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七話 『創造主』ゼノン-1

 ぜえぜえと鳴り響く呼吸音だけが、聞こえていた。

 縺れる足を、ひたすらに動かす。


 カチンという音は、演算が終わった合図だ。


 後ろを振り向きもせず、背後に向かってそれを投げ放つ。

 複製された怪物どもがうなり声を上げて闇に消え――



 そしてすぐに、その声は途絶えた。


「ひっ……」


 喉の奥から、思わず声が漏れる。

 目についた小屋に、一も二もなく飛び込んだ。


 木こりや狩人たちが使う山小屋だろうか。

 中には誰の姿もなく、質素な家具だけが置いてある。

 それを急いで入り口に積み上げて、その強度を極限まで強化。

 窓すらない小屋は鉄壁のシェルターとなった。



「逃がさない」


 なった、はずだった。


「な……な……」


 男はガチガチと歯を鳴らしながら、腰を抜かしてへたり込む。

 そんな彼を、例えようもなく美しい娘が氷の様に冷たい眼差しで見ていた。


 小屋全体の強度はチートによって極限まで上げ、絶対に破壊できないようにしたはずだった。そもそも壁も床も天井も破壊した跡など一つとしてなく、唯一の出入り口である扉はうず高く積み上げられた家具によって塞がれている。

 入ってこれるはずがないのだ。


 ログアウト。ログアウト。ログアウト。


 男は何度も念じるが、それはかなわない。


「教えなさい」


 完全にパニックに陥る男に、アゼルは言い放つ。


「ゼノンは、どこ」


「し、知らねえよ!」


 上ずった声で男が答えると、ふっと風を切る音がした。

 次いで、ぼとりと何かが落ちる音。


「ぐっ、あ、ああああああ!」


 床の上に転がった自分の右腕を意識するより早く、男は激痛に肩を押さえて転がった。その身体を踏みつけ押さえつけ、アゼルはその喉元に杖の先を突き付ける。


「痛覚のフィルタリングは解除してある」


 未だ状況を理解していないらしい男に、彼女はいっそ優しいと思えるほどにゆっくりと説明した。


「素直に言った方が、あなたの為になる。現実の肉体は無事でも……」


 仮想世界でも、その精神を壊す方法は、ある。アゼルは言外にそう意図を込めて、ぐっと杖を持つ指に力を入れた。


「ほ、本当に知らねえ、俺は捨てられたんだ!」


「捨てられた?」


 怯えきった表情で首を振る男に、アゼルはほんの少し、眉を寄せた。


「そうだ、その、面白半分にDupe(チート)を他人に渡したから、それで……」


「どこで、誰に渡したの?」


「ここじゃねえ、MoDでだ……シグルドってガキに渡した」


「その時のあなたの名前は?」


「サイラスだ」


 サイラスが語る内容は、シグルドから聞いていた話と一致する。

 恐らく本当のことを言っているのだろう、とアゼルは踏んだ。


「他には?」


「渡してねえ。一人だけだ」


 一先ずアゼルは足を外すと、サイラスに彼の右腕をぐっと押し付ける。一瞬にしてピタリとくっつく自分の腕に、サイラスはほっと息を吐いた。


「チートを持ってる連中の事を教えて」


 だが首筋に突き付けられる金属製の杖の冷たさに、すぐにその背筋は伸びあがった。


「あ、ああ。ええと……まず、『創造主』のゼノンだ。あいつが、作ったチートを俺達に配ったんだ」


 無言で頷き、アゼルは続きを促す。


「『不死身(イモータル)』の女キセ、『追放令(BAN)』の爺テオドロス、『幽霊(ゴースト)』のペネロペ、『加速(クロックアップ)』の葵……それに『増殖(Dupe)』の俺を入れて、六人。チートを持ってるのは、それで全部だ」


「それだけ?」


「俺が知ってるのはな。俺が抜けた後増えてても、それは知らん」


 クラフトたちがゼノンを捕えた時、そこには六人いた。

 あの時しっかりと対処しておけば。


 ぎりり、とアゼルの奥歯がきしみを上げた。


「ぜ、全員の詳しい能力までは知らねえぞ。だがまあ、大体読んで字のごとしだろうよ。俺のDupeは単に物を好きなだけ複製できるだけの、つまんねえ力だ」


 そんな彼女の態度を脅しと捉えたのか、サイラスはそんなことまでぺらぺらと口にする。


「強度の増加は?」


「それは基本だ。チートってのは要するにデータの改竄だが、硬さだの、大きさだのはツールが無くても簡単に変えられる。だから、全員出来る」


「……そう」


「ここまで話したんだ。逃がしてくれるだろ?」


 薄く笑みを貼り付けるサイラスに対し、アゼルは左手を伸ばす。

 握手のように差し出されるその手を、サイラスは訝しく思いつつも握り返した。


 その瞬間、彼女の袖口がぶわりと膨らむ。


「な、何だ、こりゃあ!?」


「カラハミ」


 アゼルの呼ぶ名に応えるように、彼女の袖口に隠れ潜んだ球体は大きく膨れ上がると、あっという間にサイラスを飲み込んでしまった。


「お疲れ様。変なもの食べさせて、ごめんね」


 ぽんぽんと撫でながらそう言うと、カラハミは気にしていないとでも言いたげに身体を大きく揺らし、小さくなってアゼルの袖口に引っ込んだ。


 その体内に取り込まれたサイラスは、死んではいないが外に出ることも出来ない。例えログアウトしようが彼の身体はそのままだ。次にログインすればカラハミの中に出る。


 クラフトの人形たちが残されていることに気付いたのは僥倖だった。

 彼はログアウトする前に、必ず自分の作品をしっかり仕舞う。

 そうして難を逃れたアゼルの兄や姉たちは、今の彼女にとって唯一の助けであり、掛け替えのない仲間だ。


 サイラスを追い込む為に立てた、ログアウトを阻害するトラップ・ハウスを解体しながらアゼルは思う。


 やっと手が届いたと思った手がかりは、またしても途絶えた。

 しかし収穫が全くなかったわけではない。


 ゼノン。キセ。テオドロス。ペネロペ。葵。

 五つの名前を心に刻み込む。


 最後の名前を思い浮かべた時、ほんの少し胸が痛んだ気がした。


 だがアゼルは構わず、再び荒野を歩き始めた。

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