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終話 『愛娘』アゼル

「おーっす!」


 バン、と乱暴に背中を叩かれて。


「元気ないね」


「どう元気出せっていうのよ」


 いつもの喫茶店、フェスティナ・レンテ。

 机に突っ伏すようにしながら、ミケーネ……三宅 晃は今日何度目かの溜め息をついた。


「そうねえ。現実に生きるとか。男を作るとか」


「あたしに出来るわけないでしょ、そんなの……」


 シルウェス……佐々木 涼音の言葉に、晃は拗ねたように言い返す。

 CCが消えて、クラフトとの繋がりも無くなってしまった。

 ましてや他の男との出会いなど望んでもいない。


「それに……アゼルが消えて、そもそもそんな気分になれないよ」


「そこが狙い目かもよ。クラフトの心にあいた穴を埋めてあげれば……」


「スズ」


 晃はただ、涼音の名を呼ぶ。

 だが本気で怒っている時の晃の表情に、涼音は降参する様に両手をあげた。


「わかった、悪かった、冗談よ」


「言っていい冗談と悪い冗談がある」


 むっと眉間に皺をよせ、頬を膨らませながら晃はココアに口をつける。


「でも、クラフトの方はアキに会いたいらしいよ」


「は?」


 晃は最初、それは涼音のいつもの冗談だろうと思った。


「というわけでこの店に呼んだんだけど」


「はああああ!?」


 だが流石にそんなすぐばれるような嘘はつかない。

 真面目な顔で言う涼音に、晃は慌てふためいた。


「待って、無理、無理無理無理! 聞いてないよそんなの!」


「そりゃ、今初めて言ったからね」


 そんな彼女を微笑ましそうに見やりながら、涼音は問う。


「アキは会いたくないの?」


「いや、そういうわけじゃ……ない、けど。だってクラフトはあたしの事男だと思ってるんだよ? 今更どのツラさげて会えばいいの」


「その面と乳ぶら下げて会えばいいじゃない」


「胸は関係ないでしょ胸は!」


 たゆんと豊かな双丘を揺らし、晃はテーブルを叩いて立ち上がった。


「ま、無理っていうなら仕方ないね。アキを紹介するのはやめる」


 そう言って涼音もまた、立ち上がる。


「ん……悪いけど、少なくとも、今は無理」


 涼音にしか会わないと思ってたから、化粧も全然しっかりしてないし、服だって気合の抜けた普段着だし、何より心の整理がついてない。


「あ、そうそう」


 ふと、思い出したかのように涼音は言う。


「アキの事紹介はしないけど、この店には呼んじゃったから」


「え?」


 伝票をひらりと掠め取って、涼音はひらひらと手を振りながらその場を後にした。


「え、あ、ちょ」


 晃が荷物やコートを取ろうとわたわたしているうちに、涼音は店を出ていってしまう。それと入れ替わるようにして、男性が一人、店に入ってきた。

 CCで見ていた姿と何一つ変わらないその容姿に、晃はすぐにそれがクラフトだと気付く。


 店内をきょろきょろと見回す彼の視線が晃を捉える寸前、彼女は素早く椅子に座り直す事に成功した。


 晃はコートを畳み、バッグからもう読み終わった文庫本を取り出して、あたかも喫茶店で本を読んでいるだけという風を装う。


 涼音は個人情報を勝手に流すような女ではない。この店の中に晃がいる事はわかっていても、クラフトは自分がミケーネだとは分からないだろう。


 クラフトに視線を向けないようにしつつ、晃は彼の動きをこっそりと伺う。

 朴訥な人形師は、明らかにこういった店に不慣れなようで実に挙動不審だった。


 先に知り合いが来ているはずだが、その名前も顔も連絡先も知らない。


 そんなことを言えるわけもなく、クラフトはゆっくりと席を探すフリをしながらミケーネを探す。


 バレるわけがない。そう思いつつも、晃は帽子を目深にかぶる。


 赤、橙、黄の三色に染めた派手な短髪に、猫のような釣り目のミケーネ。

 そんな彼女と、どちらかというと垂れ目で、大きな眼鏡をつけ、長い黒髪を三つ編みにした晃は似ても似つかない。


 そもそもクラフトはミケーネの事を男だと思っているのだ。


 なのに。



 なのに。


「なんで真っ直ぐこっちに来るのよ……!」


「間違っていたらすまない」


 文庫本で顔を隠す晃に、クラフトは問うた。


「ミケか?」


「え? ……えっと、人違いだと思います」


 晃は目をパチパチと瞬かせ、戸惑うようにそう答えた。

 背の高い男性に少し怯えて震える声まで完璧な、その演技。


「そうか、失礼した」


 頭を下げるクラフトにほっと胸を撫で下ろしつつも、晃は「いえ」と無難に答える。


「ところで、ゼノンのダンジョンはなかなか大きかったな」


「あんな洞窟をダンジョンと呼ばないで!」


 自分の叫んだ言葉の内容に晃が気付いた時には、もうすべてが手遅れだった。






「しにたい」


「まて、死んでもらっては困る」


 真っ赤な顔を机に突っ伏して呻く晃に、クラフトは慌てて生真面目にそう言った。


「騙し討ちをしたようで悪い。だが、お前の力が必要なんだ」


「あたしの力、って……?」


 真摯な視線に、晃の胸がどきりと鳴った。

 クラフトの心にあいた穴を埋めてあげれば。

 涼音のそんな言葉が、脳裏に去来する。


「アゼルは消えてない。救い出せるかもしれない」


「本当!?」


 だがそんな甘い想いは、クラフトの言葉を聞いた瞬間消し飛んだ。


