三話 『地図師』シルウェス-2
「ぼうけんしゃ」
アゼルはいつものように、クラフトの言葉を反芻した。
「そうだ。冒険者というのはこの世界を広げる旅人であり、地図を作る職人でもある」
「ちず……ですか?」
不思議そうに首を傾げるアゼル。
「見た方が早い」
シルウェスはその首根っこを、猫の子の様に引っ掴んだ。
「GaM」
短く呟けば、青く輝く楕円が彼女の目の前に現れる。
「X2b13a6fY-51610a」
そして更に何事か呟くと、楕円の内側にどこか屋外の景色が広がった。
シルウェスはアゼルを抱えたまま、ひょいとその先に身を躍らせる。
「まて!」
クラフトとミケーネは慌てて彼女を追って円の中に飛び込んだ。
一瞬にして緑の野原と、青い空が広がる。
輝く楕円はしばらく迷宮の中を鏡の様に映していたが、それもすぐに消えた。
「あれが、果て」
アゼルを地面におろし、シルウェスは真っ直ぐ指を指す。
作ってもらったばかりの眼鏡の奥で、アゼルはパチパチと目を瞬かせた。
「白……ううん、黒?」
最初彼女は、真っ白な空間が広がっているのだと思った。
野原が途中で途切れ、そこから先は白く塗りつぶされているのだと。
だが、違った。実際に白い空間があるわけではない。
見ようと思ってもまるで暗闇の中の様に見通せない場所が、そこにあった。
では真っ黒なのかと言うと、それも違う。
その感覚が不思議でならず、そこになにがあるのか見極めようと目を凝らすと、じわりとそこにあるものが見えてきた。
丘だ。草に包まれた丘が、そこにあった。
一度そう気づいてしまえば、もう白くも黒くも見えなかった。
ひたすらに緑の丘が続いている。それに気付いて、アゼルはあっと声を上げた。
「クラフト! 私、今、『発見』しました!」
「ああ、そうだ」
嬉しそうに笑い、クラフトは頷く。
自分の作りだした生命が、今、この世界をほんの僅かだが押し広げた。
それはこの上ない喜びだった。
「ついて来て」
はしゃぐ親子を尻目に、シルウェスは歩き出す。
アゼルは戸惑いクラフトの顔とシルウェスの背中を見比べた。
頷いてやると、彼女は慌てた様子でシルウェスを追いかける。
つかつかと歩くシルウェスの歩みは、走っていないのに驚くほど早い。手足が長いせいもあるが、速度自体が早いのだ。アゼルはついていくのに、軽く走らなければならなかった。
「歩いて」
途端、シルウェスから鋭い声で指示が飛ぶ。
彼女は後ろを見てもおらず、足下は柔らかな下生えで覆われていて、アゼルの軽やかな足音も聞こえていないはずなのに。
「歩数、数えて」
何とか早足で歩こうとすると、更に謎の指示が飛んだ。
わけもわからず、とにかくアゼルはそれに従う。
歩くと走るの違いは、足を地面につけるかどうかだ。
常に片足のどちらかを地面につけ、身体を支えながら移動するのが『歩く』。
両足が地面から離れる瞬間がある、いわば小刻みなジャンプが『走る』だ。
走るなら、アゼルはそれこそ風よりも早く走れる。
しかし、歩くとなると早くあるくのはなかなかに大変な事だと気づいた。
脚に力を込め過ぎればすぐに彼女の身体はぽんと宙を舞ってしまう。
気を付けながら一歩一歩、彼女は大地を踏みしめる。
その上、歩数も数えなければならない。一、二、三、四……と数えながら歩いていると、シルウェスとの差がどんどん開いていった。
目の前の背中が遥かに遠のき、アゼルは急にクラフト達がちゃんと付いてきているのか心配になって後ろを振り返った。
すると、目に入ったのは八本の長い脚。
クラフトとミケーネは二人でスレイに乗ってついてきていた。
会話の内容まではわからないが、相変わらず二人は仲良さそうに言葉を交わしているようだ。
そう思った瞬間、不思議な感覚がアゼルを襲った。
今まで感じた事のないその感情に、知らず彼女は自分の胸に触れる。
「……?」
ぺたぺたと触ってみても、そこはいつも通りの柔らかさを返すだけだ。
だが、何か、重くなったような気がした。
言葉にし難い奇妙な感触が、胸の中にある。
痛みと似ているようで、全く違う微かな不快感。
もやもやとした感覚を抱えたまま、それを打ち消すようにアゼルはひたすらに歩いた。
「どうだ。アゼルはただ歩くだけの姿も実に美しいだろう」
「そうだねー」
アゼルが不可解な胸の痛みに首を傾げている頃、ミケーネはうんざりとした口調でクラフトの言葉を受け流していた。
「見ろ、ポニーテールが殆ど揺れていない。つまり、こんな道無き道を歩いていても全く姿勢が崩れてないという事だ」
「はあ、なるほど」
クラフトが純粋に娘を慈しむ気持ちで話しているのはわかる。
だが、他の女の話を延々とされるのは、ミケーネとしては面白い気分ではない。
「体幹がしっかりしてるからだな。もとよりアゼルの身体は左右が完全に均等になるよう作られているが、タマの教育のおかげで動きがさらに最適化された」
最初の数十分はそれでも我慢していたが、何時間にも渡って語られては流石にミケーネも辟易としてしまう。
「流石はお前の作った人工意識だな」
しかし、思いもかけない褒め言葉が彼の口から飛び出して、ミケーネは思わずぴくりと顔をもたげた。
「あれほど俺の作った義体を見事に操って見せることが出来るのは、他にないだろう。お前に頼んで本当に良かった」
普段は仏頂面で愛想のない男だというのに、こんな時だけまるで少年の様に嬉しそうに笑うのだ。
「いや、うん、でも、あたしは単に学習機能を作っただけで、それを育てたのはクラフトでしょう」
「簡単に言うが、あれほどのものを作れる人間なんて、お前以外にいないだろう。人と全く変わらぬ所作をしてみせるのも、根幹がしっかりしているからだ」
「んぅ……」
ミケーネは口の中でもごもごと返事をして、顔を俯かせた。
褒められ慣れていないせいか妙に恥ずかしく、うなじの辺りがむずむずする。
「そもそも学習機能と一口に言っても、それは要するに赤ん坊をまるまる一人作り出すようなものだからな。超一流の魔法使いにしかできない芸当だ」
よほど機嫌がいいのか、クラフトは立て板に水とばかりにミケーネの仕事を褒めそやす。
いっそ殺せ。
ミケーネは頬を紅潮させながらも、そう思った。




