三話 『地図師』シルウェス-6
「まずは、魔術師呪文を使えるようになる事だな」
「はい」
「と言っても難しいことはない。普段使ってる魔術の発動条件を変えてやればいいだけのことだ。ポイントは、誤爆を防ぐ為に……」
「ずるい」
クラフトがアゼルに教えてやっていると、シルウェスが不満げに言葉を漏らす。
「まあいいだろう、ちょっと助言するくらい」
「あ、じゃああたしもあたしも」
するとそこにミケーネまで混ざった。
「……ずるい」
表情にはあまり変化はないが、シルウェスの声色は確実に低く下がる。
「うるさいな、黙ってろよ世界最強。しばらく作戦タイムね!」
そう言ってミケーネはアゼルとクラフトの首に腕を回して、何やらひそひそと企み事を始めた。何度かエディットモードを起動して新しい魔術を作り、作戦会議が終わる。
「……準備、できました」
自信ありげに立つアゼルに、シルウェスはさてどうしたものかと考える。
クラフトだけならまだともかくとして、ミケーネが入れ知恵したというのが厄介だ。
狡猾で捻くれもののダンジョンマスターは思考の裏をかくことに長けていて、油断ならない。下手に突っ込むと罠にはめられる可能性があった。
だからこそ、シルウェスは先手を打つ。
どうせ何が飛んでくるかわからないのなら、打てる手の余地をなるべく減らす方がいい。
「TKI!」
真っ直ぐ突っ込んでくるシルウェスに対し、人差し指と中指をピンと伸ばしてアゼルが叫ぶ。すると、地面の一部がせりあがって壁が立った。
避けるか、壊すか。一瞬の逡巡の後、シルウェスは跳躍する。
ただの土壁程度なら一撃で破壊する自信はあるが、それによって足が止まるのと、壁の中に罠が仕込んである可能性を見越してのことだ。
「KTG!」
軽々と土壁を跳び越えながら伸ばされるシルウェスの腕を、アゼルは宙を舞ってかわす。
しかしもう、それを黙って見過ごしてやるつもりはなかった。
足元の石を拾って、死なない程度の威力で投げ放つ。
しかしそれを、アゼルはあっさりと手の平で受け止めた。
アゼルの動きは、正直拙い。シルウェスは彼女よりも優れた人間を何人も知っている。
しかし同時に、その身体能力は彼女が知る誰よりも優れていた。
そのギャップと、クラフトの娘であるという事実がシルウェスの動きを鈍らせている。
「ところでさ、シルの呪文は英語の略じゃない? FASとか」
「ああ、そうだな」
極端なまでに省略された魔術の詠唱は、咄嗟に使いやすくすると同時にその効果を相手に知らせないという意図を持つ。中には自分オリジナルの言葉を作り出すものもいたが、シルウェスのそれは比較的シンプルなものだった。
その分、とにかく短い。短すぎて普通に会話するとしょっちゅう誤爆してしまうので、普段から口数を少なくしているほどだ。
「アゼルのは何だろ。KTGとか……」
「多分だが」
クラフトはそう前置きしながらも、ある程度の確信を持って言った。
「風の、翼、五拍じゃないか」
「日本語だったかー……」
クラフトとミケーネがそんなやり取りをしている間にも、アゼルたちの攻防は続く。
宙を舞い、障害物を作りながら逃げるアゼルをシルウェスは追い切れない。
しかし、アゼルが散発的に放つ魔術もまた、シルウェスを捉える事は出来ていなかった。
「……そろそろね」
大地に突き立つ土壁の配置を見て、ミケーネは笑みを浮かべる。
一瞬遅れて、シルウェスもそれに気が付いた。
「『ミケの迷宮』!」
しかし、気付いた時にはもう遅い。
地面の至る所がせりあがり、アゼルが今まで立てていた土の壁を繋いで巨大な迷宮を作り上げる。アゼルは空中から急降下すると、真っ直ぐその中に飛び込んだ。
周囲を壁に囲まれて、シルウェスは舌打ちする。迷宮と言っても地下迷宮ではない。天井はなく、壁を乗り越える事は容易い。
だがそんな事をすれば、良い的になってしまうのは明らかだった。こちらからは迷宮の壁が邪魔になって攻撃できないが、アゼルからは幾らでも狙い撃ててしまう。
だが、それをわかっていつつ、彼女は跳び上がった。途端飛んでくる氷の矢を、剣を抜いて斬り捨てる。一方的に攻撃されようと、全て叩き落とす自信があるからこその行動だ。
更に追加で放たれる魔術を躱し、切り払いながらも壁の上を跳び伝ってシルウェスはアゼルに押し迫る。そして背を向けて逃げようとする彼女の腕を掴んで投げ飛ばした。
地面に叩きつけられたアゼルは軽い音を立ててバラバラに砕け散る。シルウェスは一瞬血の気を引かせるが、すぐに気付いた。
これは偽物だ。即席で作ったにしては良くできた人形だったが、よくよく見れば髪の色くらいしか共通点がない。目鼻すらない、のっぺりとした顔の木偶だ。
ならば、本物はどこに……そう思った瞬間、彼女の周りを多数の土人形が囲んだ。
一斉に襲い掛かってくるその動きは早くもなく単調で、斬り捨てるのは造作もない。しかし、波状攻撃を仕掛けてくる人形達はやられてもやられても復活して襲い掛かってきた。
こんな手を考えるのは、ミケーネに違いない。
あのバカ猫、余計な入れ知恵を……と、シルウェスは内心ほぞをかむ。
通路は狭く、派手な魔術を使えば自分まで巻き込まれかねない。かといって、剣で対応してはキリがない。
「FAM」
彼女の手の平に、炎の矢が無数に生まれる。
多少の反動は覚悟で放った火矢は、一瞬にして土人形たちを焼き滅ぼす。
その中の一体が、炎の中シルウェスに向かって凄まじい速度で直進した。
「え、えいっ」
アゼルは両手でシルウェスの腕を掴むと、ぐいぐいと引っ張る。しかし、彼女の身体はまるで根でも生えているかのように、思い切り体重をかけてもビクともしない。
アゼルが必死に腕を引くその光景を、シルウェスはただ見つめた。
「……あなたの勝ち」
そして、諦めたように目を閉じてそう呟く。
「え? でも」
アゼルはシルウェスに接近するところまでは考えていたが、その後どう攻撃するかまでは全く考えていなかった。そもそもそこまで辿り着けるとは思っていなかった。
結局殴ったり魔術で攻撃したりするのは躊躇われて、シルウェスの真似をして投げようと思ったのだが、それも全く上手くいかなかった。
すっと腕を伸ばすシルウェスに、また投げられるのかとアゼルは身を固くする。
「私の反則負け」
しかし彼女の手は優しく、泥まみれになったアゼルの頭をふわりと撫でた。
「あ、あの!」
そして彼女に背を向け迷宮を出ようとするシルウェスを、アゼルは反射的に呼び止める。
「何」
振り向くシルウェスに、用件があったわけではない。
何となく、そうしなければいけない気がしただけだ。
「今度、私をぽーんって投げた技、教えてもらえませんか?」
悩んだ挙げ句に、アゼルはそう尋ねた。力はアゼルの方があるはずなのに、魔術もなしに人を投げる技は未だにどういう原理かわからない。
「……ん」
少しだけ、何かを考えるように動きを止めて。
「良いよ」
微笑むシルウェスの顔を、アゼルは初めて目にしたのだった。




