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六話 『仮想世界』サーキュラー・コンスタント-1

 縛られ吊された状態でしくしくと嗚咽を漏らす、肥満体の少年。

 その隣で煙草を吹かし、紫煙を吐き出すバルクホルン。


「いつまでもメソメソしてんじゃねえよ、男だろ」


 チーターを捕らえたという知らせを聞いて駆けつけたクラフトたちが見たのは、そんな光景だった。


「一体何があったんだ……」


 あまり知りたくない気がした。


「別に大したことはしてねえよ」


 剣も槍も通じぬチートの防護はその性能を遺憾なく発揮し、剣を防いでくれた。

 剣というか、槍というか、破城槌というか。

 ともかく、その破城槌に門を破られる事はなかった。


 だが心についた傷までは如何ともしがたい。


「おう、シル。取り返したぞ」


 バルクホルンはシルウェスの剣をひょいと投げ渡した。

 シグルドをあっさり見つけることが出来たのは、この剣のおかげだ。

 バルクホルンは自分の作品は全て追跡できるよう、仕掛けを施していた。


「それは、俺の……」


「お前のじゃねえだろ」


 バルクホルンの拳が容赦なくシグルドの顔面を打ち据える。

 痛みはないが、巨人の拳が唸るその迫力に、彼はひっと悲鳴を上げた。


「っていうかさ」


 ミケーネはそんな少年をマジマジと見つめながら、言った。


「誰、これ」


 縛られ吊されているのは、シグルドとは似ても似つかないでっぷりと太った少年だった。

 背は低く小柄なミケーネと同じくらい、そのくせ体重は百キロはありそうな体躯。

 年齢も明らかに若い。少なくとも、十代なのは間違いないように見えた。


「これがシグルドとか言う奴の原型だ。つっても……別に義体使ってたわけじゃないがな」


 バルクホルンの言葉に、シグルドの嗚咽は更に大きくなった。


「ああ、幻体だったのか。なるほど」


「げんたい?」


 納得するクラフトに、アゼルは首を傾げる。


「義体というのは要するに、五感全ての情報を作り上げた身体の事だ。視覚情報……見た目は当然のこととして、触った感覚や音、匂い、味も作らねばならない。まあ、味覚は省略される事が多いが」


 言われてすぐ、アゼルは自分の手の平をぺろりと舐めた。


「……味、しないです」


「そりゃ清潔にしてるからな。でも、設定してないわけじゃないぞ」


「そうなんですか」


 ちょっとだけがっかりした様子で、アゼル。

 自分を舐めれば美味しい味が常に楽しめると思ったのかもしれない。


「まあともかく、幻体というのはその中で視覚情報だけを設定したものだな。素人でも簡単に作れる代わりに、見せかけだけだ。アゼルが気持ち悪いと言ったのも恐らくそのせいだろう」


 触れれば偽物だとすぐにわかる。

 触れた感触と見た目が違うというのは、さぞかし気味の悪いものだっただろう。


「……ほんとだ。確かに今日は、気持ち悪くないです!」


 そっとシグルドに指先で触れてみて、アゼルは返ってきた感触に嬉しそうに声をあげた。


「……嫌味かよ」


 唸る様に、シグルドは低く呟く。


「いやみ?」


 アゼルとクラフトは同時に首を傾げた。


「この身体のどこが、気持ち悪くないっていうんだよ!」


 アゼルを睨み付け、シグルドは叫ぶ。


「どいつもこいつも簡単に痩せろだの運動しろだの言いやがって、体質的に痩せられない人間がいるって事を全然わかってないんだ。そうやって俺を見下して蔑んで、さぞ気持ちいいだろうな」


「別に、気持ち悪くないですよ?」


 彼は何を言っているんだろうか。

 アゼルは純粋な瞳でじっとシグルドを見つめた。


「口だけなら、何とでもいえる」


 シグルドは気まずげに視線を逸らす。

 アゼルが心の底から言っているのは、何となくわかった。


 しかし捻くれねじまがった心は、それを受け入れない。


「……そこまで言うなら、解説してやる。バルクホルン、こいつの幻体を戻してくれ」


 深々と溜め息をつき、クラフトは言った。


「はいよ」


 バルクホルンは手早く魔法を組み立て、剥ぎ取ったシグルドの幻体を元に戻す。そしてついでに彼の身体を抱えると、部屋の中央に立たせた。


「な、何をする気だよ……」


 この上更に酷いことをされるのかと、シグルドは怯えた声をあげる。


「髪の作り込みが甘すぎる」


 そんな彼に、クラフトはびしりと指を突き付けた。


「は?」


「一本一本を独立させていないからまるでワックスで固めたみたいに揺れて不自然だ」


「はあ……?」


 目を瞬かせるシグルドに、クラフトは更に指摘を続ける。


「顔の構造がおかしい。人間はそんなに顎が尖っていない。目も大きすぎる。産毛も多少は生やさなければかえって不自然だ」


「あの、何を」


「耳の付いている位置も間違っている。そもそも頭の構造が頭蓋骨を考慮したつくりになっていない。手足は細すぎる。鎖骨がない。というか骨がそもそもない! 作らないにしたって骨格を意識していないモデルなど不自然極まりないだろうが!」


