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一話 『人形師』クラフト-3

 常ならば賑やかな食堂の中は、しんと静まりかえっていた。

 と言っても客がいないわけではない。

 いつも通り……いや、いつも以上に多くの客で席は埋まっている。


「これが、美味しいって事なんですね!」


 その中心でニコニコしながら、アゼルは皿を重ねた。

 口元と、買ってもらったばかりの服の胸元を盛大に汚しながら食事をとる彼女の横には、器で出来た塔が聳え立っている。

 そんな彼女に客たちの視線は集中しているが、彼女は気付く様子もなかった。


「アゼル……そろそろ、そのくらいにしておかないか?」


「なぜですか?」


 悲しげに眼を瞬かせるアゼルに、クラフトは言葉に詰まった。


 仮想世界CCに、不味い飯屋は存在しない。

 何故なら、この世界において食事というのは純然たる嗜好品であり、娯楽の一種に過ぎないからだ。生命を維持する為の食事というのは必要なく、どれだけ食べても太る事もない。


 だが、満腹感自体はあった。人間の脳は無限の円周率の中から『満腹になった自分』の情報を探し出し、掬い上げ、『発見』する。それによって半ば自己暗示的に、満腹感を得るのだ。それは満足感と言い換えてもいい。


 だが、アゼルにはそれがない。人間の感じる満腹感は飽くまで現実のそれを模倣しているもの。そもそも実体を持たないアゼルはそれを知らず、知らない物は発見できない。それが、CCの理だった。


 クラフトがそれに気づいた時には、アゼルは食事というものをすっかり気に入ってしまっていた。目の覚めるような美女が、まるで童女のようなしぐさで口元を汚しながら、信じられない量の食事を口に入れていく。


 その凄まじい光景を、他の客は声もなくただただ唖然と眺めるのみであった。


 クラフトはクラフトで、それを止める事も出来ず、同じように眺める事しかできない。

 止めるための明確な理由を持たないからだ。

 身体を持った人間であれば、あまりにも多すぎる過食は現実世界での感覚に影響する、とは言われている。しかし、アゼルにはそれがない。


 金銭的理由も、ふらりと寄った大衆食堂では例え在庫を尽きさせようと彼には問題となる程の額ではなかった。


 CC内で流通している貨幣は、現実と共通のものだ。CCで見つけたり作ったりしたデータは、現実の通貨で売買することが出来る。何せ、『作るのに膨大なコストがかかる』という理由で制作が頓挫した仮想現実データである。


 CCから掬い上げられた数々の情報はありとあらゆる分野で必要とされ、利用されている。クラフトほどの腕の職人になれば、それなりの作品を一つ仕上るだけで数年食うに困らない程度の金額を得る事も出来た。


 健康的にも、金銭的にも、アゼルを止める理由はない。

 理由なく止めようとすれば悲しげに眉を寄せるアゼルの愛らしさに、思わず幾らでも食えと言ってしまう始末だった。


 これでは、いけない。


「アゼル」


 クラフトは決意を込めて、愛娘の名を呼んだ。


「はい?」


 心底幸せそうにパンを食んでいた手を止めて、アゼルはクラフトを見つめる。

 しかしその視線はちらちらと皿へと向けられ、食事の続きを気にしているのは明白だ。

 その愛らしさに、クラフトは存分に怯む。

 しかし、心を鬼にして言わなければならない。


「…………これとは別の、美味い物を食わせてくれる所がある。そこに行かないか」


 鬼は大甘だった。


「行きます!」


 まだ食うのかよ。


 間髪入れず答えるアゼルに、他の客たちは内心で突っ込む。

 仕込みの量の心配ばかりをしていた店主だけが、胸を撫で下ろした。






「アゼル、少し離れていろ」


 街の外。

 クラフトは小さな馬の置物を取り出して地面に置くと、アゼルに手で合図した。ぴょんと一跳び、十メートル程遠ざかるアゼルに多少呆れながらもクラフトは魔法を展開させる。


「スレイ」


 名を呼ぶクラフトに返事をするように置物は一声いななくと、あっという間に巨大な八本足の馬になった。スレイもまた、彼が作り上げた人形の一つだ。


「大きいですね」


 スレイを見上げ、アゼルは目を丸くした。

 昨日彼女が倒したドラゴンより少し小さい程度の大きさだ。


「背中に乗ってくれ」


「はい」


 アゼルは助走もなしに跳躍すると、軽々とスレイの背中に着地した。

 クラフトも浮遊の魔術を起動し、後を追う。


 スレイの背中は長い鬣が一列に生えていて、フカフカしている。

 まるで純白の葦が生える草原のようだった。


「毛を身体に結んでおけ」


 それを束ねて己の身体に結んで見せながら、クラフトはアゼルに指示する。

 彼を真似てアゼルが毛を巻き付けるのを確認し、クラフトはスレイの背を軽く二度叩いた。


 行け、という合図に、スレイは風の様に走り出す。

 あっという間に後ろに流れていく景色に、アゼルはきゃあきゃあと喜びの声をあげた。


「クラフト! すごいです、歩いてないのに動いてる!」


 しかしそれは、自分の力以外で動くという事に対してであって、速度にではなかった。

 速さだけなら、アゼルの方が速く走れるからだ。


 それを感じ取って、スレイは発奮した。言葉こそ喋る機能は与えていないが、彼はある程度の言葉くらいは理解できる。四対八つの蹄を轟かせて飛ぶように走り、幾つもの丘を、森を、あっという間に駆け抜けていく。


「すごーい!」


 初めて目にする大自然が、アゼルの視界一杯に広がった。


 青く青く続く空と、緑に覆われた大地。

 その境目は、一直線に引かれていた。


 CCは無限に広がる円周率を可視化した世界だ。

 故にその大地もまた、球を描くことなくひたすら無限に広がっていく。


 その余りにも雄大な光景に、アゼルは瞳を輝かせ、胸を高鳴らせる。

 こんなにも広く美しい世界で、生きていくのだ。

 彼女は歓びに満ち、感動に身体を打ち震わせた。




 十分後。


「凄く楽しかったです! ありがとうございます、スレイ、クラフト!」


「そりゃ……良かったな……」


 ぐったりしながら、クラフトはそう答えた。

 彼の身体は、時速三百キロを超える速度で走る巨大な馬に揺さぶられても平気なようには出来ていない。


「はい!」


 しかし満面の笑みで頷くアゼルの顔を見れば、クラフトはそれも良いかと思ってしまう。


「ところで、ここになにがあるんですか?」


 アゼルは周りを見回しながらそう尋ねた。辺りにはただただ丘が広がるばかりで、クラフトが言ったような美味しいものを食べさせてくれそうな場所は見あたらない。


「行き先はこの先だ」


 クラフトの指し示すまま、アゼルは地面に視線を落とした。


「ここからずっと下にいる」


「誰がですか?」


 首を傾げる愛娘に父は微笑みかけ、言った。


「お前の母親だよ」

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