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四話 『青き鎧の戦乙女』葵-8

 訳が分からなかった。

 なぜあんな態度をとってしまったのか。

 自分で自分の行動を制御できないのも、クラフトと一緒に居たくないと思うのも初めてのことだった。


 どこを目指すのかわからぬままに進む坑道は、暗い。

 ミケーネのダンジョンとは大違いだ。

 掲げる光の範囲の外はかえって暗く、闇に沈んでいる。


 背に負うようにしてゆらゆらと揺れる光はアゼルの影を長く伸ばして、闇の軍勢の領域を広げるかのようだった。かといって前に置けばその光に目がつぶれ、何も見えなくなってしまう。ゆらゆら揺れる己の影を見つめながら歩くよりなかった。


 こんな嫌な気持ちになるのは二度目だ。だが、一度目よりもっとひどかった。


 あのときはさんざん歩いて疲れていたし、孤独な気分だった。

 だが今は違う。その寸前まで楽しかったし、孤独でもなかった。

 気分だって、ずっしりと胸に鉛でも詰まったかのように重かったあの時とは違って、むしろふつふつと湯が沸きあがる様に落ち着かなかった。


『美しい』


 クラフトが葵を見つめながらそう口にした瞬間、楽しかった気分は一瞬にして抜け落ちて、アゼルはクラフトを突き飛ばしていた。

 今でもそれを思い起こすだけで心がざわめき、いてもたってもいられないような気分になる。なのに思い出さずにいられず、アゼルは身悶えする。


 それが、いけなかった。


 あっと思ったときには、彼女の身体は吊り下げられていた。

 突然逆さになった視界に驚き、もがけど身体は宙を揺れるばかり。


 何とか身体を起こそうと焦るアゼルの視界に、赤い光が映った。

 闇の中に浮かぶ、二つの光。

 光は瞬く間に増えていって、アゼルの周りをぐるりと取り囲む。


 それが暗闇の中で輝く小鬼たちの目だと気付いた瞬間、アゼルは身体を震わせた。

 浮つき熱を持っていた身体の芯が、見る間に冷えていく。


 小鬼たちよりよほど強い竜にも。

 命を危機を感じたコマとスレイにも。

 全く敵う気がしなかったシルウェスにも。


 こんな思いを抱いた事はなかった。


「クラフトっ!」


 思わずぎゅっと目を瞑り、アゼルの口を突いて出たのは、彼女が誰よりも頼りにしているものの名前だった。


 どんな事態に陥っても恐怖を感じなかったのは、いつもクラフトが傍にいてくれたからだ。アゼルは今更、そんな事に気付く。だが、もう遅かった。

 彼女の声が呼び水になったかのように、小鬼たちがアゼルに向かって殺到する。


 その群れが、真っ二つに裂けた。


「クラフ――」


 ぱっと表情を輝かせて視線を巡らせば、そこに立っていたのはクラフトとは似ても似つかない男だった。


 魔術の光に照らされた金の髪は、長く腰辺りまで伸びている。

 すらりとした長身に長い手足。

 身体の要所要所を守る煌びやかな鎧と美しい剣を持った青年だった。


「大丈夫? お嬢さん」


 彼はその背にアゼルを庇いながら、涼やかな声色でそう尋ねる。


「えと……はい」


 戸惑いつつも、アゼルはこくりと頷いた。


「でたな、デカブツ」


 一刀のもとに斬り捨てられた小鬼たちの群れの後ろから、大鬼がぬうっと姿を現す。シルウェスが相手にしていたのと同じ、異常なほどに巨大な鬼だ。


「秘剣……」


 大鬼に対し男は剣を両手で持つと、奇妙な構えを取った。

 片刃の刃を上にして、右腕を大きく曲げて頭の斜め上に持ち、左手を添える様に柄に置く。


「アロンダイト!」


 そして真っ直ぐ振りかぶられた剣は、大鬼を頭の天辺から足の間までを真っ二つに切り裂いた。


「失せな、化け者共!」


 そして残った小鬼たちを、彼の手の平から迸った雷光が吹き飛ばす。


 彼が戦っている間にアゼルは多少落ち着いて、とりあえず己の脚を捕えているロープを手刀で切り裂いた。猫の様に空中でくるりと身を翻し、アゼルは両手両足で地面に着地する。


「大丈夫?」


 男は剣を鞘に納めると、アゼルに向かって手を差し出した。

 反射的に手を伸ばしてそれに触れ、アゼルは息を飲む。


「どうしたの?」


「だ、大丈夫、です。一人で、たてま、す」


 裏返る声を必死に抑えながら、アゼルは己の手をかきいだくようにして立ち上がった。

 胸がどくどくと脈打ち、汗がにじむ。

 そんな体の反応に、アゼルは戸惑い、狼狽えた。


「俺の名はシグルド。君は?」


「え……と……」


 アゼルは口をパクパクさせる。何故か、声さえまともに出ない。

 そんな彼女に、シグルドは優しく微笑みかけた。


「ここは危険だ。安全な場所まで送るよ」


 そういう彼に、アゼルは首をぶんぶんと横に振る。


「慎み深いんだね、君は」


 言って、シグルドはアゼルの背後を指差す。


「そっちにまっすぐ行って、三つ目の角を右に曲がるんだ。そうすれば、外に出られる」


 そして彼は剣を抜くと、再びアゼルに背を向けた。


「君が出るまでの間、怪物どもはけしてそちらへ行かせないと約束しよう」


 シグルドはそう言い残して、洞窟の奥へと歩を進めていく。


「あ、あの……っ」


 アゼルは勇気を振り絞って、その背に声をかけた。


「ありがとうございました!」


 頭を下げればシグルドは片手を軽く上げて答え、立ち去っていく。

 その背中を、アゼルはぼんやりと見送った。


「アゼル!」


 どれほどそうしていただろうか。

 立ち尽くすアゼルをようやく見つけ、クラフトが走ってくる。


「クラフト……」


「大丈夫か? 怪我はないか?」


 どこか様子のおかしいアゼルに、クラフトは心配そうに尋ねる。


「私……変なんです」


 アゼルは自分の指先に触れながら、呟くように言った。

 先ほどシグルドの手に触れた指先だ。


「その、知らない男の人に、助けられたんですけど……」


 何かを堪える様に俯くアゼルの表情に、クラフトは衝撃を受けた。


 まさか。


「す……」


「待て、アゼル」


 いつかは、そんな時期が彼女にも来るのかもしれない、とは薄々思っていた。


 だが。


「ちょっと覚悟を決めさせてくれ」


 くらくらとする頭を押さえ、よろめくクラフトをアゼルは不思議そうに見つめる。


「……よし。いいぞ」


 大きく深呼吸し、クラフトは執行を待つ死刑囚のような表情で、頷いた。


「なんだか……さっきの人に触れて」


 アゼルは絞り出すように、初めて抱いたその想いを口にする。


「す……




 すごく……きもちわるい、って思ってしまったんです」


「は?」


 泣きそうな顔で言うアゼルに、クラフトはこれ以上ないほど間抜けな声をあげた。

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