「ああ。そもそもCCは円周率の具現。消えるものじゃない。アゼルは今も、円周率のどこかにいるんだ」


「……駄目だよ。確かに、無限の円周率の中には、そりゃあアゼルと同じデータはあるかもしれない。でもそれは、あたし達の知ってるあのアゼルじゃ……」


「いや、無限なんかじゃない」


 燃え上がった意気を一瞬にして消沈させる晃に、しかしクラフトはかぶりを振った。


「ゼノンが世界を歪めた時点で、あの世界は有限になってたんだ。途方もなく膨大な桁数ではあるが、無限じゃない、その中に、アゼルはいる」


 闇の中に差し込む一筋の光明。しかし、彼が示すそれはあまりにもか細い。


「その膨大な世界の中で、どうやってアゼルを探すの?」


 CCの中はあの時点で、現実世界の四倍もの広さに達していた。

 そこからたった一人のアゼルを探すというのは、殆ど不可能に思える。


「これを使う」


 そう言ってクラフトが取り出したのは、量子メモリだった。

 量子ビットを利用したそれは、手の平に収まる大きさでありながら、テラの更に1,000,000,000,000倍。1ヨタバイトまで保存できる最新式の記録装置だ。


「これはアゼルの身体データだ。これで絞り込めば、アゼルの候補が出てくる。お前も、心のバックアップくらいは取ってるだろう?」


「そりゃあ……原型になったものなら、あるけど」


「それを使えばさらに精度は上がる」


 『アゼルに似た何か』なら、作れるかもしれないし、もしかしたら見つける事だって出来るかもしれない。


 だがそれはやはり、アゼルではないのだ。

 指輪としてクラフトの助手を務めた一年間。

 彼女が口にした食べ物の味。

 数々の戦いや、歩いた道のり、一緒に入った風呂の温度。


 そう言った一つ一つの記憶が、彼女を形作っている。

 それなくしては、アゼルはアゼルとは言えない。


「クラフト、それは……」


「で、ここに、彼女の歩いた道のりの全ての情報が入ってる」


 それを告げようとする晃の言葉が、遮られた。


「スズ!」


 いつの間にか戻ってきていた涼音が指すのは、記録メディアではなく己の頭だった。


「で、こっちが『鍛冶師』バルクホルンから貰ってきたアゼルの動きのデータで、こっちが『仕立て屋』ジーナがくれた身体の全データで、これは『斡旋屋』ライカが集めた、あの子が食べた注文の全て。そんでこれが『宝飾師』のクリスが……」


 更にどさどさと並べられる記録メディアの数々に、晃は目を白黒させた。


「これ、全部、集めたの?」


「クラフトがね」


「半分以上は『斡旋屋』のお蔭で集まったものだけどな」


 晃と同じくらい人付き合いの苦手なクラフトが、ここまで情報をかき集めるのは相当大変な事だっただろう。


「……一つだけ聞いていい?」


「なんだ?」


「何であたしがミケーネだってわかったの? スズが教えたわけじゃないよね」


「勿論。教えるわけないでしょ」


 まさか疑ったんじゃないでしょうね、とでも言いたげに、涼音は晃を睨む。


「……アゼルが以前、そう言ってたんだ」


「アゼルが?」


 思ってもみなかった答えに、晃は目を瞬かせる。


「『ミケは多分、本当は女の人だと思いますよ』って」


 ああ。


 あの子は、思った以上にあたしの事を理解してくれていたんだな。


「わかった」


 少なくとも、この朴念仁よりは。


「迎えに行こう。あたし達の娘を」


 晃は心中でそう呟いて、立ち上がった。






 白でもなく、黒でもなく、何もない世界。


 そこに、三人の男女が降り立った。


 クラフト。シルウェス。ミケーネ。


 彼らがふわりと姿を現した瞬間、世界は色を帯びた。


 茶色い大地が広がり、彼方には山が生まれ、草花が生い茂り、木々が伸びて、川が流れる。


 そして。


「アゼル」


 クラフトの呼びかけに、まるで花が咲くようにして紫の髪の少女がその姿を現した。


 その数、十人。


「持ち寄ったデータで特定できたのが、この十人」


 十人が十人とも、アゼルであることは間違いなかった。

 本物も偽物もない。全員がそれぞれにアゼルなのだ。

 少なくとも、残っている情報の上では。


「クラフトが選んで」


 仕草も表情も皆同じ。

 差異があるとしたら、それは記録ではなく思い出の中にある。

 それも、ミケーネやシルウェスたちが共有している思い出ではない。

 それらは検索条件に既に入っている。

 クラフトだけが知る何かが必要だった。


「……アゼル」


 考えた末に、クラフトはアゼル達に左手を差し出す。


 それは、まだシルウェスにも、ミケーネにも、葵にも出会う前。

 クラフトしか知らない頃の彼女に、最初に教えたこと。


『手を、繋ぐんだ』


 アゼルたちが、その手を握ろうと左手を伸ばす。


『はぐれてしまわない為に』


 そんな中、たった一人だけ。


 右手を差し出してクラフトの手を取った。


 同じ手をにぎるのは、親愛をしめす為に。

 逆の手をつなぐのは、共に並び歩く為に。


 彼女が世界に『発見』されて、他のアゼルたちはまるで幻影の様に消え失せる。


 だが、彼女たちもまた、いなくなったわけではない。


 それは過去の、未来の、いつかのアゼルだ。


「クラフト!」


「アゼル」


 そして、現在のアゼルを。


「おかえり」


 クラフトは強く強く、抱きしめた。

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