撫でてやりながら、ミケーネは苦笑する。
あの一件から、アゼルは少しだけ甘えん坊になった。
「ま、心配しなくても大丈夫よ。なんたって、この世界の神はあたしだからね」
管理者のいなくなったCCは繋ぐことも出来なくなり、一時期は現実世界までもが大混乱に陥った。何せ今まで仮想現実データの源泉であったCCが丸ごと消え去ったのだ。
その上、今まで管理者を名乗っていたのが実在しない人工知能であったという事が知れ、その混乱は極地に至った。誰も気付かなかったのは、高度にネットワーク化され、殆どのやり取りがオンライン上でのみされるようになった社会の弊害だ。
結局、ミケーネがそのシステムを再構築して引き継ぎ、管理する事になってようやく騒ぎは何とか落ち着いた。
「じゃあミケはチートを使えるんですか?」
「まさか。あんなの誰も使えない様に速攻潰したわ。あたしには管理者権限を使って特別な事をする気なんて更々ないもの」
今度の管理者は実在している人間であると証明する為にミケーネが各メディアに顔を出す羽目になり、一時期美人エンジニアとして話題になったのもようやく過去の話になってきた。
「最近は静かになってきたのか?」
「うん。ちょっと前まではあたしのダンジョンにまで押しかけてきたけど、一人も最深部まで辿り着かなかったわ」
ミケーネは酷く嬉しそうにそう語る。
「あー。あいつ以外は、ね」
しかしその表情は、急に曇った。
その視線を追ってみれば、一組の男女がこちらに向かって歩いてきていた。
それなりの高さを持つ丘の上り坂だというのに、まるで平地を歩く様な軽やかさで二人はクラフトたちの元へと辿り着く。
すらりとした背に銀髪のシルウェスは相変わらずだが、その隣に立つ黒い髪の男は見覚えがない。
「ご無沙汰してます」
「……誰?」
そういって頭を下げる男に、ミケーネは首を傾げた。
「シグルド!」
「良くわかったね」
ぱっと表情を輝かせるアゼルに、むしろシグルドの方が驚いた。
「何? また幻体つかってんの?」
ミケーネは無造作にシグルドの頬を摘まむ。
贅肉の欠片もないシャープな頬は、見た目通りの感触をミケーネの指先に伝えた。
「……よく出来てるわね、今度の義体」
「いえ、これは義体じゃなく自前です」
半ばこの反応を予想しつつも、シグルドは苦笑しながらそう答える。
「一日十二時間歩いて、痩せない人間はいない」
「増えてる増えてる」
傲然と言い放つシルウェスに、ミケーネは冗談だと思って笑う。
前は八時間と言っていたはずだ。
「……地獄のような日々でした」
しかし、昏い目をして呟くシグルドに、それが冗談でも何でも無いと悟った。
「でも、乗り切った」
「はい。師匠にも、皆さんにも、本当に感謝してます」
そう言って深々と頭を下げるシグルドには、以前の不貞腐れた子供のような幼さは微塵も感じられない。
「変われば変わるものなのねえ」
ミケーネはほとほと感心して、溜め息を漏らした。
「あなたは全然変わらない」
「なにおう!」
ズバリと切り捨てるシルウェスに、ミケーネが両手を振り上げる。
「それで、あの」
シグルドは表情をきりりと引き締め、アゼルを見つめて大きく息を吸い。
「アゼル」
彼は虹色の薔薇の花束を差し出しながら、勇気を振り絞った。
「好きだ。結婚してくれ!」
「嫌です」
「返答早っ!」
少し悩むそぶりくらいしてくれてもいいのに。
半ば予想していた事とはいえ、あまりのバッサリ感にシグルドは流石に凹んだ。
「だって、私は仮想意識です。人と一緒になっても……」
アゼルは悲しげに目を伏せる。
「いや、お前はちゃんと年を取るぞ?」
そんな彼女に、クラフトは首を捻った。
「えっ」
