七話 『創造主』ゼノン-2
「Dupeが? 今更?」
「ええ。何故かはわかりませんが、ログアウトしたようです」
テオドロスからの報告に、ゼノンは首を傾げた。
増殖の力を授けた彼が逃げ出したのは、記憶に新しい。
いざという時幾らでも責任を押し付けられるよう、斬り捨てやすい思慮の浅いものを選んだのがそもそもの間違いだった。
まさか、増殖能力自体を増殖して他人に渡すなどという愚行に及ぶとは考えてもいなかったのだ。
「追放しておきますか?」
「……そうだな、そうしておいてくれ」
『追放令』を持つテオドロスはその能力から、他人のログイン状態を知ることができる。そして、この世界に接続できなくすることも。
だがそれは強制的にこの世界から叩き出す能力ではない。飽くまで相手がログアウトした状態でなければ使えなかった。
「しかし、あれだけ逃げ回っておきながらいったい何故このタイミングでログアウトしたのやら」
クラフトたちにチートの事が知られたのがサイラスの責任であることは、すぐに知れた。しかしそれを追求しようとするより先に、彼はさっさと逃げ出していたのだ。
以来、テオドロスの追放令を恐れてかずっとログイン状態を保っていた彼が、なぜ今更になってログアウトしたのか。
「それについては心当たりがあります」
がちゃりと鎧を鳴らし、葵がそう申し出た。
「多分、単純に……倒されたんでしょう。殺されて強制ログアウトしたのか、ログアウトするしかない状態に追い込まれたのかはわかりませんが」
「倒された? 確かにあいつは不用意な奴だが……それでも、そう簡単に負けるわけはないだろう」
何せ、チーターに普通の攻撃は通らない。
「残ってるんです。一人、追放できてないものが」
「馬鹿な事を言うな、あの場にいたもの、交友のあったもののIDは全て捉えておる。ログイン状態のものは誰もいない」
己の能力にかけて、テオドロスが言い募る。
「待て」
しかしゼノンは冷静にそれを抑えた。
「つまり、君が言いたいのは……我々の障害になるものがまだいる。そう言う事だね?」
「ええ」
葵は頷き、剣を引き抜いた。
「僕に始末させて貰えませんか?」
そんな彼女の真意を見定めるかのように、ゼノンは葵をじっと見つめる。
葵は素知らぬ顔で、兜の面頬さえ上げずにその視線を受け止めた。
「……いいだろう」
やがてゼノンは根負けしたかのように息をつく。
「どちらにせよ、能力としても君が適任だ。とはいえ、それが何者なのかは行く前に説明してくれるね?」
「ええ、勿論です」
兜の中で、葵は深く深く、笑みを刻んだ。
アゼルは、再びミケーネのダンジョンへと向かっていた。
と言っても目指すのはタマしかいない居住区ではない。
その上に積み重なった、ダンジョン全体だ。
ゼノンに対しどうしたらこの世界を守れるのかは、いまだにわからない。
しかしいずれにせよ、力が足りないのは確かな事だった。
相手はクラフトたちが力を合わせて追いつめ、そして結果的にはどうにもできなかった相手だ。少なくともシルウェスを超える力を持っていなければ話にもならない。
一人で歩く地下迷宮は、まるで恐怖を具現化したかのような場所であった。
怪物たちがひっきりなしに襲い掛かり、ロクに休む事も出来ない。
そこかしこに罠が仕掛けられ、油断すればすぐにそれが牙を剥く。
だがそんな過酷な場所であるのに、アゼルは不思議な安らぎを感じていた。
罠の一つ一つには意図がある。
探索者の裏をかき、嘲笑うかのような、意地が悪く狡猾なトラップ。
しかし、そこにどこか、優しさがある。
最後の最後、もっと残酷になれるという所で、加減がされているのだ。
落とし穴の下には犠牲者の身体をずたずたに切り裂く槍衾の代わりに大量の小麦粉が敷き詰められていて、次に降ってくる焼けた油の為の下ごしらえをしてくれる。
テレポーターの前にはからかうような挑発の文句が刻まれ、その先は重く硬い石の中ではなく、大量の魔物たちの巣のただなかに繋がっている。
張ってある罠は探索者を苦しめ、殺すためのものではなかった。
惑わせ、困らせ、しかし楽しませるためのものだ。
勿論、楽しいなんて言ってはいられない。気を抜けばすぐに命を落としそうになる。いっそあっさりと殺してくれた方が楽なのではないかと思うくらいに意地の悪い罠も多い。
だがアゼルはそこに、明確なミケーネの意思を感じた。
このダンジョンは、確かに、彼女そのものなのだ。
そこを探索する事は、アゼルにとって喜びであった。
並み居る魔物たちと戦いながら、アゼルはシルウェスの動きを思い返す。
その一つ一つに、漫然と見ているだけでは気付かない工夫があった。
足運びに、手の返しに、重心のかけ方に、考え抜かれた叡智があった。
記憶に残る彼女の動きを描きながら、アゼルはそれを真似、己の動きへと昇華させていく。するりと伸ばした杖の一撃は線を引き、それはやがて弧となって、そして全き円を描きだした。
そうして戦ううちに、彼女は気付く。
ミケーネのダンジョンに出現する魔物たちの何体かも、クラフトが設計したものであることに。
随分作りが荒いものもいた為に気付くのが遅くなったが、一度そうとわかればすぐに知れた。それはある意味で『発見』と同じようなものであったのかもしれない。
優美な縞と長い牙をもつ六本脚の虎。
長い毛に全身を覆われた、醜さの中にどこか美しさを持つ野蛮な獣。
巨大なあぎとを持つ不気味な爬虫類に、風を外套の様に纏った悪魔。
いずれもその姿のどこかに、見知った面影があった。
特に、要所要所で道を塞ぐ強力な魔物は全てクラフトのデザインだ。
クラフトの持つ独特の癖をその身に宿す怪物たちは、階を一つ降りる度に洗練されていく。それは単に下層に向かう程強力な魔物を用意しよう、と設計されただけではない。
明らかな創意工夫と習熟、改良。そして成長の痕跡があった。
クラフトも最初から完璧だったわけではないのだ。
地下一階の魔物は今のアゼルから見てさえ随分と拙い。
しかし階層を降りる度に欠点や未熟さは鳴りを潜め、代わりに素晴らしい創造性と芸術的なセンスが顔を出した。
己の父親と共に成長しながら、アゼルは下へ下へと降りていく。
「……やあ、待ってたよ」
そして、最下層。
「なぜ、ここに?」
玉座の上で軽く手を掲げる葵に、アゼルは刺すような視線を向けた。
「そりゃもちろん、君に会いに来たんだ、アゼルちゃん」
がちゃりと鎧を鳴らして、葵は立ち上がる。
「君は僕たちの事を随分聞いて回ってたみたいだけど……おかげでこっちから探すのはずいぶん簡単だった」
アゼルは葵に向かって真っすぐ駆け、躊躇うことなくその杖を彼女に突き立てる。
「クラフトさんたちがどうなったか、聞きたくない?」
その切っ先が触れる直前で、止まった。
「聞きたい」
そのあまりに素直な反応に、葵はくくっと笑う。
随分剣呑な目をするようになったが、その内面は一緒に小鬼退治した時と全く変わっていない。そう思った。
「いいよ。教えてあげよう」
むしろ変わったのはこっちだろうか。
「ただし、僕に勝てたら、だ」
そんな事を思いながら、葵は剣を引き抜いた。




