七話 『創造主』ゼノン-12
「仮想……自我?」
耳慣れない言葉に、アゼルはそれをオウム返しに繰り返した。
「あなたは人工自我なんでしょう? 私は、違う。ちゃんと現実で人間だった頃があったの」
「――まさか」
息を飲むアゼルに、キセは頷く。
「そう。『増殖』ね。あれ、実は人間も増やせるのよ。時間は凄くかかるけど」
彼女は傍らに横たわるゼノンの死骸に目を向けた。
「そしてその増殖させた肉体はアレに、精神は私に分けた」
「オリジナルは……現実世界のゼノンは、どうなったんですか?」
「とっくに死んだわ」
恐る恐る尋ねれば、予想通りの答えが返ってきた。
「だから、創造主は私。私こそが本物。私こそがこの世界の神なの」
そう言い張る彼女の気持ちが、アゼルには何となくわかった。
キセは自分が複製品だなんて信じたくないのだ。
だから名前を変え、身体を変え、性別まで変えて、彼女は自分をオリジナルだと主張する。
「ねえ、あなたならわかってくれるでしょう? 仮想自我だって一つの存在。私が確かに、生きているってことを」
「……はい」
アゼルは頷いた。彼女を否定する事は、自らの生をも否定する事になる。
「そうでしょう。だから、私は死ぬわけにはいかない。どんな手を使ってでもこの世界を長らえさせて、生き抜いて見せる」
彼女が増殖で金を稼ぐなんて手段を用いたのは、他に方法がなかったからだ。
この世界ではまさに神そのものだとしても、世界の外ではアゼルと同じ。家電を少し操作するくらいの事しか出来ない。
「だから悪いけど、あなたの親を私の世界に住まわせるわけにはいかないの。それこそ、この世界を壊しかねない存在だから」
アゼルはキセの境遇に心から共感し、同情した。
この世界の誰よりも、彼女の孤独を理解できるのは自分だろう、とアゼルは思う。
「それは、嘘ですよね」
だからこそ、そこに隠された欺瞞に気付いた。
「……嘘?」
「あなたにとっては、クラフト達はいた方が都合が良い筈です。お金の事は良くわからないけど、今の話を信じるなら寄付くらいしてくれるでしょう。そうでなかったとしても、拒絶して敵に回して、世界の外側から干渉される方が困るはず」
ピクリ、とキセの眉が動く。
「それでもクラフトたちを……ううん」
「……黙れ」
ぽつりと、呟くようにキセは声をあげる。
「クラフトを、拒絶したい理由がある。それは」
「黙れ」
しかしそれでもアゼルは言葉を続け。
「自分が、人間より下の存在だと認めるのが嫌だからです」
彼女の急所を、抉りぬいた。
「黙れ……!」
キセが柳眉を逆立て、まるで般若のような表情で叫ぶ。
それを認めるか否か。そこが、キセとアゼルの絶対的な違いだ。
「あなたはただ、この世界を自分の自由にしたいだけです」
キセはこの世界に住むものを、己の為の家畜としてしか見ていない。
それはアゼルにとって、看過できない事だった。
「この世界は私が作ったもの、私の子供みたいなもの。親が子を自由にして何が悪いっていうの?」
「私の親は、そんな風にはしません」
気炎をあげるキセに対し、アゼルは静かに言い返す。
「私の親は……師は。教え、導き、支え、守り、いつだって見守ってくれた」
「その親はもういないじゃない」
「そんなことない。クラフトは、いつだって見守ってくれてる!」
嘲るように鼻で笑うキセに、アゼルは首を横に振った。
ここに来るまで、どれほど彼らの与えてくれたものに助けられた事か。
例えその姿が見えずとも、その教えは確かにアゼルの中に息づいている。
「そう。交渉は決裂ってわけね」
キセはため息を一つ付き……そしてどこか嬉しそうに、口角を吊り上げる。