「いや、説明してなかったか? 不老不死とか可哀想だろう。普通に年を取るし、いずれは死ぬ、それが人間だ。そして俺が作ったのもまた、人間だ」
「そう……なんですか?」
アゼルは呆然として、目を瞬かせる。
「もしかして……子供も作れたりするの?」
「いや、それは無理だ」
クラフトはミケーネの問いに首を横に振る。
「俺が許さんからな」
「そっちが理由か!」
ええい、この親馬鹿……いや、馬鹿親め。
ミケーネはクラフトを心の中で罵る。
「真面目に答えると、この世界では男側にその機能がない。アバターは単に見た目だけだからな。そういう機能を持った義体を作らなければならない。そんな義体を作れるのは、まあCC広しといえども俺だけだろう」
だから俺が認めない限りは、結ばれる事などないんだ。
クラフトは嬉しそうにそう語った。
「本当ですか? 私は……人と同じように、生きる事が出来るんですか?」
「ああ。俺が願うのはいつだってお前の幸せだ」
クラフトの優しい眼差しに、アゼルの表情が輝く。
「だから、本気で誰かと一緒になりたいというのなら……仕方はない」
心底渋々と言った感じで、クラフトは言った。
「じゃあ、私……」
アゼルはくるりと振り返り、シグルドを見つめる。
「その花束を、頂けますか?」
「喜んで」
再び差し出される花束を、アゼルは受け取り。
そしてすぐさま踵を反すと、それをそのまま、クラフトに差し出した。
「クラフトのお嫁さんになりたいです!」
「ですよねー!」
何となくそうなるんじゃないかという気はしていたが、シグルドは膝から崩れ落ちた。
「アゼル、その場合、その花束は受け取っちゃ駄目だよ」
「え、そうなんですか?」
呆れるミケーネに、アゼルはパチパチと目を瞬かせる。
そう言った事に奥手なミケーネが作ったせいか、アゼルの色恋事に対する知識はいまだに今一つ抜けていた。
「待て、アゼル。俺はお前の父親だ。結婚は出来ない」
「でも、私はクラフトと一緒にいる時が一番幸せです。私の幸せを願ってくれるというのは嘘だったんですか?」
泣きそうな瞳で、アゼルはクラフトを見つめた。
「いや、それは、勿論嘘じゃないが……」
親子と言っても勿論血のつながりはなく、そもそもCC内に現実の法は適用されない。とは言え、考えてもみなかった反応にクラフトはただただ狼狽えた。
「却下する」
そこに助け船を出すかのように、シルウェスが割り込む。
「クラフトは私の嫁」
「何言ってんの!?」
ほっと息をつくのもつかの間、その船は砲撃してきた。
「クラフトのお嫁さんが私なら、シルがクラフトの夫になっても良いですよ」
「あんたも何言ってんの!?」
まるで自分の所有権を宣言するかのように、シルウェスがクラフトの右腕をアゼルが左腕をとる。
「待て、その」
両腕を美女と美少女に抱きしめられ、クラフトは助けを求める目でミケーネを見た。
「……うん」
まるで捨てられた仔犬のようなその瞳に、ミケーネはこくりと頷く。
「神様権限で、この世界では三人まで重婚OKという事にします」
「管理者権限を使う気はないってさっき言ってなかったか!?」
「いいじゃない、別に世界の法則を変えるわけでなし。権限を使うつもりはなくても、権利と立場は大いに使わせてもらいますとも」
邪悪な笑いを浮かべ、魔王の様にミケーネは言い放つ。
しかしこの期に及んで取り合うでなく、三人までなどと言い出すとは、この負け猫め。シルウェスは内心でそう思う。
「三人って事は、アゼルとシルウェスさん、そして僕って事でいいですね」
その後ろから、軽やかに声がかかった。
「葵!?」
「お久しぶりです、クラフトさん、アゼル」
