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五話 『鍛冶師』バルクホルン-6

「ああ、なるほどね。これは気付けないわ」


 どうどうと音を立てて流れる滝。

 それを眺めながら、ミケーネは感心しきったように大きくため息をついた。


 滝の裏側にぽっかりと洞窟が開いている。

 ふもとの村では有名な場所らしいが、ちょっと傍を通ったくらいでは絶対に気付けない。


 にも拘らず、シルウェスは実に不満げだった。


「変な所で完璧主義っていうか、意地っ張りだよねえ」


「煩い」


 憮然とする――と言っても表情の変化は殆どないのだが――相棒をからかいつつ、ミケーネは洞窟に足を踏み入れる。


「釣れると思う?」


「……」


 手の平に明かりを浮かべながら問うても、シルウェスは答えなかった。

 どうやら本格的に拗ねてしまったらしい。


「とりあえず依頼を済ませますか」


 ミケーネは入り口の様子から、洞窟はそれほど深くないだろうと予測する。

 小さく幼い、可愛らしい洞穴だ。


「うーん、実に開発したくなる洞窟ね」


「やめて」


 うんざりした声色で、シルウェス。

 幾らなんでも、滝の裏に石畳とレンガで舗装された迷宮というのは怪しすぎる。

 そんな事をすれば目標が食いつかなくなる。


「冗談だって」


 そう言いつつも、ミケーネはうずうずするのを抑えきれない。


「あー、あれかな?」


 歩く事十分ほど。

 さほど深くもないところに、キノコが群生している場所があった。


「んーっと……うん、間違いないっぽいね」


 キノコの傍に屈みこみ、ふもとの村で渡された情報と照らし合わせて種類に間違いないことを確認する。こうしたクエストというのはなかなか新鮮で、ミケーネはここへとやってきた目的を半ば忘れて採取を始めた。


 ぷちぷちとキノコをむしりつつ、持ってきた籠にどんどん入れていく。


「依頼の量に余ったら、アゼルにキノコ鍋でも振る舞うのもいいかもねー」


 鍋には少し遅い季節ではあるが、美味しいものには変わりない。


「ねえ、アンタもちょっとは手伝って……」


 傍らに立ち尽くすシルウェスを見上げてミケーネが言った時、その眼前に靴底が迫っていた。


「ふぎゃん!」


 蹴られて地面を転がるミケーネ。

 一瞬前まで彼女がいた所を、大きな斧が切り裂いた。


「もうちょっと丁寧に扱ってよ!」


 涙目で訴えるミケーネを無視してシルウェスは剣を引き抜く。

 彼女に相対するのは牛の頭に筋骨隆々の人の身体を持った巨人であった。


「ミノタウロス……! なんでこんな所に!?」


 ミケーネは目を見開いて叫んだ。

 ちなみに、『ミノタウロス』は商標登録されていない。


 唸りをあげて頭上を薙ぐ斧の一撃をかわしながら、身を低くしてシルウェスは剣を振るう。ミノタウロスの脛を浅く切ったその一撃は、甲高い音を立てて弾かれた。彼女は声には出さず、ビンゴ、と内心で呟く。


「効かない」


 もう二、三度斬りつけて、シルウェスはわざとらしく舌打ちをした。

 どうにも彼女にはこういう腹芸は向いていない。


「嘘でしょ……!? シルの剣が通じないなんて」


 一方ミケーネは、とても演技だとは思えないような悲壮な声で叫んだ。

 彼女は役者としてでも食っていけるのではないだろうか。

 シルウェスはそんな事を思う。


 ミノタウロスの斧をひらひらとよけながら、しかしシルウェスは徐々に追いつめられていく。その背が、どんと壁にぶつかった。


「しまった」


 ちらりと背中を一瞥し、呟くシルウェスに向かってミノタウロスの斧が振り下ろされる。


「……大丈夫? お嬢さんたち」


 爽やかな声とともに、斧の刃が地面に落ちる派手な音が響き渡った。

 金の髪を持つ男が、その剣で切り落としたのだ。


 ミノタウロスは柄だけになった斧を放り投げ、その丸太のような腕で男に掴みかかろうとする。


「失せな、化け物――」


 左手の平を相手に向け、右手に持った剣を頭の上で掲げる奇怪な構え。

 そこから繰り出した凡庸な一撃は、しかしミノタウロスを一刀のもとに両断した。


「危なかったね」


 血糊を払うように剣を一振りし、鞘に収めてシグルドは振り返る。


「なんで……」


「ああ、たまたま君達と同じ依頼を受けたんだ。邪魔する気はなかったんだが――」


「なんでただの洞窟にミノタウロスなんて出すのよーっ!」


 ミケーネの絶叫と共に壁がぐにゃりと歪み、拳骨を固めた腕の様な形に突き出すとシグルドを思い切り打ち据えた。


「ふざけないでよ! ミノタウロスってのはね、その出自からして迷宮(ラビュリントス)にいる事を義務付けられているような怪物なのよ! それを、こんな分岐どころか曲がり角すらない場所に出すとはどういう了見なのよ!」


