三話 『地図師』シルウェス-7
「これ、本当に全部食べていいんですか!?」
「うん」
きらきらと目を輝かせるアゼルに、シルウェスは頷く。
その目の前には、小さなケーキがずらりと並んでいた。
チョコレートで細かな細工が施された物。
ふんだんに添えたフルーツによって彩られた物。
ふんわりとしたムースで覆われた物。
色とりどりの菓子はまるで宝石の様に輝き、アゼルを誘っているかの様であった。
「頂きます」
ダンジョンの中でタマから習った淑女としての嗜みを崩さず、品良くアゼルはケーキにフォークを入れる。まずは、チョコケーキ。細かな細工を崩してしまわない様に気を付けながら、一口サイズに切り分けたそれをパクリと口に含むと、何ともいえない甘みが広がった。
ただ甘いだけではない。濃厚なカカオのコクと、上質な甘さをさらに引き立てる僅かな苦み。
「はふぅ……」
二重にも三重にも折り返す幸福の味に、アゼルは至福の息を吐いた。
「旨いかどうかはきくまでも無さそうだな」
「美味しいです!」
「あー本当これ美味しいわ」
「当然」
クラフトはそれを微笑ましく見やり、ミケーネが横からパクつき、シルウェスは紅茶を飲みながらそう呟く。
冒険者として世界中を飛び回るシルウェスが知っている中で、もっとも美味とされる店だ。当然、作っているのは『菓子職人』の称号を持つ超一流の職人である。
「どれもこれも美味しいです……シルウェスは、本当はいい人だったんですね!」
満面の笑みを浮かべて無邪気にそういうアゼルに、シルウェスはどう反応していいものか悩んだ。
「返す」
彼女がケーキに夢中になっている間に、シルウェスはクラフトに向けて手を伸ばす。
その袖口から白い蛇がするりと顔を出して、クラフトの懐に入り込んだ。
「水を差すような真似をして悪かったな」
「ん……でも、手加減できなかった、から。ごめん」
土人形の中からアゼルが現れ、シルウェスに迫った瞬間。
彼女は勿論、幾らでもアゼルを迎撃できた。
例えば、首を刎ねるとか、心臓を一突きにするとか、頭から真っ二つにするとか。
そうするしか迎撃する手段がなかったし、シルウェスは反射的にそうしようともした。
それを、クラフトの人形が止めたのだ。
手加減すると言っていたのに、出来なかった。それどころか外部から止められた。
これを負けと言わずして何が負けなのか。
「世界最強の看板もこれでおしまいかね?」
「元々名乗った覚えはない」
比較的うちに籠りがちなクラフトやミケーネと違って、シルウェスには二つ名が多い。
『冒険者』『世界最強』『馳せるもの』など。
しかし彼女が対外的に名乗るのは『地図師』だけで、その他は他人が勝手に呼んでいるものだ。
「本気でやって勝った事なんて一度もない」
シルウェスはクラフトを見ながら、少しだけ不満そうにそう言った。
「別に俺が強いわけじゃない」
クラフトは軽く肩をすくめてそう答える。
一対一なら、シルウェスは誰にも負けない。その自負はあった。
だが、クラフトは人形師だ。そもそも一対一の戦いなんて想定していない。
作る人形の一体一体がシルウェスに抗しうる強さを持っていて、それを何体も操ることが出来る。
無数の上質の人形に囲まれれば、シルウェスに勝ち目はない。
「つまりそのクラフトに勝てるあたしが最強ってわけね!」
得意げにそんな事を言うミケーネを、シルウェスは射殺さんばかりの鋭い目で睨んだ。
クラフトの人海戦術も、ミケーネには通用しない。
と言っても勿論それは、彼女の迷宮内というホーム限定での話だ。
狭い迷宮の中では大型の人形は使えず、小型や中型でも一度に戦わせる事の出来る個数は限られる。そして自在に迷宮内を操作できるミケーネであれば、物量に押しつぶされる前にクラフト本人を制圧できる。
「でもお前はシルに勝てないだろ?」
だがそれは、シルウェスに対しては通用しなかった。
「ほら、あたしダンジョンマスターだから。魔王だから。勇者サマにはやられる運命なの。強いとか弱いとか、そんなんじゃないんだよねえ」
要するに、突出した個には弱いという事だ。
ミケーネも魔法で作った魔物を操ることは出来るが、その強さはクラフトが作った人形達とは比べるべくもなく、シルウェスにとってはさしたる障害とはならない。無数の罠も同様だ。
シルウェスはミケーネには負けないが、クラフトには勝てない。
ミケーネは迷宮内であればクラフトに勝てるが、シルウェスには勝てない。
そしてクラフトは、十分な準備をすればシルウェスには勝てるが、ミケーネにはどうしたって勝てない。
つまり彼らは、そんな奇妙な三つ巴を為していた。
「だからさあ」
ミケーネはニヤニヤと笑いながら、一心不乱にケーキを食べているアゼルに目を向ける。
「この子がどこまで強くなるかって考えると、物凄くワクワクするよね」
癪ではあるが、シルウェスは彼女の意見に同意して、頷いた。




