七話 『創造主』ゼノン-9
どこかで、悲鳴が聞こえた気がした。
一瞬後ろを振り返り、しかしアゼルは坑道を進む。
ただ進むしかなかった。
なぜなら、道は真っ直ぐそちらにしか続いていないのだから。
天井が落ちてきたとき、流石にこれは死んだと思った。
ジーナの服はその構造上、頭上からの攻撃に一番弱い。
天井を落とすというのは今のアゼルに対して最も効果的な攻撃だった。
だが、次に彼女が目を覚ました時、アゼルは通路の突き当りに倒れていた。
自然にできた洞窟の通路ではない。
明らかに何者かによって作られた人工の通路だ。
ひんやりとして高い湿度を保つその空気から、そこが地下であるとわかった。
最初アゼルは、これが天国か地獄かのどちらかなのかもしれない、と思った。
ミケーネから与えられた知識から想像していたものとはずいぶん違ったが、あんなにダンジョンを愛する母から生まれたのだから、自分にとっての天国がダンジョンでも不思議はない。
そんな事を思いながら歩くうちに、段々とこれが現実……実際には仮想現実だが、彼女にとっての現実であるCCの中であるという事がわかってきた。
通路を歩くうちに幾つかのキノコやネズミ、コウモリと言った生き物を『発見』したからだ。流石に天国や地獄にまで発見の法則はないだろう。
であれば、誰かがこの通路にアゼルを運び込んだのだ。
しかし、一体誰が。
幾ら考えても答えは出ず、とにかくアゼルはその通路を歩いていくことにした。
そして結局答えは出ないまま、彼女はそこへと辿り着く。
一本道の通路の突き当り。そこに、ぽっかりと穴だけが開いている。
その穴を覗き込んだ直後、彼女は迷わずそこから飛び降りた。
飛び降りた先で、彼女に三人の男女が視線を向ける。
長く白い髭を生やした老人……『追放令』テオドロス。
若く見目麗しい女……『不死身』キセ。
そしてただ一人、ぴくりとも表情を変えない平凡な男。
間違いない、『創造主』のゼノンだ。
彼らが何かを言うより早く、アゼルはゼノンに向かって駆けた。
その前に、キセが立ちはだかる。
音より速く振るわれるアゼルの杖に、一瞬にしてキセの両手足は身体から切り離された。
アゼルは三人ともこうしてやるつもりだった。
現実と同様に痛みを与える魔術、ログアウトを阻害する魔術。
そのどちらも既に開発してある。
けして殺さず、ログアウトも許さず、ひたすらに苦しめ続ける。
そのチートを手放すまで。
そんな目論見は、キセによって阻まれた。切り裂かれた彼女の手足は地面に落ちることなく宙を舞って、アゼルを掴む。ほんの一瞬動きを止めた彼女を、細い鉄の柱が檻の様に立ち上って閉じ込めた。
「どうやってここまで来たかはわからないが、残念だったね」
ゼノンがそう言うと共に、無数の刃が柱から突き出す。
それはアゼルを一切傷つけることなく、キセをバラバラに切り刻んだ。
「しかし葵はともかく、ペネロペまで失敗するとはね」
バラバラになったキセの身体がずるりと動き、檻の外でまるでパズルの様に組み合わさって元通りになった。
『不死身』の名前の通り、細切れになっても死なない。
ペネロペと同等か、それ以上の厄介さだった。
アゼルは檻に向かって杖を振るう。
超一流の原点によって作られ、チートによって強化されたその杖は、しかし檻に傷一つつける事が叶わず弾かれる。
「その武器の攻撃力は、99999だろう? それじゃあ無理だ。私が協力者に与えたチートはそれを限度にしていたが、私自身が設定できる数値はそれより遥かに大きい」
ゼノンの声色は誇らしげでもなければ、嘲るようでもない。
ただ事実を事実として淡々と説明するだけの無機質な響きがあった。
「その檻の硬さは、1グーゴルプレックスだ」
「グーゴルプレックス?」
聞きなれない単語に、アゼルは首を傾げた。
「知らないかね。1グーゴルプレックスは10^10^100。
十の十の百乗乗……つまり、十進数で表すなら、1の後に0が10, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000, 000個つく数字の事だ」
ゼロゼロゼロゼロ……と、ゼノンはゼロを正確に百回繰り返す。
「もっとわかりやすく言うなら、世界の全ての物質をインクに変えても十進数では表記できない。そう言えばわかりやすいか?」
あまりにも大きすぎる数字にピンとこない様子のアゼルに、ゼノンはそう補足した。
「この世界なら、足りる。CCは無限なのだから」
「本当にそんなものを信じてたのか?」
お前が壊さなければ。
言外にそう告げるアゼルに、ゼノンは無機質な声で尋ねた。
「無限などあるわけないだろう。所詮この世界は、ただ計算機で再現された仮想空間に過ぎない。現実が有限である以上、この世界だって有限だ。私が何もせずとも、いずれ終わりは訪れていた」
「……嘘」
「この状態でお前に嘘をついてどうなる?」
言いながら、ゼノンは檻に触れる。
カリカリと何かを引っ掻くような音を立てながら、檻の中に光の線が生まれた。
それはアゼルに向かって飛ぶと、彼女の身体を足元から照らしていく。
「何を……!」
痛みもなく、身体に変化もない。
しかしアゼルは何となく、その光に気味の悪いものを感じた。
「やはり情報量がかなり多いな」
そんなアゼルの事を無視して、ゼノンは呟く。
「見張っておきましょうか?」
「いや、いい。少なくとも数時間はかかる。どうせこの檻から出るのは不可能だ」
テオドロスにそう言い捨て、ゼノンはパチリと指を鳴らす。
すると更に檻に格子が細かく引かれて、網の様になった。これでは仮に先程のキセの様に身体をバラバラにしても出られない。
「それよりも、『加速』と『幽霊』を回収に行こう。また新しい捨て駒も見繕わなければならない」
「待って!」
がしゃんと檻を鳴らすアゼルを一顧だにせず、ゼノンたちは彼女に背を向けて立ち去る。その間にも、光はアゼルを舐めまわすように照らしていた。
同時に、檻の外に何かぼんやりとした影が現れる。
その見慣れた姿に、アゼルは今自分が何をされているのか気が付いた。
「『増殖』……!」
アゼル自身の情報が読み取られ、複製されつつあるのだ。
その目的は明確だ。他の複製品と同じように、売るつもりなのだろう。
クラフトの最高傑作であるアゼルの肉体も、ミケーネの最高傑作であるその精神も、相当の高値がつくに違いない。
自分であって自分でない存在が作られようとしている。
それは明確な恐怖だった。
何とか抜け出せないか、アゼルは手を尽くしたがそれは全く成功しなかった。
檻のどこを破壊しようと試みても小さな傷一つつかないし、転移の魔術も発動しない。
目標を目前まで捉えていながら、また逃げられるのか。
それどころか、その金儲けの道具にされてしまう。
アゼルは悔しさに、檻をぎゅっと握りしめた。
もう二度と泣かないと心に決めたのに、溢れそうになる涙を彼女はぎゅっと歯を食いしばって我慢する。
そんな時、かしゃんと音が鳴った。
音を追って檻の外に目を向けると、そこにいたのは。
「私……?」
と言っても、複製されたそれではない。
見事なまでにアゼルのその特徴を捉えつつ、手の平サイズ。
頭は大きく手足は短く、愛らしさは30%アップ。
ミニアゼルが、檻の外でその短い手をぶんぶんと振っていた。




