五話 『鍛冶師』バルクホルン-5
「『勇者』ぁ?」
ミケーネは素っ頓狂な声で、聞いた言葉を繰り返した。
「はい。何でもそう呼ばれてるんだとか」
「何の職人?」
「何なんでしょうねえ」
冷静に問い返すシルウェスに、ライカは苦笑した。
アゼルが会ったという、シグルドという男。
彼の情報を調べて出てきたのは、そんな二つ名だった。
職人以外に二つ名がつく事も、ないわけではない。
ライカの『斡旋屋』もそうだし、シルウェスの『世界最強』だとかもそうだ。
『剣士』であれば、もっとも剣の扱いが上手いと知れる。
『冒険者』はもっとも広い範囲を旅したものへの栄誉だ。
しかし、『勇者』とは。
字句通りにもっとも勇気あるものの称号だとすれば、果たして誰がそれを証明するのか。
CCに慣れたものにしてみれば、何とも不思議な称号であった。
「とは言え、評判自体は悪くないんですよねー」
そう言ってライカは紙束を取り出す。
「評判って?」
「何でも、この勇者様に助けられたって人は多いらしくて」
それは彼女が集めた、シグルドに関する調査結果だ。
ミケーネとシルウェスが半分ずつ受け取ってパラパラとめくると、どこで誰が目にしただとかいう目撃情報や、怪物に襲われた所を助けられたなどという報告が仔細に纏められていた。
まだ二日しか経っていないのに、メールも電話もないこの世界でよくもまあこれだけの情報をかき集めたものだ、とミケーネは感心する。
「助けられたと言えば、アゼルも一応助けられた形になるのかぁ」
「はい。いわゆる正義の味方RPって言うんですかね。まあ、そう言う人は少なくはないですけど」
CCはゲームではない為、所謂デスペナルティというものは存在しない。
だが死んでしまう事によって失われるものが何もないかと言えば、そうでもない。
大抵の場合身に着けていたものや所持品などは失われてしまうし、アバターに手を加えているものなら作り直さなければならない。
そもそも死ぬこと自体、あまり好ましい事ではない。
痛みは少ないがないわけではないし、良い気分ではない。
死ぬこと自体に慣れてしまうのでは、という危惧だってある。
ゆえに命の危機を助けられれば現実程ではないにせよ感謝されるし、そうして救う事を趣味とする人間も少なくなかった。
「……怪物ばかり」
ぺらぺらと報告書を捲りながら、シルウェスはぼそりと呟いた。
「うん?」
「山賊に襲われた例は?」
「そう言えば、あんまりないですね」
CC内にも、法律はある。
そしてそれは同時に、無法者も存在するという事を意味していた。
シルウェスの様に転移の魔術を使えるものは多くない。
使用者が転移先の正確な座標を把握していなければならないし、使えてもあまり大きな荷物は運べない。ゆえにCC世界の流通の殆どは、昔ながらの馬車に頼っていた。
そうして街道を行けば、当然のことながらそれを襲うものもいる。
そんな山賊たちに出会う可能性は危険な野生生物に出会うより格段に高かった。
考えてみれば単純な事だ。
新しい怪物を『発見』する為には、基本的に新しい場所へと赴かなければならない。
それに対して山賊たちはどこにでも現れる。
未踏破地域を進む冒険者ならまだしも、一般人がどちらに出会う可能性が高いかなど考えるまでもない。
「配置もなんか変ねー」
「配置……ですか?」
「なーんか、ここにこんなのいるわけないでしょってのが多い気がする」
ぺらぺらと紙束を捲りながらぼやくミケーネに、ライカは首をひねる。
「そうはいっても、どこに何が出てくるかなんてわからないのがこの世界だと思いますが」
「いや、そんな事はないよ」
ミケーネはきっぱりと断言した。
「外だの街だのは知らないけどね。地下迷宮……と呼べるのはあたしのトコくらいしかないけど、まあただの洞窟や鍾乳洞でも同じ事。壁に囲まれて限定された空間で人が見るものなんて大差ないのよ」
「そういうもの……なんですか?」
「ダンジョンに関してだけは、間違いない」
半信半疑といった様子のライカに、シルウェスがそう請け負う。
「迷宮の壁っていうのはね、行き先だけを制限してるものじゃないの。むしろ思考を誘導する為にあるんだよ。トラップが仕掛けられていなくても、迷宮はそれ自体が」
「煩い」
嬉しそうに語りだすミケーネの座る椅子を、シルウェスは彼女ごと蹴り倒した。
「いずれにせよ、この現象とシグルドという男は多分無関係ではない」
派手な音を立てて地面に転がるミケーネを一瞥すらせず、シルウェスはそう言う。
「え、だ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫なわけあるかー!」
「一番手っ取り早いのは、見つけ出して捕え、直接問いただす事」
両手を振り上げて掴みかかるミケーネを片手でいなしながら、シルウェスは淡々と述べて地図を広げた。シグルドが目撃された範囲だけをちょうど描いたかのような地図だ。
「こんな地図、よく都合よく持ってましたね」
「さっき描いた」
「は?」
さらりと言い放つシルウェスに、ライカは目を剥く。
「こいつ、今まで歩いたところは全部頭の中に入ってるんだってさ」
かなり本気で殴りかかったのにシルウェスに触れる事さえ出来ず、ぜえはあと息を荒げながらミケーネが椅子に座り直す。
「目撃証言を繋ぐと線になる。転移は使ってない」
シルウェスは地図の上をトン、トンと指で突いた。
突いた部分に光が灯り、互いに線で結ばれて軌跡を作る。
「速度はおよそ一定。二日前にニゲルランケアにいたから、今この範囲にいる」
くるりと回した指先が、地図の上に輝く輪を描き出した。
「意外と狭いですね……」
範囲は半径百キロメートル程。
普通の冒険者なら、二日で歩く距離としては妥当な長さだ。
だが、あまりめぼしい場所はない。
「うーん……ねえ、これさあ」
地図をじっと眺めながら、ミケーネは山間の一点を指差した。
「この辺に洞窟とかあるんじゃない?」
「え、そうなんですか?」
シルウェスの描いた地図には川や山の名前も記載されていたが、洞窟に関しては何も記されていない。ライカが素朴な問いを発すると、シルウェスの眼光が鋭くミケーネを刺した。
「ほら、ここ山と山に囲まれてるから、遠くから見ても気付かないと思うんだよね。で、こういう地形って」
「煩い」
再びの蹴りが、ミケーネの椅子を見舞う。
「悔しいからって暴力に訴えないでよ!」
なす術もなく地面を転がりながら、ミケーネは叫んだ。
「地形を見ただけで予測できるものなんですか?」
「そりゃもちろん、ダンジョンマスターだからね」
半信半疑どころか七割くらい疑いの眼差しで見つめるライカに、ミケーネはぷくりと頬を膨らませた。
「ちょっと待ってください……ええっと……あっ」
店の奥から別の紙束を引っ張り出し、それを数ページめくった所でライカは声をあげる。
「確かに、ここに小さいですけど、洞窟があるみたいです。そこから東に十キロくらいの街……というか、村ですね、これは。ディオケレっていう村から、その洞窟に生えてるキノコの採取依頼が出てます。多分まだ誰も受けてないと思いますけど……」
今度はミケーネたちが、驚く番だった。
「なんで他の……そんな小さな村で出てる依頼まで把握してるの」
「そりゃあ……『斡旋屋』ですから?」
ミケーネの真似をして、ライカは笑った。