葵はぺこりと頭を下げる。彼女に会うのは一年ぶりだった。
「ようやく綺麗な身になったので、顔を出しに来ました」
「そうか。支払いが終わったのか」
「はい、お陰様で」
さっぱりとした笑みを浮かべ、葵は頷く。
彼女を含むチーターたちには、それなりの金額の損害賠償が請求された。
本来は最終的には協力してくれた葵やペネロペにはある程度減額するはずだったのだが、葵はそれを断った。
普通なら、一年や二年ではとても払いきれない筈の額だ。
「お疲れ様、『青鎧』」
「ありがとうございます、先輩」
それを為しえた理由を、シルウェスの労いの言葉が端的に示す。
『青鎧の冒険者』。
二つ名で呼ばれる様になった彼女は、間違いなく一流の仲間入りだ。
「あ、葵くんは絶対に渡さないんだから!」
その腕をぎゅっと握りながら叫ぶのは、相変わらず真ピンクの髪を伸ばした女。ペネロペだった。
「別に奪う気もない」
「僕もペネと付き合ってるわけじゃないんだけど……」
クラフトが渋面を作り、葵も苦笑する。
「ペネロペは、男の人なんですか?」
「何言ってるの、そんなわけないでしょ」
首を傾げるアゼルの問いに、ペネロペは胸を張って答える。
「葵は、女の人ですよね?」
「そうだよ」
こてん、とアゼルの首が、逆方向に傾げられる。
「……ペネロペは葵と結婚したいんですか?」
「そうよ、悪いの?」
アゼルの人生に、一つ疑問が増えた。
「おう、やってるな」
「こんにちは、クラフトお兄ちゃん!」
そこへやってきたのは巨人と子供。
バルクホルンとライカが、連れ立って歩いてきた。
「よう、少年。良い顔つきになったじゃねえか」
「は、はい……」
バルクホルンはすぐにシグルドに気付き、声をかける。
「どうだい、今晩」
「遠慮いたします!」
ニヤリと笑みを浮かべるバルクホルンに、シグルドは土下座せんばかりの勢いで全力で叫んだ。
「あっちは、現実では男性と女性だから大丈夫ですね」
「そうかなあ。そうかなあ」
うんうんと頷くアゼルに、ミケーネが頭を抱える。
「あっ、いたいた、こんにちは、久しぶりーっ!」
そこへ更に『仕立て屋』ジーナや『宝飾師』クリス、『美容師』に『化粧師』まで顔を出す。
「アゼルと二人で祝おうと思ったんだが……皆考える事は同じか」
どんどん増える見知った顔に、クラフトは苦笑した。
今日で丁度一年。
新しい世界とアゼルの誕生日だ。
この小高い丘はアゼルと再会した場所であり、この世界が生まれた場所でもある。
その生誕を祝おうとやってきたのは、クラフトたちだけではなかった。
そもそもこの丘は、新しくCCにやってきた人間が最初に降り立つ場所でもある。
元より二人きりでささやかに、などという目論見は成功するはずもなかった。
天気も良く、春の訪れを感じさせる暖かな日だったことも手伝ったのだろう。
顔を見知った原点たち以外にもどんどん人は増えて、互いに持ち寄った酒を酌み交わし、料理を突き合う。
何せ世界一大きな街のすぐ外だ。
集まった人々は更に多数の人を呼び寄せて、丘の上はあっという間にちょっとした祭りの様相を呈してきた。
そうなれば、芸術家であり、商売人でもある彼らの事。
即席の屋台が打ち建てられて、祭りはますます賑やかになっていく。
一体どこにこれだけの人がいたのか。
気付けばそう思えるほどの人々で丘の上は埋め尽くされていた。
アゼルの誕生に関わったもの。関わっていないもの。
今までに出会った人、これから出会うかも知れない人。
その全てが、この世界を支えている。
「どうだ、アゼル」
ようやく独立を果たした世界の下で。
「世界は美しいだろう」
「――はいっ!」
笑顔の花が、咲いた。
(了)