「……何言ってんだ、こいつ」


 シルウェスとしては呆然と呟くシグルドの意見には大いに同意したい所であったが、それどころではなかった。死なない程度に加減はしたのだろうが、ミケーネの罠の直撃を受けて無傷というのはどう考えてもまずい。


 大鬼のような表面だけを硬くした構造であるなら、打撃は通じるはずなのだ。


「あなたに聞きたい事がある」


 シルウェスはひとまずいつもの様にミケーネを無視して、男に問うた。


「さっきのミノタウロスはあなたが用意したもの。間違いない?」


「……なんだ。バレてんのか。なんなの、お前ら」


 その途端、シグルドの口調ががらりと変わった。

 どこか子供じみた粗野な口調は、先程までの歯の浮くような気障なそれよりはよほど似合っている。


「聞いてるのはこちら」


「教える義理はないね」


 鋭い視線を向けるシルウェスに、シグルドは吐き捨てるように答える。


「折角助けてやったのに」


「マッチポンプでしょ、恩着せがましいなあ。そうやって英雄にでもなったつもりなの?」


「うるせえな、どけよ」


 苛立った声で言い、洞窟を出て行こうとするシグルドに対してシルウェスは無言で剣を構える。


「ふうん。そっちがその気なら、いいよ」


 シグルドは剣を抜いて、無造作に振った。

 さっきの動きを見てもすぐにわかる。武術を学んだ経験はないし、仮想世界での最適化もされてない、ただの素人丸出しの動きだ。

 その速度はアゼルや葵と比べるまでもなく、あくびが出るほどに遅い。


 だが、彼の自信満々な態度に、嫌な予感がした。


 シルウェスはその一撃を、大きく身体を開いてかわす。

 剣の切っ先が触れた地面が深く裂け、洞窟の中に谷間を作り出した。

 凄まじい威力、というのも馬鹿馬鹿しいほどだ。

 彼の持つ剣の切れ味がどんなに良かろうが、その膂力がどれだけ凄まじいものだろうが、尋常の攻撃であればこんな事にはならない。


 反撃に移るシルウェスの攻撃を、シグルドは避けようとも受けようともしない。

 容赦なく腕の継ぎ目に放たれた一撃をそのまま受けて、シグルドは薄く嫌な笑みを浮かべた。


「無駄だよ」


 ぶんと振られる剣を、シルウェスは横に飛んで躱す。

 流れる髪の先がぴっと音を立てて千切れ飛び、彼女は柳眉を逆立てた。


 ――よくも、この身体を傷つけたな。


「うわ」


 ミケーネが彼女の表情を見て、思わず声をあげた。

 パッと見にはいつもとさして変わらない、心持ち眉が顰められた程度の表情。


 しかし付き合いの長い彼女にはわかる。それは、シルウェスが激怒した時の顔だった。


 目に見えない程の速度で、無数の斬撃が放たれる。

 心臓、手首、首、目、口内、股間、体中の間接という間接。


 常人であれば百回は優に死んでいるであろう攻撃を受け、しかしシグルドはけろりとした表情で身じろぎさえしない。


「無駄だっていったろ?」


 薄く笑みを張り付けて、シグルドは無造作に一歩踏み出す。

 その爪先から放射状にヒビが広がり、洞窟を覆った。


「お前たちとは格が違うんだよ」


 そう言い放ち、シグルドは剣をぐっと横に構えた。


 有効な手段だった。

 彼の剣はどういう原理か、刃が届いてない部分まで切れる。

 真横に振られれば、かわすには伏せるか跳ぶかしかない。

 いずれにせよ二連撃が来れば避けきれない。


「死ね」


 『ね』と発音した瞬間、シグルドは突然足元にできた穴に向かって自由落下した。


「やだよーだ」


 その穴に向かって、ミケーネは舌を出す。


「助かった」


「何、アンタがお礼言うなんて。明日は槍でも降るの?」


 素直に胸を撫で下ろすシルウェスに、ミケーネはケラケラと笑った。

 シルウェスが時間を稼いでいる間に、この洞窟を自身の迷宮へと大急ぎで改造したのだ。


「さて、ちょうど滝も流れてる事だし、水攻めでも……」


 ミケーネの言葉が、不自然に途中で途切れた。


 そちらを向こうとしたシルウェスの胸が、ずきりと痛む。


「……え?」


 視線を向けると、彼女の胸元からは赤くぬらりと輝く刃が突き出している。


 伏兵? 馬鹿な。気配は全くしなかった。

 かといってシグルドが穴から抜け出してきたというのもおかしい。

 そもそも何で攻撃に気付かなかった?


 一瞬の間に怒涛の様に思考が流れ、言葉の代わりにごぼりと口元から血が吐き出される。


 ぐらりと倒れる視界の先に、同じように倒れているミケーネの姿が映った。


 一体何が起こったのか。


 何もわからぬまま、シルウェスの視界は暗転した。

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