五話 『鍛冶師』バルクホルン-8
「何も」
部屋に入るなり、シルウェスは機先を制して言った。
「何も、なかった」
「お、おう……」
今にも斬り殺さんばかりの気迫を見せる彼女に、バルクホルン以下、原点たち数名はただ頷くしかない。
「まあわたしは知ってたけどね」
『仕立て屋』ジーナがそう言った途端睨まれて、首をひっこめた。
「ごめんなさい」
そして、シルウェスは改まった様子でバルクホルンに頭を下げる。
「剣、なくした」
アバターは死ねば無に帰すが、その所持品はそうではない。
しかし殺された場所に行って取り戻せる可能性は低かった。
恐らくはシグルドが拾っていってしまっただろう。
原点の作品は高値で売れる。見過ごして行かれるとは思えない。
「いや、そいつは別に構わねえけどよ」
譲ったり貸したりしたものであればともかく、対価を貰って作ったものだ。
その後どうなろうと口を差し挟むものではない。が……
「あの剣を持ったアンタを殺したって、どんな化け物だ?」
世界最強と名高い冒険者に、世界最高の鍛冶師が作った剣だ。
むしろそちらに関心があった。
「チーターよ」
その答えは、思わぬ方向から与えられた。
工房の入り口に立ち、そう言いはなったのはミケーネだった。
シルウェスとは違い、彼女は自分で戻したのかいつも通りの三色頭だ。
「チーター?」
その場にいる殆どの者が、首を傾げた。
「あのヒョウに似てる……」
「違う。そっちじゃない」
ぱっと表情を輝かせるアゼルの言葉を、ミケーネは即座に否定した。
「Cheetahじゃなくて、Cheater。外部からデータを直接改竄してる人間の事」
CCにいるものは、ゲームを殆どしたことがないというものも多い。
特に、原点などと呼ばれるような古参たちはその傾向が顕著だった。
もともとCCがVRMMOではなく、仮想現実データの生成機として広まったせいだ。
この中でゲームに通じているものはミケーネしかおらず、誰もがピンとこないようだった。
「簡単に言えば、ズルをしてるの」
「魔術とはどう違うんですか?」
アゼルの素朴な問いは、同時にクラフトたち全員の疑問だった。
「チートなら魔術じゃ出来ないことも出来る。構造を全く変えずにただ硬さや強さみたいな性質を変えたり……一番顕著なのは、CC内でのデータの複製ね」
「それは、不味いな」
ようやく事態を飲み込んで、原点たちは顔色を変えた。
「そうなんですか?」
アゼルだけは、まだいまいち飲み込んでいない。
「最悪、経済のバランスが滅茶苦茶になるな」
深刻な声色で、クラフトは眉根を寄せた。
CC内でのデータの複製禁止。
それは誰かが定めた事ではなく、CCが円周率であるが故の自然な決まり事だ。
CC内で単純に複製する事は勿論、CC内からデータを取り出す事は出来ても、外部から入れる事もまた不可能。
魔法や魔術をもってしても変えられない、絶対的な法則だ。
しかしその法則を前提にして、CC内での経済は成り立っている。
当然のことだ。職人たちが作るデータを幾らでも簡単にコピー出来たら、その価値は殆どゼロになってしまう。
一つ一つ作る手間があるからこそ、金を払ってでもそれを得ようと思うのだ。
「しかし、どう止める? 力づくというわけにもいかないだろう」
「物理的な攻撃は無効。恐らく膂力もかなり強い」
シグルドには、大鬼の関節のような弱点はない。
なぜならアバターは、厳密にはこの世界の生き物ではないからだ。
生き物であれば、動くのに筋肉がいる。臓器がいる。骨や血肉がいる。
殆ど現実の動物と同じだ。
しかし、アバターはそうではない。
表層の情報を本体から読み出し、表示しているに過ぎないから、本来なら内臓どころか関節などというもの自体必要ない。ただ刻一刻と形を変えているだけだ。
「あと多分……最後のアレ。時間止めるくらいの事はされたんじゃないかな」
「時間を?」
あっさりと言い放つミケーネに、クラフトたちのみならず、シルウェスまでもが目を見開いた。
「理屈の上では出来るっていうのは、知ってたんだけどね。目の前で情報を爆発させることで、それを現実の肉体に伝達するのに時間がかかって、こちらのあたしたちには時間が止まったように思える、っていうアレ」
「ああ、要するにラグですね」
『仕立て屋』がぽんと手を叩き、その言葉にシルウェスとクラフトは納得したが、他の面々は首を傾げるばかりだ。
要するに、チーターの能力というのはこういう事だ。
無限の攻撃力と防御力を持ち、あらゆるものを複製する事が出来、疑似的にだが時間を止められる。
「なんだ、それだけか?」
文字通りチートであるというしかないその能力に誰もが沈黙する中、バルクホルンは首を傾げた。
「それだけなら、なんとでもなると思うがな」




