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一話 『人形師』クラフト-1

「わぁ……すごい」


 クラフトの工房を出て、眼前に広がる光景にアゼルは目を丸くした。


「まあ、確かに凄いと言えば凄い光景ではあるな」


 クラフトにとっては見慣れた光景ではあるが、意識して改めて目を向ければ『すごい』光景だ。とはいえ、初めて視覚情報を得るアゼルが言うのはそれとはまた別の意味だが。


「いいかアゼル、一応覚えておけ。この光景は……あまり普通ではない」


「そうなんですか?」


「ああ……どこの世界に、こんな混沌とした街があるっていうんだ」


 ヨーロッパ風のレンガ造りの家の隣には、純和風の屋敷。かと思えばその向かいにはビルが建ち、ネオンに飾られた巨大なカニの看板がわきわきと動いている。何の統一性もない、カオスな光景であった。


 それを見て「統一性がない」と思えるのも、そう言った基礎知識があるからだ。見る物すべてが初めてであるアゼルにとっては、何もかもが鮮烈に映っているようだった。しかし、これを標準と思われても困る。

 多くの職人が集まるこの街、アーティアは色んな意味で特殊な場所なのだ。


「まあ、追々学んでいけばいい。ともかく今日は買い物をするぞ」


「はい」


 素直にこくりと頷くアゼル。

 それを満足げに眺めて一歩踏み出そうとして、クラフトは足を止め彼女に向き直った。


「手を」


 差し出される手を見つめ、アゼルは首を傾げる。


「繋ぐんだ。はぐれてしまわない為に」


「こうですか?」


 アゼルはぎこちない動作で、クラフトの左手を握った。

 握るその手も左手。つまり、握手の形になる。


「いや、そうじゃない。こっちだ」


 クラフトは彼女の左手を離し、右手を取って握りなおした。


「良いか、今日一日はこの手を離すんじゃないぞ」


「わかりました」


 口煩く念を押すクラフトに、アゼルは神妙に頷く。


 悲鳴がとどろいたのは、そんなときだった。


「何だ? 騒がしいな」


 クラフトがその小さな工房を構えている路地裏から、表通りに顔を出す。

 その鼻先数センチを、帯状の炎が掠めていった。


「あれは何ですか? 大きいです」


 アゼルがクラフトの後ろから顔を覗かせて、首を傾げた。

 表通りの彼方で悠々と構えているのは、巨大な獣であった。


 鰐のような爬虫類じみた顔に長い首。体のところどころから棘が何本も突きだしていて、尻からは太い尾が伸びている。黒曜石のようにキラキラ光る鋭い爪の生えた四本の脚は太く強靱だが、それでもその巨大な身体を完全に支えることは出来ず、腹を地面に擦り付けながら這いずっている。


 翼こそないが、いわゆるドラゴンと呼ばれる生き物だ。

 その周りを取り囲む鎧兜に身を包んだ戦士たちが、豆粒に見えるほどの大きさだ。


「どこの馬鹿だ、あんなものを掘り起こしたのは」


 クラフトは眉をしかめた。ドラゴンが今その太い前足で押しつぶしているのは、真っ先に寄ろうと思っていた服屋だったのだ。


 ドラゴンを十数人の戦士や魔術師が囲んでいるが、どうやら彼らは相当苦戦しているようだった。炎が、氷が、雷が飛び交い、矢や槍が竜に向かって放たれる。しかしそのどれもが巨竜にさしたる傷を与える事は出来ず、逆に振るわれる剛腕が五、六人を纏めて薙ぎ払った。


「わっ」


 そのうちの一人がぽんとこちらへ飛んできて、アゼルは慌てて腕を伸ばした。

 全身を鉄の甲冑で覆い、落下速度のついた人ひとりを、彼女は苦もなく受け止める。


「大丈夫か?」


「何とか……ありがとう、助かりました」


 クラフトはアゼルに聞いたつもりだったのだが、甲冑がそう答えた。


「なんで街中であんなものが暴れてるんだ?」


「わかりません……突然、現れたんです。早く逃げて下さい」


 ふむと唸り、クラフトは腕を突きだして、親指と人差し指を直角に伸ばした。


「体長はおよそ十五メートルか。あのくらいなら多分何とかなるな。あんたの甲冑を借りるぞ」


「え?」


「コードキャスト、エディットモード」


 クラフトが唱えると共に、濃紺の世界が広がった。


「まずは塊に戻す」


 甲冑はところどころひしゃげてしまっていて、そのまま脱がす事は出来そうもない。

 クラフトは無数に出現する窓を操作し、甲冑を鉄の塊に戻した。


「ひゃぁっ!」


 途端に、甲冑を着ていた戦士は甲高い声をあげる。


「なんだ、女だったのか」


 クラフトはさして気にした様子もなくそう呟いた。


「そうですよ!」


 彼女は顔を赤く染め、身体を庇いながら叫ぶ。

 鎧を剥がれて現れたのは、黒い髪をショートカットにした女だった。見た目は少女と言っていい年齢だ。甲冑の下には鎧下と呼ばれるキルト状の衣服を着てはいるが、これは扱いとしては下着に近い。