 どんどん熱の籠っていくクラフトの声に、シグルドは身を竦ませた。


「ボーンは入っているが、実際の骨を無視しすぎだ! 大体、筋肉の付き方もおかしいだろうが! しかも動きに全く連動してない、そんな筋肉ならつけない方がマシだ! そもそも身体が全体的に細すぎるだろう! そんな体で、その身長を支え切れるとでも思ってるのか!?」


「ご、ごめんなさい」


 シグルドは謝った。何故かはわからないが、とにかく謝った。

 クラフトはふんと鼻を鳴らし、幻体を乱暴に剥ぎ取る。


「見ろ、お前の身体を」


 そして改めて、彼の身体を指差した。


「足が幻体よりも何倍も太いだろう。これはお前の重い体重を支える為に太くなったんだ。腹回り。ここについた肉は、お前が飢えた時の為の予備タンクだ。内臓はぎゅっと縮こまってそこに収まっている。骨は常にお前を支え、その上に筋肉が絡み付き、血肉が流れ、肌を持って表面を成している。見ろ、この健康的なピンク色の肌を。この自然な色を自力で作ろうと思ったら、どれだけ苦労すると思っている」


 アバターもまた、表層をなぞり計測したものに過ぎない。

 しかしその実体は飽くまで現実の肉体だ。

 どのような肉体であれ、それはクラフトが追い求め続けほぼ近い所まで近づきながら。


 ――しかし、けして到達できぬ場所にある。


「お前の肉体は確かにみっともない。だがな」


 それはお為ごかしや慰めなどではない。


「現実に美しくない肉体など、存在しない」


 彼の超一流の職人としての熱意を込めた、魂からの言葉だった。


「……わかったよ」


 シグルドは拗ねたように言った。


「とにかく、チートは今後使わなきゃいいんだろ」


「使ったら今度こそお楽しみだな」


 ニヤニヤと笑みを浮かべるバルクホルンに、シグルドは顔をしかめる。


「わかったから、さっさとこれ解いてくれよ」


 どうやら十分反省したようだ。

 そう見て取り、紐を外そうとするバルクホルンの腕を、シルウェスが制止した。


「体質的に痩せられない、と言った」


 彼女は猫の子でも持つかのようにシグルドの巨体を持ち上げると、その顔を真っ直ぐ見据えた。


「一日八時間、毎日二百キロ歩いて痩せない人間はいない」


 CC内での運動は、現実世界においてもある程度有効だ。

 五感にダイレクトにフィードバックされる感覚は十分に筋肉を刺激し、カロリーを消費する。勿論現実で同じだけ歩いた方が効果は高いが、シルウェスが提示したその運動量は、現実で人間が出来得る範囲をかなり逸脱している。


「えっ」


 シグルドは慌てて周りを見回したが、誰も彼と目を合わせようとしなかった。アゼルまでもが気まずげに視線を逸らしている。


「えっ?」






「しぬ……しぬ……」


「そう簡単に人は死なない」


 まるでゾンビの様によろよろと歩くシグルドを、シルウェスは容赦なく蹴飛ばした。

 転んでしまわない程度に調節された蹴りに押され、シグルドはぎこちない動きで歩を進めた。


「昨日まで、一日百キロ程度移動してたでしょう」


「あれ、は……チート……使って、たから」


 無限の体力と筋力を付与された状態であれば、こんな苦労は要らなかった。

 山をぴょんと飛び越え、大地を蹴れば風より速く走る事が出来る。

 そんな状態でさえあまり長く移動するのは億劫で、数分走ればそれで移動はおしまい、といった風情だった。


 それでも、シグルドは何とか歩く。

 何故そんなに頑張っているのかは、自分でもいまいちわからなかった。

 とにかく前を歩くシルウェスに置いて行かれないように、見捨てられない様に、その背だけを見つめながら足を動かす。


「……?」


 その背中が、不意に止まった。


「どうした……ん、ですか……?」


 朦朧とした意識で、シグルドは尋ねる。

 一度止まれば二度と歩けない気がして、尋ねつつも彼はシルウェスの横をふらふらと歩を進めた。


 その額がゴンと何かにぶつかって、彼は地面に尻もちをつく。


「なん、だ……?」


「嘘」


 シルウェスの声が、震えていた。


 白い壁が、そこに聳え立っていた。シルウェスは腕を伸ばし、それに触れる。

 彼女の腕が壁に埋まり、消えた。


 引き抜かれた腕は、肘の先辺りから消失していた。

 それを見て、シグルドは目を見開く。


 改めて壁に視線を向ければ、それは白くも黒くもなかった。

 何もない。『何もない』だけが、ある。


 それに気づいた瞬間、シグルドの肌は粟立った。




 世界の終わりが、そこにあった。

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