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六話 『仮想世界』サーキュラー・コンスタント-8

「えへへ」


 クラフトたちがログアウトしたのを見送り、アゼルはいそいそと寝室へと向かった。


 簡素な作りの部屋には似つかわしくない、可愛らしい造りの鏡台の前に座る。

 鏡の表面を覆っている開き戸を開くと、その裏にも鏡がついていて三面鏡になった。

 今のところこれだけが、アゼル専用の家具だ。


「クラフト」


 鏡に向かってアゼルは小さく呼びかける。


「クラフト?」


 この鏡台は、ドレッサーであるとともに現実との通信装置でもあった。

 姿までは見えないが、クラフトの声や音を聞き、またこちらの声を届ける事が出来るのだ。


「もう寝ちゃったのかな……」


 二度、三度と呼びかけてもクラフトの返事はない。

 アゼルは少しがっかりした。


 だが彼は随分疲れていた。

 寝ているのなら、起こしてしまうのも可哀想だ。

 アゼルもベッドに入って眠ることにした。


 人工知性である彼女に睡眠は必要ないが、眠る事が出来ないわけでもなかった。


 暖かなベッドに潜り込んで目を閉じれば、すぐに彼女の意識は闇に落ちる。







 アゼルが目を覚ましたとき、クラフトはまだいなかった。


 彼女は一旦外に出て、太陽の位置を確認する。

 日はまだ昇ってすらなく、ようやく空が白み始めた所だった。


 まだ起きる時間じゃないと納得して、アゼルは身支度を整えることにする。

 いつもクラフトがしてくれていたことを自分でやるというのは、何だかとても大人びている気がした。上手くやればきっといつものように、あの暖かな掌で頭を撫で、落ち着いた優しい声で褒めてくれるのだ。


 三面鏡の前に座って、髪の毛を丁寧に櫛でとかす。

 ベッドで寝てあちこちに跳ねていた髪が、櫛を通す度にすらりと伸びていく様は楽しいものだ。彼女の美しい紫の髪は、あっという間に艶やかさを取り戻した。


 そこで彼女は再び外にでる。まだまだ、日は低い。


 アゼルは次に、髪型を整えることにした。

 クラフトはそのままでも可愛いと褒めてくれるが、やはり工夫を凝らしたい。


 とはいえ髪を自分でいじるのは初めてだ。

 『美容師』にセットしてもらったような複雑なものはとても不可能で、せいぜいきゅっと一つに纏めてポニーテールにするくらいしか出来ない。ついでにミケーネから貰った眼鏡をかけてみる。ガラスの奥からこちらを見る姿は少しだけ大人びた印象で、アゼルはにっこりと微笑んだ。


 興が乗った彼女はついでにクローゼットから服を取り出した。

 『仕立て屋』のジーナが作ってくれた白いドレスを選び、身に纏う。

 さらに『宝飾師』のクリスタが作ってくれたネックレスもつけてしまおう。

 流石に自分で化粧をするのはまだ無理で、道具もないので諦める。


 しかし、なかなか悪くないんじゃないか。

 鏡を見つめて、アゼルは頬を緩めた。

 クラフトはどんな反応をするだろうか。



 ……ワクワクしながら待って、数時間が過ぎた。

 太陽はとっくに昇りきっている。


 疲れているかもしれないが、そろそろ起こさないとかえって体にも悪い。


「クラフト、お昼ですよ、クラフト」


 言い訳の様にそう思いながら鏡に向かって呼びかけるが、反応はない。


「クラフト? お昼ですよー!」


 大きめの声を出しても同じだ。

 アゼルは鏡の表面をなぞって、ネットワークに繋がれた電子機器を呼び出そうとした。

 自動調理機を動かして良い匂いを立てながら音楽を鳴らせば、流石に起きるだろうという考えだ。


 しかし、表面にウィンドウを浮かべて制御盤となるはずの鏡は、いつまで経ってもアゼルの顔を映し出すだけだった。


 鏡に映ったその顔がひきつって、泣きそうに歪められた。


「クラフト……クラフト!」


 何度名前を呼んでも、返ってくるのは静寂ばかり。

 アゼルはようやく、クラフトの身に何か重大な事が起こったのだと気付いた。


 アゼルは何度も鏡に向かって呼びかけ、何らかの解決策がないか工房の中を彷徨う。しかし小さなクラフトの工房はその主人の性格を反映して質実かつ簡素であり、数分もすればすべて見て回れてしまう。


 だが、アゼルは何度も何度も、工房中を確認した。


 そうしながら日が落ち、そしてまた昇っても、クラフトはやってこない。


 アゼルはとうとう堪りかねて、街を飛び出した。

 風の様に駆けて向かう先は、ミケーネのダンジョンだ。


 道を塞ぐ魔物を打ち倒し、かつてクラフトと共に初めてやってきた時に通ったショートカットルートから、最下層へと向かう。


「ミケ、ミケはいませんか!?」


 アゼルの声が、誰もいない謁見の間に虚しくこだました。

 逸る気持ちを押さえながら、玉座の後ろに巧妙に隠されたスイッチを見つけ出して、更に奥へと向かう。


「いらっしゃいませ」


「タマ!」


 恭しく頭を下げる、メイド服を着込んだ猫。

 その姿を見て、アゼルはほっと胸を撫でおろした。


「ミケはいますか?」


「ご主人様は現在、不在にしております」


 落ち着いた所作で、タマはそう答える。


「いつごろ戻ってきますか?」


「わかりかねます」


「クラフトと、連絡が取れないんです。どうにか出来ませんか?」


「わかりかねます」


 同じ言葉を繰り返す彼女に、アゼルは奇妙な違和感を抱いた。


「タマ……?」


「はい」


「ミケと会いたいんです」


「ご主人様は現在、不在にしております」


「それはさっき聞きました。どうすれば会えますか?」


「また後日ご訪問ください」


「昨日、来るって言ったんです」


 アゼルの言葉に、タマは答えない。

 礼儀正しく姿勢を保ったまま、じっとアゼルを見つめている。


 それが何故か、不気味に見えた。


「ミケに……会いたいんです。何か、連絡を取る方法はないんですか?」


「ご主人様は現在、不在にしております。また後日ご訪問ください」


 タマは全く変わらぬ抑揚で、同じ言葉を繰り返す。

 アゼルの背筋をぞくりと怖気が走った。


「タマ」


「はい」


 呼びかければ、応える。


「ミケがどこにいるのか、タマは知っているのですか?」


「ご主人様は現在、不在にしております」


 言葉は飽くまで礼儀正しく、淀みない。


「以前……私に、お菓子を出してくれました、よね……?」


「申し訳ありません」


 タマは美しく、礼をして見せた。

 アゼルが教わったのと全く同じ、優雅な動作で。


「本日はご主人様が不在の為、応対しかねます。また後日ご訪問ください」


 彼女は、自分とは全く違う。


 決まった反応を返すだけの『人形』なのだと、アゼルはようやく気が付いた。

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