七話 『創造主』ゼノン-4
一体何が起こったのかアゼルにはまったく理解できないまま、彼女の身体は迷宮の壁の中に埋もれていた。視界は真っ暗で何も見えない。呼吸も出来ないので、これは土の中なのだろう、という事だけが分かった。
つまり、葵があの状態から何らかの攻撃を加えたのだ。
彼女の動体視力をもってしても、その程度の認識しかできなかった。
それほどの速度で攻撃を受けたにもかかわらず、彼女の身体には殆ど傷らしい傷はなかった。幾ら彼女の身体が頑強に出来ていると言ったって、壁にめり込むほどの衝撃を考えれば痛み一つないというのはどうにもおかしい。
まさか痛みを感じることも出来ないほどに破壊されてしまったのだろうか、と指を動かしてみれば、彼女の腕は素直に動いてずしりとした土の重さを伝えてきた。
何が起こっているのかはよくわからないが、とにかく土からでなければ。
声を出そうと口を開くと土がぽろぽろと入ってきてしまうので、アゼルは即席で魔法を作り上げて土を押しのけた。レンガが意思を持っているかのようにガタガタと積み上がって通路を作り上げ、真っ暗な視界が開ける。
それと同時に、聞きなれない警報の音がびいびいと耳をつんざいた。
「おはよう、アゼル。この音なに?」
そんな中、葵は何やら呑気な様子で首を傾げていた。
「私にもわかりません」
「ふうん。ま、いいや」
わざわざアゼルが立ち上がるのを待って、葵は剣を構え直す。
「じゃあ、続きを……」
「警告します」
その言葉が、途中で遮られた。
「迷宮の破壊が見られました。それ以上進んだ場合、あなたを敵性侵入者と判断します。速やかに退出してください」
ピンと立った三角形の耳。ゆらゆらと揺れる、長い尾。
全身を覆う白い毛並みに、それと対照的な黒を基調としたメイド服。
タマがアゼルを背後に庇うようにして、葵の前に立ちはだかっていた。
「……ええと、ここまで見事な造形って事は、クラフトさんの人形かな」
少し困ったように、葵は眉を寄せた。
「タマには手を出さないでください。私との戦いのはずです」
「僕としてもそうしたいところなんだけど、そっちが見逃しちゃくれないみたいでさ……」
「速やかに退出してください」
葵の言葉を肯定するかのように、タマは繰り返す。
「タマ、どいてください」
彼女にそんな事を言っても意味がないと知りつつも、アゼルは言う。
「お断りします」
事務的な口調で。
「妹を護るのが、姉の務めですから」
しかし、タマはそう言い放った。
「え……?」
「よくわかんないけど、邪魔をするっていうなら容赦はしないよ」
剣を構える葵。
「待ってください!」
アゼルが止める間もなく、その姿が掻き消えた。
殆ど同時に、凄まじい衝撃音とともにその身体が壁に激突する。
「……え?」
葵とアゼルの声が図らずも重なった。
上下ひっくり返って壁に背中をしたたかに打ち付けながら、葵は目をパチパチと瞬かせる。
彼女は確かに、タマに切りかかった。百倍速でだ。
相対的に見ればタマの動きは本来の百分の一の速さなわけで、彼女は殆ど動きもしない。
なのに、気付けばこうなっていた。
「繰り返します」
そんな彼女に向けて、猫頭のメイドは言い放つ。
「怪我をしないうちに消え失せなさい」
「……面白い」
葵がくるりと身体を起こす。
「流石はクラフトさんの作品ってわけか、舐めてたよ」
タマはちらりとアゼルに視線を送る。
一体どうして彼女がこんな風に振る舞うのか、アゼルにはわからなかった。
「じゃあ今度は……」
再び葵の姿が掻き消え、かと思えば彼女は天井から落ちてきた。
「くそっ、駄目か。ならこれで……ぎゃんっ」
悲鳴を上げながら、葵はごろごろと地面を転がる。
そうやって消えては転ぶのを繰り返す葵を見るうちに、アゼルは何が起こっているのかをおぼろげに悟った。
シルウェスだ。
初めて彼女に会った時にアゼルがかけられたあの技を、葵もかけられているのだ。彼女よりもどれだけ早く動こうが、魔法の様に投げられ転がされる、あの技。
「なるほど、そういう事か……」
荒く息を吐きながら、葵はその動きを止める。
「合気……を、仮想世界上で最適化した上で、魔術と絡めてるんだな」
息を整えながら葵はゆっくりと剣を横に構える。
「この手は使いたくなかったけど、仕方ない。……対応してない方が悪いと思ってくれよ」
ピシリと音を立てて迷宮の壁が割れるのと同時に、タマの上半身がずるりとずれて、地面に転がった。
「タマ!」
悲鳴を上げて、アゼルはタマに駆け寄る。
「大丈夫です。存在に問題はありません」
胴の辺りで真っ二つにされているにも関わらずしっかりとした声が返ってきて、アゼルはほっと胸を撫で下ろした。
考えてみればアゼルも同じだ。本体は飽くまでその指にはめた指輪であって、肉体は活動する為の依り代に過ぎない。
「ですが、活動は不能です。……後をお願いします、アゼル」
「タマ……私の事が、わかるんですか?」
猫の首が横に振られた。
「いいえ。私は設定された言葉に対し、予め決められた言葉を返しているだけです。あなたの様に自我と呼ばれるものはなく、それ以外の機能はありません」
淡々とタマはそう答える。
彼女の右手が差し出され、アゼルはそれを握った。
「お待たせしました」
「いえいえ」
戦いに巻き込んでしまわないよう、タマの身体を部屋の隅に運んで言えば、葵はおどけた仕草で答える。
「さあ、今度こそ勝負を決めよう。……と言っても、全力で行くからね。出来れば一瞬で終わらせないでくれよ」
「どうぞ」
剣を構える葵に対し、アゼルは杖を右手に下げて自然体でただ立ち尽くす。
戦意を喪失したのか。
葵はそれを見て一瞬表情を曇らせたが、それならそれで斬って捨てるまでだ。
そう判断し、駆け。
「な……」
彼女は死ぬほど驚愕しながら、壁に叩きつけられた。
「何で、君まで」
「シルウェスの技を、私は使えない」
そう。目にしただけで使える様な単純な技ではない。
あれは、超一流の冒険者が辿り着いた技巧の神髄だ。
いくらシルウェスに師事していたからと言って一朝一夕に扱えるはずがない。
「でも、タマは……私の姉は、使えるんです」
アゼルの右手首には、黒く輝く金属製の輪。
タマがその手に付けていた腕輪が、嵌められていた。
 




