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三話 『地図師』シルウェス-4

 明くる朝。


「前、歩いて」


「……はい」


 シルウェスにそう言われたアゼルは、ただ諾々と従って先頭を歩き始めた。

 クラフトの作ってくれた身体は実に素晴らしく、初めて野宿したというのに疲れは欠片も残っていない。


 しかし、その心中は暗澹たるものだった。


 昨日は辛うじて見えていたシルウェスの背中も今日はなく、アゼルは一人どちらへ行ったら良いかもわからずにただただ脚を動かす。


 不安になって後ろを振り返れば、シルウェスは驚くほどすぐそばを歩いていた。


「前を向いて」


 そしてすぐに、彼女に冷たい声で指示を飛ばす。


 一、二、三、四、と、アゼルは自分のつま先を見つめながら、ひたすらに心の中で数えた。


 何でこんなことをしなくちゃいけないんだろう。


 心の奥底から湧き上がるそんな気持ちを抑えるのは、大変な苦労だ。

 考えてしまえば、今まで数えていた数字はふっと頭から抜けてしまうのは昨日既に学んでいる。そうなればまた、シルウェスから歩数が違うと叱られるだけだ。


 重たい脚を一歩一歩動かし、散りそうになる意識をかき抱くようにして歩く。

 何とも言えない嫌な気分が、昨日よりもはっきりとした形を持って胸の中を渦巻いていた。


 そうだ。嫌なのだ。


 不意にアゼルはそれに気付く。気付いてしまえば止まらなかった。


 何もわからずにただ歩かされるのも。

 なにかと言えば違うとか、駄目だとか言われるのも。

 何度も打ち倒され、地面に転がされるのも。



 ――クラフトとミケーネが、アゼルの見えない遠くで二人、話しているのも。



 嫌なんだと自覚した途端、彼女の心は千路に乱れた。


 ミケは友達で、師で、『おかあさん』だ。

 彼女がクラフトと仲良くするのは良い事で、歓迎すべきことのはずだった。

 クラフトだって、ミケと喋らないでください、なんて言われたら悲しむはず。


 なのにそれを望むなんて、私は悪い子になってしまったんだろうか。

 そんな悪い子を、クラフトは愛してくれるだろうか。


 わからない。アゼルは何もかもわからなかった。

 今まで歩いた歩数も忘れてしまって、とうとう彼女の足は止まってその場に立ち竦んでしまう。歩かなければいけないと思うのに足は一歩も動かず、進むことが出来ない。


「アゼル」


 そんな時、肩にぽんと手を置かれて、アゼルがこの世で一番好きな声が聞こえた。

 だが、振り向けない。甘えてしまえば駄目になってしまう気がする。


「前を見ろ」


 しかしかけられたのは優しい慰めではなく、シルウェスと同じ言葉だった。


 それでもアゼルは顔をあげ、言われた通りに前を見る。


 真っ白で真っ黒な空間が、すぐ目の前に広がっていた。

 下を向いて進むうちに、『果て』にこれほど近づいてしまっていたのか。


 驚きに目を見開く彼女の前で、霧が晴れるように世界が広がっていく。


 大地が光り輝き、たおやかな起伏を描きながら視界いっぱいに伸びる。

 さっと風が吹いたかと思えば、赤茶けた大地に草花が芽吹いた。


 彼方には森がぐんぐんとその背を増して生い茂り、川の水が魚の様に跳ねながら道を作っていく。


 遠くの大地がせり上がって山となり、青い空に白い雲がかかり、鳥が舞った。


 その圧倒的な美しさに目を奪われて、アゼルはただ茫然と立ち尽くす。


「これが、シルがお前に見せたかったものだ」


 クラフトの声に振り向くと、背後でも世界は広がっていた。

 知らぬうちに、『果て』の真っ只中を細く小さな道を引く様にして歩いていたのだ。


「あなたの一歩はおよそ72センチ」


 シルウエスが紙に筆を走らせながら、唐突にそんな事を言った。


「今日、ここまで歩いたのは1時間と5分32秒、歩数は7785歩。だから進んだのは約5.6kmで、歩く速度は時速5.1km。昨日より少し遅い」


 すらすらとそう並べ立てて、彼女はアゼルに描いた地図を見せつける。


「これが、あなたの世界」


「……私の?」


 シルウェスはただ、頷いた。


「昨日と違って、今日はお前が先頭を歩いてただろ?」


 そのフォローをするかのように、クラフトが割って入った。


「俺たちは土地を発見しない様に歩いてたんだ」


 強制的に『発見』させる魔物と違って、普通に発見するのはちょっとしたコツさえあればキャンセルできる。シルウェスも、クラフトやミケーネも、示し合わせて今日はそうしながらずっと歩いていた。


「だからこの地図に載っているは全て、お前が見つけ出した世界だ」


 アゼルは周りを見渡して、慌てて地図に視線を向けた。

 その場をくるりくるりと回りながら、景色を地図と照合する。


 特徴的に連なる三つの山。その間から流れてくる川。遠くに見える丘と、そのふもとに茂る森。広がる草原には、それとわかるマークがぽつぽつと描かれている。


 ここから見える全てのものが、地図に描かれていた。

 見渡す限りが、アゼルの世界だ。


「これが、冒険者」


 言葉足らずのシルウェスの思いはしかし、今度こそアゼルに正しく伝わった。


 冒険者とは、彼女の名に反して地図を作る職人ではない。

 大地を作る職人なのだ。


「冒険者の楽しさが少しは分かったか?」


「はいっ」


 クラフトの問いにアゼルは元気よく頷いて、笑顔を輝かせる。


「ではあと七時間歩き、戦闘の訓練をする」


 その笑顔は一瞬にしてひきつった。

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