「じゃあ、オマケだ」


 クラフトは更に窓を素早く操作して、濃紺の世界を閉じる。


「こんなもんか。アゼル、転写」


「了解しました。転写開始します」


 光の帯が辺りを包み込む。光が消え去った後には、要所を守る軽い鎧を身に着け、美しい剣を持ったアゼルの姿がそこにあった。

 ついでに、少女の鎧下は可愛らしいドレスに変化している。


「なっ……」


「その方が似合うぞ」


 己の審美眼に満足して、クラフトはうむと頷く。

 一見ボーイッシュな少女には、しかしシンプルなワンピースドレスがよく似合っていた。少女は絶句し、己の姿とアゼルの格好を見比べる。


「嘘でしょ。あなた一体、何者ですか……?」


 アゼルの持つ剣や鎧は美しいだけでなく、先程まで少女が使っていたものより遥かに質の良いものであることは明らかだった。それを、たった数秒で作り出したのだ。


「アゼルです、よろしくお願いします」


「え、あ、葵です。よろしくお願いします……」


 礼儀正しくぺこりと頭を下げるアゼルに、少女はぎこちなく礼を返す。


「クラフトだ。『人形師』と呼ばれている」


 娘が挨拶してしまったので無視するわけにもいかない、とクラフトは仕方なく名乗った。それを聞いて、葵と名乗った少女の疑問は氷解する。


 『人形師(ドールマスター)』クラフト。

 職人の街と呼ばれ、多くの腕利きが集まるアーティアの中でも、彼は別格だ。

 この世界では新米に当たる葵ですら、名を聞いたことがある有名人だった。


 二つ名で呼ばれる職人というのは、それだけで一流の証。

 そしてそれがシンプルであればあるほど腕が良いとされる。何故ならすでに誰かに名乗られている二つ名は、その道で勝たない限り名乗れないからだ。


 欲しい名を持てない物は、修飾語をつけて代わりにする。例えば『疾風の冒険者』だとか、『円月の刀鍛冶』だとか、『機甲の人形師』だとか。


 つまり『人形師』の名を持つ彼は、人形作りにおいてこの世界で一番の腕を持つと言っていい。専門外の剣や甲冑であっても、そんじょそこらの武具職人を遙かに凌駕する程の腕だ。


「よし。ではアゼル。それを使ってアレを倒してこい」


「ええっ!? そ、その子に任せるんですか?」


 剣と鎧で武装した儚げな美少女を見て、葵は目を剥く。


「当然だろう。俺は剣なんか使えんぞ」


「いや、そりゃあそうでしょうけども……」


 職人はあくまで職人であり、剣士ではない。

 かと言って、剣を危なっかしく持ってしげしげと眺めているアゼルにも、とても剣など扱えそうになかった。


「まあ見とけ。いけ、アゼル」


「わかりました」


 アゼルは頷き、剣を無造作にぶら下げて駆けだした。


 ――そのもう片方の手には、クラフトの手を握りしめたまま。


「ちょ、待……アゼッ……」


 その速さはまさに風の様で、クラフトは声を上げる事も出来ずにアゼルに必死でしがみ付く。この速度で落ちれば流石の彼もただでは済まない。


 アゼルは数十メートルの距離をあっという間に詰めると、彼女を一口で飲みこめてしまえるほどの巨大な口をぱっくりとあけるドラゴンに向かって跳躍した。


 竜の喉奥にちらりと炎が灯り、吹き出される。その瞬間、アゼルは剣の腹で思い切りドラゴンの鼻面を叩いた。


 そう言えば、剣は刃を立てて使うものだと教えるのを、忘れていた。

 クラフトはふと、そう思う。


 凄まじい力によってドラゴンの口は閉じられて、行き所を失った炎は彼の口内で荒れ狂い、ぶすぶすと黒煙を上げた。そのまま巨大な竜はぐるんと目を回し、轟音を立てながら地面に倒れ伏す。


「これでいいですか、クラフト?」


「ああ……まあ、初めてにしては上出来だ」


 同じように地面に倒れ込んでしまいたい。


 そう思いながらも、クラフトは何とかそう答えて親の威厳を保った。

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