六話 『仮想世界』サーキュラー・コンスタント-9
「クラフト」
工房へと戻ったアゼルは、もう一度だけ、鏡に向かって呼びかけた。
しかしやはり返事はなく、覚悟はしていたがアゼルは落ち込んだ。
もしかしたらミケーネのダンジョンに行っている間に、来ていたかも知れない。
そんな淡い思いを抱いてアゼルは痕跡を探したが、そんなものは見つからなかった。
工房を離れている間にクラフトがやってきた時の為に置き手紙を残し、アゼルは街中へと向かう。ライカの店へと辿り着くと、何やら何人もの男達が大騒ぎしていた。
「あの、どうかしたんですか?」
「……いや、何でもないよ」
男達は怪訝そうにアゼルを見つめ、首を振る。その態度に、アゼルはピンときた。
「もしかして、ライカも居なくなったのですか」
「……何でそれを?」
「ライカだけじゃないんです。皆……クラフトも、ミケも、たぶんシルも……」
彼女が並べた名前は、男も良く知っているものだった。
「何か知ってるのか?」
アゼルはふるふると首を横に振る。
「ただ、連絡が取れなくなって……いつもなら毎日、こちらへ来るのに」
「そっちもなのか。……ライカさんは全てが謎に包まれてた。誰も現実での連絡先を知らないんだ」
何かわかったら連絡してくれ、と言う男に頷いて、アゼルは次の目的地へと向かう。
バルクホルンの工房を尋ねてみたが、そちらも徒労に終わった。
『仕立て屋』や他の原点たちとは一回会ったきりで、どこにいるのかもわからない。しかし何となく、同じ事だろうという予感がした。
知り合いの一切が消え、アゼルは孤独に苛まれる。
更に一晩をクラフトの工房で過ごした後、彼女はバルクホルンに作ってもらった杖を手にして街を出た。
『この世界には、理論上全てがある』
それが、クラフトの口癖だった。
ならば、クラフトたちもこの世界のどこかにいるのだ。
アゼルはそう信じて、世界の果てを何時間も何時間も歩いた。
「アゼル」
穏やかな深い声色に、アゼルは振り向く。
「クラフト!」
その胸に飛び込むアゼルを、クラフトは優しく抱き留めた。
「私、私……」
「すまなかったな。でも、もう大丈夫だ」
大きな掌が、アゼルの頭をゆっくりと撫でる。
「まったく、アゼルは泣き虫ねえ」
そんなことを言いながらも、ミケーネはやわらかに微笑んだ。
「鍛え直さないと」
短くそう宣言しながら、シルウェスも頬を緩ませる。
アゼルは言葉もなく、ぎゅっとクラフトに抱きつく腕に力を込めた。
ぎゅっと。
ぎゅっと。
この夢が、覚めてしまわないように。
だが、そんな努力が実を結ぶことはなかった。
彼女はまた身体を起こして、頬を濡らす涙を拭い、荒野を歩き始める。
何度も何度も、そんな夢を見た。
それは全て、クラフトが帰ってくる、甘く都合のよい夢だ。
アゼルは彼の影を求めて、世界の果てを歩く。
山。河。草原に、森。
見つかる生き物は鳥や蛇のような単純な生き物ばかりで、人はおろか小鬼すら見当たらない。それでも、アゼルはひたすらに歩いた。
何日も。
何日も。
そしてとうとう、彼女はそれを見つけた。
見つけて、しまった。
白くも黒くもない、その壁。
目を向ければまるで視力を失ったかのように感じられる、何もない場所。
世界の果ての果て。崩壊するこの世の終わり。
「あ……あ……」
それを目にして、彼女は悟る。
いや。薄々気付いてはいたが、今まで彼女の心はそれを認めることを拒否していた。
ゼノンは約束を守らなかった。
彼はクラフトたちを騙し、そしてこの世界から排除した。
それは、もう二度と、アゼルがクラフトたちに会うことは出来ないということだ。
「ああああ。ああああああ」
それを、彼女の心は、認めてしまった。
「あああああああ。あああああああああああああ……」
慟哭が胸を引き裂き、彼女は膝を屈して地面に両腕を突いた。
「あああああああああああ!うあああああああああああああ!」
止めどなく流れる涙が頬を伝い、地面を濃く染め上げていく。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!」
彼女は泣いた。
怒りに。憤りに。悲しみに。
ただひたすらに、泣いた。
何故泣くのかもわからずに、千路に乱れた心の赴くままに号泣した。
「あああああ! ああああああああ!」
振るった腕が地面を切り裂き、木々を薙ぎ倒す。
叩きつけた拳が大地を穿ってクレーターを作り上げる。
それでも足りずに、アゼルは三日三晩、泣き続けた。
涙が枯れ果ててしまうまで泣いた後、アゼルは泣き腫らした瞳を彼方へと向けた。
クラフトが愛し、守ろうとしたこの世界が、再び壊されようとしている。
絶対に、許すことは出来ない。
それは彼女が抱いた、初めての感情。
強い、強い、憎しみだった。
そして少女は、決意する。
この世界を守ることを。
――その日から、夢を見ることはなくなった。