「バラバラにしてあげる」
ぶちり、と音がして。
切れない筈の、『仕立て屋』ジーナの紐で繋がれた多節棍がバラバラに千切れ飛んだ。
「そんな……!?」
「私は『創造主』。作れないものはない」
彼女の腕から突き出た刃がきらりと光る。
あらゆるものを防ぐ盾があるなら、『あらゆるものを防ぐ盾を含めた全てを貫く矛』を作ればいいだけの事だった。
「さあ、次はあなたの番」
キセは敢えて恐怖を与える為に、十倍速程度の速さでアゼルに襲い掛かった。
見えもせず、感じもしないままに死んでいくのでは面白くない。
たっぷりと甚振って殺してやる。
狂気の笑みを浮かべたキセの身体が、気付けば宙に浮いていた。
「えっ?」
『加速』は相対的な速度をあげるチートだ。主観的には自分が早くなったという実感はない。それ故に、キセは受け身を取ることも出来ずに先程自分が作った穴の中に落下した。
「え?」
しかし、それに呆けたような声をあげたのは、キセだけではない。
アゼルもまた同様に、困惑に目を瞬かせる。
キセを投げたのは彼女ではなかった。
「ま、間に……合った」
呆然とするアゼルの元に、葵がぜえはあと荒く息をつきながら姿を見せる。
だが、キセを投げたのは彼女でもない。
「葵……?」
葵の姿は、アゼルの知るそれとは少し異なっていた。
記憶にあるものより幾分か背が低く、ボーイッシュなイメージの強かった顔立ちや体つきも大分女性らしい。
アゼルはすぐに、それが彼女の本来の姿なのだと悟った。
「何で、お前は殺したはず……!」
穴から這い出し、キセが声をわななかせる。
「殺されたよ。全く、油断した。お蔭でここまで走ってくる羽目になった」
葵は呼吸を整えながら、降参するように両手をあげた。
「何で生きてるんですか?」
「『複垢』」
率直なアゼルの問いに苦笑しながら、葵は答える。
「複数の身体に多重ログインするチートのおかげだよ。要するにスペアを残しておいただけの話。まあチートと呼ぶのも烏滸がましい感じだけどさ」
「それで? 『加速』は返してもらってる。その身体にはないでしょう。今更あなたが出てきて何になるっていうの」
「そりゃあそうだよ。チートを失ったら、僕なんて何の役にも立たない」
冷笑するキセに、葵はニヤニヤしながらそう答えた。
「僕はただの『踏み台』だよ」
アゼルの眼前で、三つの影が蠢いた。
その姿は三つとも同じ。手の平サイズのミニアゼルだ。
だが、その浮かべる表情は全く異なっていた。
床からせりだしてきた土台に乗って、不敵な笑みを浮かべる個体。
キセをその小さな体で投げ飛ばした、鋭い瞳の無表情な個体。
そして、生真面目に口を引き結び、アゼルを守る様に前に立つ個体。
「まさか……」
声が震えているのが、わかった。
「ああ。ミニアゼルに発声機能はついてないんだ。だから僭越ながら、僕が代理で伝える事を許してくれ」
葵はそう前置きして、ゴホンと一つ咳払い。
「スレイ」
アゼルの懐から、コロコロと小さな人形が転がり落ちる。
「コマ」
それは膨れ上がり、その本性を取り戻す。
「スパイン改、サノモリ、オウル、アイシー、ルゥ」
駄目だ。駄目だ。駄目だ。
「テツオ二世、ツムギ、クロコ、昴、シロウ、カラハミ」
いくつもいくつも並べられる人形達の名前を聞きながら、アゼルは必死に心の中で自分に言い聞かせる。
「待たせたな」
葵の声に、懐かしささえ感じる優しい声が、重なる。
それは勿論現実ではなく、彼女の心が聞かせる幻聴なのだけれど――
「今まで一人で、よく頑張った、アゼル」
アゼルの涙腺は、堪え切れずに決壊した。
 




